鈴木大拙

鈴木大拙
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本名 鈴木 貞太郎
出身地 石川県金沢市
国籍 日本
学歴 東京専門学校・帝国大学(選科)
職業 仏教学者・宗教哲学者
代表的な実績 『日本的霊性』『Essays in Zen Buddhism』
受賞 文化勲章(1949年)
別名 大拙(居士号)


概要[編集]

鈴木大拙(すずき だいせつ、1870年11月11日 - 1966年7月12日)は、日本の仏教学者・宗教哲学者。本名は貞太郎で、「大拙」は鎌倉円覚寺で授かった居士号らしい。一言でいえば「ZENを世界語にした男」。それまで東洋の片隅の修行法でしかなかった禅を、自ら英語で書きまくって欧米の知識人にぶつけ、20世紀のカウンターカルチャーやアップルの創業者あたりにまで影響を残したスケールのデカい人物である。同郷・同年生まれの大哲学者西田幾多郎とは石川の学校以来の生涯の親友で、「西田の哲学/大拙の禅」は近代日本の精神史を支える二本柱とよく並び称される。

生い立ちと西田幾多郎との友情[編集]

石川県金沢市の生まれ。藩医の家系だったが父を早くに亡くし、苦学を強いられた。第四高等中学校(旧制四高)で、のちに京都学派の祖となる西田幾多郎と出会う。二人は同じ1870年生まれ・同じ金沢育ちという奇跡的な縁で結ばれ、貞太郎が禅へ、幾多郎が哲学へと進んだ後も、互いに手紙を交わし思想を磨き合った。「東洋的なるもの」を世界に通用する言葉で語ろうとした点で、二人の仕事は深いところで響き合っている。

参禅と「大拙」[編集]

東京専門学校を経て帝国大学の選科に学びながら、鎌倉の円覚寺で今北洪川釈宗演に参禅した。この釈宗演からもらった号が「大拙」である。1897年、師の縁でアメリカに渡り、出版社オープン・コート社で約11年間、東洋思想の英訳・編集に従事。この間に英語で禅と仏教を発信する独自のスタイルを確立した。アメリカ人女性ビアトリスと結婚したのもこの頃らしい。

渡米と禅の世界化[編集]

帰国後は学習院や大谷大学で教えつつ、英文の大著を次々に刊行。代表作『Essays in Zen Buddhism(禅論文集)』をはじめ、生涯に著した約100冊のうち23冊が英文だったというから、その国際的発信力は群を抜く。晩年には再び欧米に長期滞在し、ハーバードやコロンビアなど各地の大学で講義。「禅」を意味する英単語Zenが辞書に載るようになった背景には、間違いなくこの人の数十年にわたる地道な仕事がある。

日本的霊性と即非の論理[編集]

日本語の主著が1944年の『日本的霊性』。鎌倉仏教(とりわけ浄土真宗と禅)に、二元対立を超えて統合する日本人固有の宗教意識「霊性」を見出した。また『金剛経』研究から導いた「即非の論理」(AはAでない、ゆえにAである)は、西洋論理学とは異なる東洋的な同一性の捉え方として知られる。盟友西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」と並べて論じられることも多い。

晩年と評価[編集]

1949年に文化勲章を受章、日本学士院会員にも選ばれた。1963年にはノーベル平和賞の候補に挙がったと伝えられる。1966年、95歳で死去。その思想は西田幾多郎田辺元九鬼周造ら京都学派の哲学者たちや、和辻哲郎折口信夫ら同時代の知性とも交差し、戦後は欧米の禅ブームの源流となった。

余談[編集]

  • 親友西田幾多郎とは「哲学と宗教の二人三脚」とよく言われるが、性格はかなり対照的で、内省的な西田に対し大拙は飄々としたユーモアの人だったらしい。
  • 蔵書と原稿は石川県かほく市の「鈴木大拙館」に受け継がれ、静かな水鏡の建築でいまも人を集めている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]