| 高坂正顕 Kōsaka Masaaki | |
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| ファイル:高坂正顕.jpg | |
| 誕生日 | 1900年1月23日 |
| 死亡日 | 1969年12月9日 |
| 死亡年齢 | 69歳 |
| 出身地 | 石川県金沢市 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 京都帝国大学(西田幾多郎に師事) |
| 職業 | 哲学者 |
| 肩書 | 京都帝国大学教授/東京学芸大学長 |
| 活動期間 | 1920年代 - 1969年 |
| 代表的な実績 | 京都学派四天王、歴史哲学・カント研究 |
| その他 | 長男は政治学者の高坂正堯 |
概要[編集]
高坂正顕(こうさか まさあき、1900年 - 1969年)は、日本の哲学者で、西田幾多郎を中心とする京都学派の一員。西谷啓治・高山岩男・鈴木成高(平文)とともに「京都学派四天王」と呼ばれた、西田哲学第二世代の代表格である。カント研究から出発し、歴史哲学へと関心を広げた。長男は国際政治学者の高坂正堯(平文)で、親子で日本の知の世界に足跡を残した一族でもあるらしい。
西田門下として[編集]
金沢に生まれ、京都帝国大学で西田幾多郎に師事した。同郷の大先輩でもある西田のもとでドイツ観念論、とりわけカント哲学の研究に打ち込み、若くしてその精緻な論理で頭角を現す。田辺元・三木清・九鬼周造ら先輩世代に続く、京都学派の中核を担う一人となった。
京都学派四天王[編集]
西谷啓治・高山岩男・鈴木成高とともに「京都学派四天王」と称される。四人はいずれも西田・田辺元の薫陶を受けた俊英で、西洋哲学と東洋思想の融合という西田哲学の立場を、それぞれの分野で展開した。高坂は『歴史的世界』などで歴史の哲学を論じ、人間の歴史性・主体性をめぐる思索を深めた。
「近代の超克」と戦中・戦後[編集]
高坂は雑誌『文學界』が1942年に企画した座談会「近代の超克」に名を連ねたほか、四天王による座談会「世界史的立場と日本」にも参加した。これらは戦時下の思想的状況と深く関わるもので、戦後に高坂が公職追放を受ける一因ともなった。これらの経緯は研究上さまざまに評価・議論されており、本項では事実を中立に記すにとどめる。追放解除後は教育界に転じ、東京学芸大学長や中央教育審議会の委員などを務めた。
余談[編集]
- 同じ「正顕」つながりで、息子の高坂正堯は『国際政治』などで知られる戦後日本を代表する国際政治学者となった。
- 京都学派の系譜は西田幾多郎→田辺元→四天王(西谷啓治ら)と続き、近代日本の独創的な哲学運動として今も研究が盛んである。