2PM
2PM.jpg
ジャンル ダンス、バラード、ポップ、R&B
デビュー 2008年9月4日
年齢 15周年
事務所 JYPエンターテインメント
ファンクラブ HOTTEST
メンバー
JUN.Kテギョンニックンウヨンジュノチャンソン
旧メンバー
パク・ジェボム
リンク TwitterYouTube


概要[編集]

2008年9月4日にデビューしたJYPエンターテイメント代表の6人組多国籍ボーイズグループ。

詳細[編集]

同じ事務所所属の2AMと同じ時期にデビューした兄弟グループだが、タイプは全く違う。 パクジニョンがつけた2PMというグループ名は「1日の中で1番暑い午後2時に聴きやすい音楽にする」という意味が込められている。

デビュー当時SMエンターテインメントがアイドル市場を覇権を握り、YGエンターテインメントBIGBANGというグループが大成功を納めていたので、WONDERGIRLS主導形態に戻っていたJYPエンターテイメントでは男性アイドルの成功の可否が不確実であった。 しかしSMエンターテイメントの美少年型の実力派アイドル、BIGBANGの個性強く才能豊かな悪童イメージのSMエンターテイメントのアイドルには見られない自由奔放さとYGエンターテイメントのアイドルからは見られなかった身長とボディやアクロバティックダンスなどを披露し、パク・ジニョンスタイルを意味していたシングル「10点満点に10点」で始まると同時に飛躍することになる。2度目のシングルの発売と共に「野獣アイドル」というタイトルを作り、国内で新しい立地を先占することに成功する。

10代を主にターゲットとするアイドルには、やや思い切ったコンセプトではあるが、腹蔵ない放送感と公演がむしろ人気の要素となり、これは地上波よりも制約のないケーブルテレビの芸能プロを通じて確固たる地位を確率することになる。また、2枚目のシングル「Again&Again」の成功でファンダムも確実となり、最上級アイドルの1組にのし上がる。

しかし、韓国社会に大きな波長を呼んだパク・ジェボム2PM永久脱退事件を前後にした後嵐の余波で、最上の席をそんなに長く守ることが出来なくなる。以後、アイドル市場の膨大な膨張による3大企画会社以外の芸能企画会社アイドルたちの成功、オーディションプログラムの活性化、既存音市場の多様性増大などで、全盛期の頃に比べられない現在を送っている。したがって、現在はグループブランドレベルの維持及び向上より、個人の活動領域を構築することに力を入れている。メンバーたちの入隊ラッシュによる軍白期が神話、SHINeeより更に長かった点もこれ示唆することである。

野獣アイドルという独創的なコンセプトで構築された健康で健全なイメージと大衆的な認知度、好感度を元に数多くの広告を担当したボーイズグループでもあり、広告効果も良く再契約率も高い。TVCFモデルランキングでグループとメンバー幸子人が共に上位圏に入ったこともある。コカ・コーラの場合、世界中のモデルの中で最初に再契約を達成した。

これらのグループの力とメンバー個々人の能力をもとに、6人のメンバー全員の個人活動領域もしっかりと位置付けられている。メンバー別認知度や能力の差が大きくないグループといえる。

2021年3月20日、ジュノを最後に全てのメンバーが国防の義務を終えた。

メンバー[編集]

2PM 現メンバー.png

(左から)ニックン、テギョン、ウヨン、ジュノ、JUN.K、チャンソン

脱パク・ジニョンを始めて以来、最近は個性が溢れているが、10年前はJYPは会社の色に合ったメンバーだけを選び、全てパク・ジニョン化して個性がないメンバーが多かった。だが、事実2PMはメンバー別個性が強いチームだ。単に外見だけを見ても、全てのメンバー達の顔のカテゴリーが違う事が分かり、ファンにアピールする魅力もそれぞれ異なり、メンバーが作詞作曲した曲やコンサートで行うソロ舞台を見ても、各自が追及する音楽的カラーが全く異なる。ダンススタイルもメンバー別カメラで見ると、それぞれのスタイルが非常にしっかりしている。このようにメンバーの個性が多く、強ければグループとしてまとまらなくなるが、2PMは全てのメンバーの個性がそっくりなグループのようにまとまったチームだ。グループ色を重視し過ぎるとメンバー個々の人の魅力が埋もれることが多いが、2PMはしっかりとしたチームカラーとメンバー別個性を同時に掴んだ成功的なキャスティングであると言うことが出来る。そしてメンバーたち全員オールラウンダーポジションを務める事が出来る。

その他珍しい事項としては、メンバー全員が高校を卒業した後にデビューしたこと。リーダーがいないこと。全てのメンバーが作曲及びプロデュースをすることである。

元メンバー[編集]

  • ジェボム。

本名パク・ジェボム。リーダー、リードボーカル、メインダンサーを担当していた。

活動[編集]

2008年:デビュー[編集]

2008年「Hottest Time Of The Day」でデビューした。このアルバム名に由来したのが公式ファンクラブ名である「HOTTEST」であるら、タイトル曲は「10点満点に10点」

デビュー初期から2PMが注目されていたのは、他のアイドルグループのように固定的で加飾的なイメージではなく、その時必要なイメージを直接作って使用したという点だ。デビュー前JYP新人育成プロジェクト「熱血男児」を通じて、サバイバル競争リアリティを広げ、その時から少数だかファンダムが集まり始めた。そうしてデビューしたのが2PMと2AMであり、これはミステリーの中で誕生するようにデビューしていた既存のアイドルグループではなくリアリティフレンドリーなグループになるのに重要な基礎となったと見ることが出来る。このようなイメージチェンジは当時、その時出演した番組のコンセプトに合った形のイメージをその時使用して既存の番組に違和感なく溶け込んで、2PMの名前を広く知らせる原動力となった。一例として、2PMがメインにはったケーブルテレビ番組「出た!彼女」シーズン3は2PMのおかげでケーブルテレビドラマでは大ヒットと言える視聴率を記録し、他のアイドルたちは主人公としてシーズン制に進行されたりもした。その後、舞台では徹底的に壊れるギミックを2PMの特徴として、10代と20代女性の爆発的な支持を得ることになる。今まで見られなかったスタイルのアイドル、完璧なルックス、パク・ジニョンの作曲能力が最も光を放った時期で、特別なコンセプトを決めなくても音楽とダンス、パフォーマンスなどでシンドローム級の人気を集めた。事実上デビューからアイドル春秋戦国時代の強者として位置づけられた。

2009年~2010年:全盛期[編集]

各種歌謡番組1位、2009Mnetアジアンミュージックアワードで2009年の歌手賞、2009KBS歌謡大祭りの2009年の歌賞受賞の栄光を2PMに抱かせた時期だ。この時期2PMは確かに既存のアイドルたちにとって脅威となる存在であり、ファンダムも急速に巨大になっていた。Mnetのリアリティプログラムは、認知度や人気を絶頂にする起爆剤の役割をした。しかし、上記のプログラムが放映される途中、2PMが本格的に全国民に知られるようになった事件が発生する。

2009年9月5日、チームのリーダーだったパク・ジェボムが過去にマイスペースで書いた文の誤訳論議が起こる。後に議論が続くと結局パク・ジェボムは謝罪と共に米国に出国することとなり、以後パク・ジェボムの復帰の可否が関心を集めたが、結局永遠にチームを去ることになった。2009年12月、パク・ジェボムがJYPに電話をし、過ちを犯したと話したそうだ。私生活に関わる社会的な問題だったと話しているが、詳しいことは分かっていない。メンバーと事務所間で話し合い、もう一緒に はやっていけないという結論に達した。ファンらは脱退理由の真相を伝えられないので、納得がいかないと猛抗議。ニュースや社会的問題になった。

以後、年末歌謡授賞式で賞を受け、2PMのファンダムをさらに強くするきっかけになったとも見ることが出来る。それから2010年1月6日、JYPはジェボムの永久脱退を公式に発表し、7人の活動を待ち望んでいたファンに大きな衝撃を与えた。2PMのファンの中で絶対多数が2PMの7人体制のカムバックを楽しみに待っており、次のアルバムから復帰すると考えていたので、パク・ジェボムの永久脱退が確定すると、多くのファンがアンチに戻った。

それにもかかわらず、パク・ジェボムの復帰を一部では継続し期待していたファンもいたが、パク・ジェボムはサイダースHQ所属し、その期待は一瞬で潰えた。パク・ジェボムはサイダースHQ所属で放送活動を活発に行い、歌謡界ら芸能界にカムバックした。何事もないように芸能活動を続けることとなった。2PMは「HEARTBEAT」以後、ヒット曲を出せなかった為か、パク・ジェボム脱退及び懇談会事件でチームが下落傾向に陥ることとなる。

2010年:懇談会以降[編集]

2010年2月26日JYPの公式でパク・ジェボムの永久脱退が発表された。このことによりパク・ジェボムが復帰する可能性はなくなった。2月27日、2PMメンバーへJYP代表と共に約100人余りのファンクラブ会員を選別し、非公開懇談会が開催された。メンバーたちが直接ファンを説得する為に開催されたが、何を話してもファンの反応は冷ややかで、その懇談会が間違った大きな拡大解釈が広がり、むしろ2PMのイメージに大きな衝撃となった。

懇談会に参加したファンたちは2PMファンの代表格であるファンたちだったが、懇談会の途中にメンバーたちに罵声を浴びせるなど過激な反応を見せたという。ファンの反応は、ジェボム脱退よりはメンバーが懇談会で見せた態度のせいで、より大きな裏切り感を感じたという。ジェボム以外の他のメンバーのファンサイトも沢山閉鎖された。また、ファンは2PMのプライバシーや噂を集めた資料を広めるなど、ファンダムの崩壊危機に置かれた。アンチファンは彼らを2PMではなく6PM、またニックンへのいじめを反映させて5PMと呼んだ。

2010年4月16日、新曲「Without U」のティーザーを公開した。相当数のファンがアンチに戻った状況でも音源とアルバム販売量は1位を記録した。しかし、ファンダムが崩壊したのでランキングの下落は前より速かった。それでもミュージックバンク2週連続1位を達成した。

そして2010年7月31日から8月1日にオリンピック公園体操競技場で初の単独コンサートを開催した。ただ、開催について少々騒動が起きた。

8月末にデジタルシングル「Thank You」を発売し、この曲は単独コンサートで初公開された。曲の内容は自分たちを信じて待ってくれていたファンへの感謝だ。

2010年10月11日ミニアルバム「Still 02:00pm」が公開された。タイトル曲は「I'll Be Back」で、この曲もミュージックバンクで2週1位を記録した。「Without U」の時と比べて大衆の鋭い視線を沢山集めた時期だった。メンバーたちは初コンサート以後発売されたこのアルバムを起点にライブでの実力が全体的にあがったという評価を受ける。特にジュノの場合、リードボーカルポジションだったジェボム脱退以後、「Without U」の活動時からリードボーカルポジションを引き受け、サプライズパートを務めるなど、役割が重くなった分、更に努力し、成長した。 2011年:海外進出の第一歩 韓国では上半期に特別な歌手としての活動はなく、メンバーのテギョンとウヨンが出演した「ドリームハイ」が放映された。テギョンは2010年KBS2「シンデレラ姉」にも出演して演技者として成功したという評価もあった。また、ニックンの「私たち結婚しました」はそれなりの中枢的な役割をもたらした。

2011年5月なは日本デビューシングル「Take Off」を発売し、2011年5月に日本ツアーを開始した。

2011年6月20日、正規アルバム「Hands Up」が発売された。歌も振り付けも酒盛りを繰り広げるクラブの歌である為、飲酒を描写にした曲はあまり良いものではないという理由で審議が行われた。結局、年末の歌謡舞台活動の為に飲酒部分の歌詞が修正され、変更されたバージョンが公開された。

2011年7月15日、正規アルバム「Hands Up」の活動を終え、以降海外活動に集中する為に日本をはじめとするアジアツアー及びコンサートを2年間開催した。2011年5月18日、第1シングル「Take Off」で日本デビューし、成功して以来2PMは第2シングル「I'm your man」と第3シングル「Ultra Lover」が日本の各種チャートで1位を占め、日本デビュー韓国アイドルグループとしてトントン拍子に進み、韓国国内に劣らず大きな認知度を獲得した。そしてこの年の11月30日、2PMは日本1stアルバム「REPUBLIC OF 2PM」を発売し、日本での名声を震わせた。記事によると、2PMのメンバーはこのアルバムを完成させる為に沢山の努力と苦労をしたという。

以後、集中していた日本活動で良い反応を得ながらも韓国で以前と同じシンドローム級の人気が続いていたわけではないが、歌謡界のトップクラスのアイドルとして活動し続けた。

メンバーのテギョンは日本のドラマ「僕とスターの99日」に出演し、女優キム・テヒと共に呼吸のあった演技をみせ、日本でのシンドローム級の人気に拍車をかけた。

2012年:日本活動危機[編集]

5月に「2PM Member's Selection」限定版ベストアルバムが発売された。収録された曲は全て新たに録音したバージョンで発売され、これまで成長した姿を余すことなく見せた。タイトル曲「Only you」ではこのアルバム活動はしなかったが、本当に珍しい2PMの自然光の下で撮影されたミュージックビデオはファンの大きな反響があった。

そして、9月頃にメンバーJUN.Kが華やかにカムバックすると発表していたが、2012年7月24日、メンバーのニックンが夜明けに飲酒運転をしてしまった。これで2PMは反強制的に自粛期間に入った。そして9月に発売する3thアルバムにはメンバーのテギョンのソロ曲も含め、明るいコンセプトのアルバムで発売予定であったが、ニックンの飲酒運転事故によりチーム内の雰囲気を考慮してアルバムのコンセプトを全く変えた。

これにより2012年を起点に韓国国内より海外活動にさらに力を入れるようになり、韓国国内では芸能、広告とツアーコンサートに専念した。日本では4thと5thシングルである「Beautiful」と「Masquerade」をそれぞれ163.463枚、149.723枚を売り上げた。夏にはメンバーのウヨンのソロアルバムが発売されたが、その当時「江南スタイル」が韓国国内で爆発的な人気を博していた為、6万枚ほどアルバムを売ったにもかかわらず、注目されなかった。

2013年:A.D.T.O.Y.危機[編集]

2011年「Hands Up」以降2年間の空白の期間を経て3thアルバム「Grown」でカムバックしたが市場最低の実績をみせた。メンバーの平均年齢が26歳になった時点で元々セクシーなコンセプト以外は追随を許さなかった為、20代半ばの男性が出来る最高のコンセプトでカムバックしたが、2PMがいない間に成長したINFINITE、EXOなどが人気をはくしており、全体的に売り上げを伸ばすことが出来なかった。何よりもダブルタイトル曲で発表された「この歌を聴いて戻ってきて」と「ハ・二・プン」がストリーミングや音源市場で惨敗に終わった。ちなみに両曲ともパク・ジニョンの曲である。

ただし、個人的には自己演技の基盤を固めていた。ジュノは初の日本ソロツアーと初の映画主演作「監視者たち」がそれぞれ7月に開始し、公開された。テギョンも初の映画主演「結婚前夜」が11月末に公開された。

2014年:ミダレテミナ[編集]

1年後の2014年に正規アルバム「ミダレテミナ」で活動したが、メンバー全員が失敗作であることを認めた。

上半期は「私たち結婚しました」に出演したウヨンを除けばメンバー個々のソロ活動を重要視していた。JUN.Kとジュノはそれぞ!日本で自らプロデュースしたアルバムを発売し、ソロツアーを成功させた。ニックンは中国で活動の幅を広げていた。そして長らく待った最後に、2014年9月15日正規第4アルバムでカムバックした。10月にソウルから始まったコンサートツアーも予定されている。JUN.Kが作詞作曲した「ミダレテミナ」をタイトル曲にし、文字通りクレイジーなクラブ遊びの雰囲気を込めた。その他の曲は全体的に夢幻的な感じで、ほぼメンバーが作詞作曲に参加した。

今回はTEEN TOP10と対決を繰り広げることになったが、結論から言えば、一度も1位をとることは出来なかった。

この時期にイ・ソジンと縁があったことから、テギョンは芸能番組で視聴率2桁の数字をとる大ヒットをだした。おかげでテギョンの大衆的な好感度も大きく上昇した。

2015年:My Home[編集]

紆余曲折の末、2015年6月15日正式に正規5枚目のアルバム「NO.5」を発表してカムバックした。JUN.Kがプロデュースし、アルバム制作過程に全く参加していないパク・ジニョンは「修正するところがない」とSNSを通じて絶賛した。タイトル曲は「My Home」のミュージックビデオにはミスコリアの義務・ユミがヒロインとして出演した。また、以前の2PMムービーとは違っておとぎ話の物語のような豪華なコンセプトで、曲は全体的にナイーブな感じで4枚目のアルバムとは全く違う雰囲気で作られた。ラップメイキングまで含めると、全12曲のうちなんと8曲をオク・テギョンが手掛けた。他にはタイトル曲を含む2曲をJUN.Kが、チャンソンが作詞を含む3曲、ジュノが1曲書いた。今回のアルバムも前作「ミダレテミナ」のように全ての曲が夢幻的な感じをリスナーたちにプレゼントする。

所属事務所側は新曲の反響によって7月中旬まで活動を続けると発表したが、6月最後の週がコンサート準備で全部事前録画行われ、7月GOT7の出撃とジュノのソロツアーで結局活動が短くなると予想された。

2月末から3月初めまでウヨンの初の日本ソロツアーが行われた。以前ソロツアーを行っていたジュノ、JUN.Kと同様にアルバムや公演の全体プロデュースを本人が担当した。3月末にはジュノが出演した「20」を皮切りに、俳優としての立ち位置を固めていった。また、7月にジュノの3回目の日本ソロツアーが行われ、9月にメンバーの中で初めて今まで発売した日本ソロアルバムの収録曲から曲を選び、ベストアルバムを発売し、韓国ソロコンサートを開くことになった。テギョンは数々のドラマに出演した。

ジュノが軍隊を待っている2020年初めから未知のYouTubeアルゴリズムのため、「My Home」のミュージックバンクの舞台を始め、2PMのヒット曲の映像アップし、肯定的な効果をもたらした。

2016年:メンバーたちの入隊前最後にの活動[編集]

3月ころにはメンバーのジュノとチャンソンがそれぞれドラマに出演し、人気を集めた。また続いてテギョンが7月からドラマに出演した。

2016年8月9日には、JUN.Kの韓国での初のソロアルバムである「Mr.NO♡」が発売された。タイトル曲は「Think About You」

最後にステージで歌った曲は「I'll Be Back」だった。そして、2016年9月13日に2PMが正規6枚目のアルバム「GENTLEMEN'S GAME」でカムバックした。タイトル曲はメンバーのテギョンが作曲した「Promise」2017年初めにJUN.Kとテギョンが入隊予定だったので、メンバーたちの軍入隊前最後のアルバムだった。

2017~2021年:兵役履行による空白期[編集]

本格的に兵役履行が始まり、2PMのメンバーの中で初めてテギョンが2017年9月4日に入隊した。

残ったメンバーさ各自個人活動をして2018年1月31日、軍服勤務中のテギョンを除いた2PMメンバーがJYPエンターテイメントと再契約をして所属事務所内対外広報理事座に選任された。しかも2回目の再契約はJYPエンターテイメント史上2PMが最初だという。

2018年平昌冬季オリンピックで久しぶりに完全体特別公演を開催する予定だったが、公演を数日前にしてJUN.Kの飲酒運転記事が浮上し、結局6人の完全体のステージは見られなくなった。


2018年1月にウヨンが韓国で2枚目のソロアルバム「別れる時を」を発売し、韓国で初の単独コンサートも行った。

2018年5月8日、テギョンに続いて2番目にJUN.Kが入隊し、同年7月9日、3番目にウヨンが入隊した。

2018年7月25日テギョンが再契約をせずにJYPエンターテイメントを離れ、新しい事務所と新たに契約を結んだ。2PMを脱退するのではなく、俳優側のマネージメントだけが新しい所属事務所で担当する予定であり、2PM関連日は依然としてJYPで行うという。

2019年5月16日にテギョンが除隊し、続いて5月30日ジュノが代替服務を開始することになった。そして6月11日チャンソンも現役に入隊し、メンバー全員が国防の義務を遂行することになった。

2020年1月2日にメンバーJUN.Kが2番目に除隊した。 2020年2月28日にメンバーウヨンが3番目に除隊した。 2020年1月5日にメンバーチャンソンが4番目に除隊した。 2021年1月14日に2PMの所属事務所JYPエンターテイメントは公式を通じて2021年3月ジュノが除隊した後、6人完全体でカムバックをすることを発表した。2021年3月20日にメンバージュノが5番目に転役した。

2021年6月7日深夜になり、2PM公式Twitterにて、完全体で6月28日にカムバックする予定の正規7枚目アルバム「MUST」のティーザーが公開された。

2021年:5年ぶりの完全体カムバック[編集]

2021年6月28日正規7枚目アルバム「MUST」で完全体カムバックをした。タイトル曲はウヨンが作詞作曲した「MUST」である。アルバムに収録された計10曲のうちウヨンがタイトル曲、作詞を含む2曲、JUN.K4曲、テギョンが1曲参加した。

9月4日、13周年デビュー日を記念してオンラインファンミーティングを開いた。以後、2021年9月29日、日本アルバム「With me again」発売及び活動が行われている。

2023年、デビュー15周年控え完全体でのライブ準備[編集]

  • 2023年2月1日、JYPエンターテインメントの関係者が、「2PMがコンサートを計画している。今後のスケジュールが確定したら、正式に発表する」と告白。ファンの期待を集めている。
  • 完全体のライブに先立ち、ジュンケイ、ニックン、ウヨンは2023年3月4日、東京・有明アリーナにて一夜限りのプレミアムイベントを開催する。イベント名は「From 2PM To You 2023」。3人は手書きの日本語メッセージとともに、「ぜひ期待してください!」などと日本ファンに熱い思いを伝えた。

チャンソンの結婚[編集]

  • 2021年12月、公式SNSを通じて一般人の恋人が妊娠初期で、2022年に結婚すると発表した。チャンソンの妻は8歳年上だという。
  • 2022年7月26日、チャンソンの所属事務所L'Julyエンターテインメントの関係者はedailyの取材に「チャンソンの妻が最近、女児を出産した」と伝えた。

日本での人気[編集]

第2世代韓国ボーイズグループの人気順で東方神起BIGBANGSHINeeの次に挙げられる。日本5大都市16万人の動員アリーナツアーで座席の初動売りでチケットを入手できなかった現地のファンの要請で注釈付席までオープンして全席完売させるほどで、ソロでも観客を動員できる。2016年10月26日、27日両日間の開かれた東京ドーム公演で日本で100回目の公演だった。両日観客動員数は10万人で、東京ドームどコンサートができる数少ない韓国アイドルのグループの一組だ。2016年日本コンサートツアー観客動員数ランキングでBIGBANG、SHINee、iKONの次に26万人を記録した。

そして、男性アーティストとしては、最初に日本の有名ファッション誌バイラの表紙を飾った。バイラは日本出版社の集英社で出版する女性ファッション誌で、女性たちから高い人気を誇る。2001年創刊以来15年間、女性が表紙モデルを務めてきたが、パイラに男性アーティストとしては初めて2PMが表紙を飾った。