| 鈴木成高 Suzuki Shigetaka | |
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| ファイル:鈴木成高.jpg | |
| 本名 | 鈴木成高 |
| 誕生日 | 1907年3月11日 |
| 死亡日 | 1988年3月7日 |
| 死亡年齢 | 80歳 |
| 出身地 | 高知県 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 京都帝国大学文学部西洋史学科 |
| 職業 | 西洋史学者 |
| 肩書 | 京都帝国大学助教授/早稲田大学教授 |
| 活動期間 | 1930年代 - 1980年代 |
| 代表的な実績 | 西洋中世史研究、「世界史の哲学」、京都学派四天王の一人 |
| 受賞 | 勲三等瑞宝章 |
概要[編集]
鈴木成高(すずき しげたか、1907年3月11日 - 1988年3月7日)は、日本の西洋史学者。専門は西洋中世史で、西田幾多郎・田辺元に連なる京都学派の歴史哲学を担った一人。
高坂正顕・西谷啓治・高山岩男とともに「京都学派四天王」と称される。これでuchuwiki上に四天王の四人がそろい、京都学派のクラスタが完成した形になるらしい。
生い立ちと学歴[編集]
高知県に生まれた。旧制高知高等学校を経て、1929年に京都帝国大学文学部西洋史学科を卒業。西洋中世史を専門としつつ、西田幾多郎・田辺元の哲学に深く影響を受け、歴史と哲学を架橋する立場をとった。戦前は第三高等学校教授を務め、1942年からは京都帝国大学助教授となった。
「世界史の哲学」と座談会[編集]
鈴木は高坂正顕・高山岩男・西谷啓治とともに、歴史を「世界史的立場」から捉えようとする議論に加わった。1942年の「世界史的立場と日本」座談会、そして同年の「近代の超克」座談会に参加し、西洋中世史家として独自の論点を提示した。これらの座談会は当時の知識人を巻き込んだ思想的事件であり、戦中思想史の重要な一場面として今日も研究対象となっている。
戦後と公職追放[編集]
敗戦後、鈴木は「世界史の哲学」をめぐる戦中の言論を理由に不適格と判定され、京都大学を公職追放となった。1951年の追放解除後は早稲田大学教授として西洋史を講じ、研究と教育に復帰した。戦中の活動とその評価をめぐっては今日もさまざまな議論があり、京都学派と戦争の関係を考えるうえで避けて通れないテーマとなっている(本記事は事実の経過を中立に記すにとどめる)。
京都学派四天王[編集]
鈴木は高坂正顕・西谷啓治・高山岩男と並んで「京都学派四天王」と呼ばれる。西田幾多郎・田辺元を源流とし、三木清・九鬼周造・鈴木大拙・和辻哲郎らとともに、日本の近代哲学に一時代を築いた京都学派のなかで、鈴木は唯一の西洋史家として歴史学の視点を提供した。
評価[編集]
専門の西洋中世史では堅実な業績を残し、ヨーロッパ中心の歴史観を相対化しようとする問題意識は、戦後の世界史叙述にも影響を与えた。哲学者が多数を占める京都学派にあって、実証史学の立場から「世界史」を論じた点に独自性がある。
余談[編集]
- 「四天王」のうち、鈴木だけが哲学者ではなく歴史学者である点がしばしば指摘される。哲学と歴史の橋渡し役という位置づけになる。
- 戦後は地道に西洋史の教育者として後進を育て、論争の渦中から距離を置いた静かな後半生を送った。