| 折口信夫 おりくち しのぶ | |
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| ファイル:折口信夫.jpg | |
| 誕生日 | 1887年2月11日 |
| 死亡日 | 1953年9月3日 |
| 死亡年齢 | 66歳 |
| 出身地 | 大阪府西成郡木津村 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 國學院大学 |
| 職業 | 民俗学者・国文学者・歌人 |
| 肩書 | 國學院大学教授・慶應義塾大学教授 |
| 活動期間 | 1910年代 - 1953年 |
| 代表的な実績 | 『古代研究』/小説『死者の書』/歌集『海やまのあひだ』 |
| 関連活動 | 「折口学」(まれびと論) |
| 別名 | 釈迢空(歌人・詩人としての号) |
概要[編集]
折口信夫(おりくち しのぶ、1887-1953)は、民俗学・国文学・歌の三領域にまたがって独自の学問世界を築いた巨人。学者としては折口信夫、歌人・詩人としては「釈迢空(しゃく ちょうくう)」という別の顔を持つ。その学問は弟子たちに「折口学」と呼ばれ、神や芸能の起源をめぐる詩的な発想は、いまも民俗学・芸能史に強い影響を残している。
学問の道[編集]
大阪の木津村に生まれ、國學院大学で国学者・三矢重松に学んだ。卒業後に大阪の中学教員となるが、柳田國男の民俗学に出会って衝撃を受け、2年余りで教職を辞して上京。國學院大学、のちに慶應義塾大学で教鞭をとりながら、生涯を民俗学と国文学の研究に捧げた。柳田の高弟として日本民俗学の基礎づくりに加わった一方で、「まれびと(客人)」論――海の彼方から来訪する神が祝福をもたらすという独自の発想――で、師とは違う詩的な学問を切り拓いた。
折口学と『死者の書』[編集]
主著『古代研究』では、古代人の信仰や芸能の発生を大胆に再構成し、依代(よりしろ)や鎮魂の概念を提示した。さらに学者でありながら小説まで書き、『死者の書』は二上山と当麻曼荼羅をめぐる幻想的な傑作として、現在も読み継がれている。学問と文学と詩が渾然一体となっているのが折口の最大の特徴で、論文すら散文詩のように読めると言われるほどだ。
歌人・釈迢空[編集]
歌人としては正岡子規の根岸短歌会、のち斎藤茂吉・伊藤左千夫らの『アララギ』に「釈迢空」の名で参加した。しかし独特の句読点や破調を多用する前衛的な歌風がアララギの写生主義となじまず、やがて離脱。1924年、北原白秋・古泉千樫・木下利玄らと反アララギ的な歌誌『日光』を創刊した。歌集『海やまのあひだ』『春のことぶれ』『倭をぐな』には、孤独と古代への憧れがにじむ。
余談[編集]
- 養嗣子の折口春洋(はるみ)は硫黄島で戦死した。折口の墓には春洋と並んで眠り、「もつとも苦しき/たたかひに……」で始まる悲痛な歌が刻まれている。
- 「釈迢空」という号は仏教的な響きで、学者・折口信夫とは別人格のように使い分けられた。
- 弟子には国文学・民俗学の研究者が多数おり、戦後の学界に「折口学」の系譜を残した。