明石賢生

明石賢生
あかし けんしょう
誕生日 1947年
死亡日 1996年8月4日
出身地 大分県
職業 編集者、実業家、カメラマン
肩書 エルシー企画・群雄社出版社長、アリス出版副社長
活動期間 1975年 - 1996年
代表的な実績 自販機本出版社エルシー企画を設立
別名 武蔵野大門(カメラマン名義)


概要[編集]

明石賢生(あかし けんしょう、1947年 - 1996年8月4日)は、日本の編集者・実業家・カメラマン。エルシー企画・群雄社出版の社長、アリス出版の副社長を務めた、70〜80年代自販機本カルチャーの仕掛け人である。

学生運動の活動家からエロ本流通の世界に飛び込み、自販機本というアウトローな媒体に金と場所を提供して、高杉弾の『Jam』『HEAVEN』をはじめとする伝説的な雑誌群を生み出した。本人いわく「カネは出すが口は出さない」。表現者を自由にさせるパトロン型のプロデューサーだった。

全共闘からエロ本流通へ[編集]

大分県の生まれ。学生時代は全共闘(ブント系マル戦派)の活動家で、1968年のベトナム反戦運動・東京王子米軍野戦病院反対闘争では逮捕された経歴を持つ。早稲田大学を3年で中退後、下落合のスナック「クレジオ」で雇われ店長を3年間務めた。

転機は、そのスナックの客の紹介で三崎書房の別名義エド・プロダクツに勤めたこと。ビニ本を各地のアダルトショップに納本する営業職を通じて、流通や印刷ブローカーのノウハウを一気に身につけた。アングラ出版を「商売」として回す力を、ここで養ったわけである。

エルシー企画と自販機本[編集]

1975年、旧知の編集者・佐山哲郎を誘い、自販機本出版社エルシー企画を設立。武蔵野大門の名義でヌードカメラマンも兼任し、スカトロ系エロ本の先駆け『女子便所』シリーズなどで「エロ本の新境地」を切り開いた。自販機という無人販売の媒体だからこそ許された過激さで、業界に旋風を巻き起こしたらしい。

そして1979年からは、高杉弾山崎春美らが編集した伝説的自販機本『Jam』『X-magazine HEAVEN』のスポンサー役を担う。儲けの出にくいアングラ雑誌に金を出し続けたこの度量こそが、明石賢生が「サブカルの恩人」と呼ばれる理由である。

群雄社へ[編集]

エルシー企画社長からアリス出版副社長を経て、群雄社出版の社長に就任。「カネは出すが口は出さない」という社是を貫き、編集者の自由を最大限に尊重した。なお、のちに白夜書房となるセルフ出版に1976年入社した池田俊秀が、退社後に明石に誘われて群雄社へ移っており、白夜書房系のサブカル人脈とも深くつながっている。1996年死去。

余談[編集]

  • カメラマン名義「武蔵野大門」での撮影もこなす、編集・経営・撮影の三刀流だった。
  • 末井昭の白夜書房系と、明石の群雄社系は、自販機本・アングラ雑誌という同じ土壌から枝分かれした双子のような関係にある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]