荒木経惟

荒木経惟
Nobuyoshi Araki
ファイル:荒木経惟.jpg
誕生日 1940年5月25日
年齢 86歳
出身地 東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)三ノ輪
国籍 日本
家族 妻・青木陽子(1990年没)
学歴 千葉大学工学部写真印刷工学科卒業
職業 写真家、現代美術家
活動期間 1964年 -
代表的な実績 写真集『センチメンタルな旅』『東京日和』
受賞 太陽賞、毎日芸術賞特別賞、オーストリア科学芸術勲章
事務所 AaT ROOM
別名 アラーキー
あだ名 アラーキー


概要[編集]

荒木経惟(あらき のぶよし、1940年5月25日 - )は、日本の写真家・現代美術家。「アラーキー」の愛称と、丸い縁の黒めがねがトレードマークの、戦後日本を代表する写真家のひとり。被写体への執着と圧倒的な撮影量で「私写真」というジャンルを切り拓いた巨匠で、生涯に出した写真集はゆうに500冊を超えるとも言われるバケモノ級の多作家らしい。

エロスと死をテーマに据えた作風から、サブカルチャー/アングラ業界とも深い縁を持つ。末井昭が創刊した伝説のアダルトカルチャー誌『写真時代』(白夜書房)の看板作家として、その名を世間に轟かせた一人でもある。

生い立ち[編集]

東京・下谷の三ノ輪、浄閑寺(投込寺)の近くで下駄職人の息子として生まれた。父・長太郎はアマチュアカメラマンとしても近所で有名で、荒木がカメラを手にする土壌はここにあったらしい。東京都立上野高校の同期に評論家の立花隆がいたというのも有名なトリビア。

千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、1963年に大手広告代理店・電通へ宣伝用カメラマンとして入社。1964年、自費出版的に作った写真集『さっちん』で第1回太陽賞を受賞し、写真界に名乗りを上げた。

私写真の確立[編集]

1971年、電通の同僚だった青木陽子と結婚。新婚旅行を撮った写真集『センチメンタルな旅』(1971年)は、自身と妻の極私的な時間をそのまま作品にした「私写真」の金字塔として知られる。1972年に電通を退社しフリーに。1974年には東松照明・細江英公・森山大道・深瀬昌久らと「WORKSHOP写真学校」の設立に参加した。

妻・陽子が1990年に病で亡くなると、その闘病と死を撮った写真群を発表。生と死、エロスとタナトスを一枚の写真に同居させる荒木の作風は、ここで決定的に深まったとされる。

写真以外の活動[編集]

カメラだけの人ではない。1981年には自身の私生活をそのまま映画化したような日活ロマンポルノ『女高生偽日記』を監督・出演している。1986年からはスライド写真と音楽を同期させて投影するライブパフォーマンス「アラキネマ」を続けてきた。1997年には妻との私的小説を原作にした映画『東京日和』(竹中直人監督・主演)に駅員役で出演。2013年の瀬戸内国際芸術祭では、作品をJR四国の電車にラッピングした「アラーキー列車」まで走らせた。

晩年は前立腺癌や、網膜中心動脈閉塞症による右眼の視力喪失を経験。2014年にはポジフィルムの右半分を黒く塗りつぶした新シリーズ「左眼ノ恋」を発表するなど、身体の変化すら作品に取り込んでいった。

写真時代とサブカル[編集]

1981年に末井昭が創刊した『写真時代』は、荒木の過激でユーモラスな作品が誌面を牽引した名物雑誌だった。高杉弾山崎春美が手がけた自販機本『Jam』『HEAVEN』、明石賢生らが築いたエロ出版の地下水脈とも地続きの空気の中で、荒木は「エロスを隠すな」という美学を貫いた。「人間、品がなくちゃダメですよ。でも『下品格』もなくちゃいけない」という名言は、いかにもアラーキーらしい一言として知られる。

炎上とバズ[編集]

2017年、世界的な#MeToo運動の流れの中で、元ファッションモデルで美術家の湯沢薫が、荒木の撮影現場で性的・人格的な被害を受けたとSNS上で公にした。芸術の名のもとに何が許されるのかという議論を呼び、荒木の表現をめぐる評価にも一石を投じる出来事となった(本項は報道・本人発信で確認できた事実の範囲のみ中立に記述する)。

余談[編集]

  • 大のピンク映画ファンを公言しており、「今のAVとは違って演技と演出だけで客を興奮させるんだから大変だよ。今の有名監督にも成人映画出身は多いもんな」と語っていたことがある。
  • 2008年にオーストリアより科学芸術勲章を受章するなど、海外での評価が非常に高い。海外では「ARAKI」一語で通じる数少ない日本人写真家のひとり。
  • 2013年に毎日芸術賞特別賞を受賞。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]