| 三木清 みき きよし | |
|---|---|
| ファイル:三木清.jpg | |
| 本名 | 三木清 |
| 誕生日 | 1897年1月5日 |
| 死亡日 | 1945年9月26日 |
| 死亡年齢 | 48歳 |
| 出身地 | 兵庫県揖保郡平井村(たつの市) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 京都帝国大学文学部哲学科卒 |
| 職業 | 哲学者 |
| 肩書 | 法政大学教授 |
| 活動期間 | 1920年代 - 1945年 |
| 代表的な実績 | 『パスカルに於ける人間の研究』『人生論ノート』 |
| その他 | 京都学派 |
概要[編集]
三木清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、日本の哲学者。西田幾多郎に学んだ京都学派の俊英で、ドイツ留学でハイデッガーらに師事。マルクス主義から人間学、さらには随筆まで自在に論じた、昭和初期を代表する思想家である。
ロングセラー『人生論ノート』で知られ、「哲学者の書いた人生エッセイ」として今も読み継がれている。一方で、敗戦からわずか一か月余り後に獄中で病死するという、近代日本の暗部を象徴する最期を遂げた人物でもある。
学歴と留学[編集]
兵庫県の生まれ。第一高等学校を経て京都帝国大学で西田幾多郎に学び、その鋭い才能を早くから注目された。卒業後はドイツに留学し、リッケルトやハイデッガーから直接教えを受け、最新の西洋哲学を吸収して帰国した。
『パスカルに於ける人間の研究』[編集]
留学から戻った1926年、処女作『パスカルに於ける人間の研究』を発表。パスカルの思索を手がかりに人間存在の根本を論じたこの著作は、哲学界に大きな衝撃を与え、三木の名を一躍高めた。その後は法政大学教授として、唯物史観(マルクス主義)を人間学的に基礎づけようとする独自の試みに進んでいった。
投獄と弾圧[編集]
1930年、共産党への資金援助を理由に治安維持法違反で検挙され、教職を失う。以後も旺盛な評論活動を続けたが、戦時下の言論統制のなかで思想家としての活動は次第に追い詰められていった。専門の哲学から離れた読者にも届く平明な文章で、時代に抗する思索を発表し続けた。
『人生論ノート』[編集]
1938年から雑誌に連載された『人生論ノート』は、「死について」「幸福について」「孤独について」など身近なテーマを哲学者の眼で見つめた随想集で、戦中・戦後を通じて広く読まれた。難解な専門書とは対照的に、誰もが手に取れる「読める哲学」として、今日まで版を重ね続けている。
獄死[編集]
1945年3月、治安維持法違反の容疑者をかくまったとして再び検挙され、敗戦後も釈放されないまま豊多摩刑務所で疥癬を患い、同年9月26日に獄中で病死した。48歳。敗戦から一か月以上が経ち、すでに多くの政治犯が解放されていたなかでの死は、戦後の治安維持法廃止を早める一因になったともいわれる。その早すぎる死は、近代日本の知性が背負わされた悲劇として語り継がれている。