JUN.K
ジュンケイ.png
基本情報
本名 キム・ミンジュン
誕生日 1988年1月15日
年齢 36歳
国籍 大韓民国
ポジション メインボーカル
身長 / 体重 180cm cm / 68 kg
血液型 A型
事務所 JYPエンターテイメント
所属グループ 2PM
公式サイト Instagram



概要[編集]

非常に才能に優れ、更にその才能を育て続けたアーティスト。 2PMの長男であり、ポジションはメインボーカル。日本の雑誌で「メンバーが家族なら?」という質問に一人のメンバーが「隣のおじさん」と答えたことがある。いつも弟たちに優しく、愉快でチーム内の雰囲気メーカーだから出てきた答えである。

中学生の時、スティービー・ワンダーのライブ映像を見て歌手を目指し始め、高校在学時代の歌謡祭で金賞を受賞するなど頭角を現し始めた。初めは地父親の反対があったが、前にも述べたように歌謡祭で賞を取るようになり、徐々に賞のスケールが大きくなり、商品として21インチのテレビを受け取って帰ると許してくれたという。YGエンターテイメントとJYPエンターテイメントに同時合格したが、現在所属会社であるJYPを選択した。デモテープを送ったあと、ヤン・ヒョンソクに直接会い、 絶賛を受けたという。JYP公開オーディションを受けた時、パク・ジニョンが「私は君を観るためにここに来たんだ」と話したという。当時1600倍の競争率を突き抜けて1位でJYPに入社した。以後4年余りの練習生期間を経て2008年9月4日に2PMとして、シングル「Hottest Time Of The Day」でデビューした。

当時、番組に2PMとして出演した際に、サプライズゲストとして2AMが登場し、練習生の時の夜に宿舎を脱出するなどかなり逸脱していたという暴露があったが、JYPの代表長期練習生出身のチョ・グォンの言葉では「私達から見ても生き残った唯一の練習生」だという。練習生時代公開オーディション1位だったが目立った外部活動がなかった。にも関わらず乗り切った。外見にお洒落なファッション、飛び抜けた実力により関心のあるファンの間ではとても噂になっていた。そしてJYPのエースと呼ばれた練習生だった。入社して数ヶ月もまだ経っていない時、YGの練習生とのバトルに参加したという。JYPのエースなどとファンだけがそのような扱いをしたわけではなく、一緒に練習生時代を過ごした仲間たちによれば、テストする際は常に一番に出て歌を歌い、自信に溢れた人だったという。練習生当時のタイトルが伝説の練習生である。

運動が嫌いだが、基本的に肩が広く太ももがしっかりしているので運動を少ししただけでもかなりセクシーな身体つきに変わった。意外に様々な顔を見せるが、まさに陽気な漫画から飛び出したような表情を見せる時もあり、化粧や表情によって男らしい印象や女性らしい印象まで多彩に表現する。2PMメンバーのうち私服ファッションセンスが良い方だ。ただ、最近は以前のシンプルな私服を懐かしむファンも存在するようだ。

改名[編集]

芸能界ではかなり珍しく、活動の途中で改名をした。特異なケースである。もちろん、このような芸能人が全くいないわけではないが、アイドル歌手で特に人気があるアイドル歌手の中では前例がない。珍しく本名と芸名を全て一緒に変えた。改名前の名前はキム・ジュンスロであった。ラジオスターにも言及し、覆面歌王に出て正体を公開した後も改名をすることになった理由を明らかにしたが、父はずっと改名をさせたがっていたという。本人は芸能人として名前を変えるということに反感を持っており改名をしないことにこだわっていたが、父が亡くなり、以後母も健康状態が悪くなったことから「私のせいで家族に悪いことが起こるのではないか」と思い、リスクであったにも関わらず改名したという。

芸名はJUN.K(ジュンケイ)に改名した。キム・ミンジュンという名前の俳優がいる上、ジュンケイはJUN.Kと芸名を変更した。しかし、まだ大衆にはJUN.Kよりジュンスという名前が依然として多く知られており、覆面歌王に出演した時も依然としてJUN.Kではなくジュンスと呼ばれていることもあった。出演者が彼を「ジュンス先輩」と言ったり、製作陣も「ジュンス」と字幕を使ったりとファンダムの反発を呼び起こした。彼自信も仮面を脱いだ後にこう言った。「びっくりしました。ジュンスと呼んでください。変えて数年になりますが」と笑いを誘った。

ポジション[編集]

メインボーカル[編集]

R&Bに似合うセクシーでソウルフルな声が特徴だ。音色は好き嫌いがわかれるという評価が多いが、声量は認めなくてはならないほど大きい。一人で声量が多いため、音楽放送ではマイクの音量を減らす程だという。 そしてボーカルではなく、ラップの腕もある方であり、一部収録曲や本人の収録曲でラップをしたり、テギョンが不参加の公演ではテギョンのラップパートを代わりに担当した。

作曲のスペクトルが広い。正統バラード、ヒップホップダンス、R&Bなど様々な曲を使い分けることができると評価を受ける。所属事務所の広報が少なく、彼の作曲の実力は大衆に知られていないが、評価がいい曲が多い。2014年には本人がプロデュースしたソロアルバムを日本で発表し、ソロツアーを行った。そして同年に2PMの4枚目のアルバムでタイトル曲を作詞、作曲、プロデュースまで手掛けた。

踊るときは特有のスタイルがある。JYP入社後初めてダンスを学んだ。メインボーカルポジションだが、2PMのメンバーであるだけに、ダンスもかなり上手い。ソロタイトル曲でも振り付けが抜けたことがない。

もう1つの特技はポジション破壊。本人が作曲した2PMの曲でラッパーのテギョンに歌をさせたり、ボーカルのウヨンにラップをさせたりすることがある。お互いをとてもよく知っているので可能なことだ。

留学経験はないが英語を上手に話す。ネイティブなニックンと留学経験があるテギョンがおり、あまり表に出てこないが、彼も英語でフリートーキングがきちんと出来る。

個人活動[編集]

韓国[編集]

2016年8月9日ファーストミニアルバム「Mr.NO♡」が発売され、タイトル曲「THINK ABOUT YOU」と収録曲「YOUNG FOREVER」のミュージックビデオが公開された。タイトル曲「THINK ABOUT YOU」は別れた恋人を懐かしく思い続ける感じを表現した曲だ。

2017年1月12日にスペシャルアルバム「77-1X-00」が発売され、タイトル曲「no shadow」のミュージックビデオが公開された。そして1月14日〜15日初の韓国ソロコンサートが開催された。

2017年11月20日に二枚目ミニアルバム「私の20代」が発売され、タイトル曲「引っ越す日」のミュージックビデオが公開された。合計5トラックで構成されたアルバムは、本人が直接プロデュースした。

2020年12月9日三枚目ミニアルバム「20分」が発売され、タイトル曲「30分は断るかと思って」のミュージックビデオが公開された。タイトル曲「30分は断るかと思って」という別れを直感した男が30分は長すぎるが10分は短いので、心を表現出来るようにちょうど20分だけ時間をくれと哀願する心情を込めた歌だ。2PMのアルバムとメンバーたちのソロアルバムを含めても外国人の作曲家のタイトル曲が選ばれたのはこのアルバムが初めてだ。タイトル曲の作曲を除いたプロデュースは全てJUN.K本人が担当した。

日本[編集]

2014年5月14日に発売されたミニアルバム「LOVE&HATE」は2014年3月6日に現地予約販売を開始、日本最大のレコードサイトであるタワーレコード予約チャートの1.2.3位を独占するなど関心を集めた。続いて発売と同時にオリコン日刊アルバムチャート1位はもちろん、タワーレコード日刊チャート1位にもなった。タイトル曲「LOVE&HATE」、アルバムは計6トラックで本人が直接プロデュースしたアルバムだ。

5月8日大阪を皮切りに福岡、千葉、名古屋、札幌、東京など6都市10公演のツアーを開始し、5月26日から5月28日まで千葉の幕張メッセで計3回2万4000人余りの観客の愛を一身に受けてツアーを終えた。ニックンが5月16日の東京公演に、テギョンは5月26日千葉初日公演に、ウヨンとジュノ、チャンソンは5月28日の千葉ファイナル公演に応援に駆けつけた。2PM全員がJUN.Kを応援するために会場を訪れた。プロデューサーパク・ジニョンも千葉幕張メッセで行われたファイナル公演を観覧し、彼の音楽とアーティストとしての成長を大きく褒めた。

日本の有名芸能情報メディアランキングボックスの編集長が選定した「今年最も印象的なライブコンサート」に2PMJUN.KのソロライブコンサートがBEST10に選ばれたりもした。ランキングボックスの編集長は「今年一年個人的に最も多く聴いたアルバムが5月に発売したJUN.Kのソロアルバムである」と称賛し、「JUN.Kのソロライブコンサートは叙情的な音楽だけではなく表現力が豊かだ」と付け加えた。JUN.Kは今回のコンサートランキングBEST10にランクインした歌手のうち唯一のK-POP歌手であった。

2015年11月25日に2枚目のミニアルバム「Love Letter」が発売された。タイトル曲は「Love Letter」で、やはり全曲を直接プロデュースし、以前より更にアップグレードされた公演で再びランキングボックスコンサートランキングBEST10にランクインした。

2016年12月14日に3枚目のミニアルバム「NO SHADOW」が発売された。タイトル曲は「NO SHADOW」で同名のタイトルで行われたツアーが3年連続でランクインボックスコンサートランキングBEST10にランクインされる快挙を成し遂げた。

2018年4月4日には4枚目のミニアルバム「NO TIME」が発売された。タイトル曲は「Ms.NO TIME」。

2021年3月10日に5枚目のミニアルバム「THIS IS NOT A SONG 」が発売された。ルネ・マグリットの「This Is Not A Pipe」という絵からインスピレーションを得て作った曲だという。

ミュージカル[編集]

2013年2月に上演したミュージカル三銃士で主演のダルタニャン役を演じた。デビューステージだったにも関わらず評価がとても高い。

2013年11月、日本で上演した韓国ミュージカルジャック・ザ・リッパーでは外科医ダニエル役を務めた。

2021年12月、ミュージカルイコルイクオルで主演のテオ役を務めた。

炎上[編集]

飲酒運転[編集]

2018年2月10日午前7時頃に飲酒運転をし、取り締まりに摘発された。当時彼の血中アルコール濃度は0.074%増で免許停止水準だった。2PMは2018年2月19日に開催された「ヘッドライナーショー」に参加する予定だったが、彼の飲酒運転で6人組の完全体を披露する機会が完全になくなった。同じグループのメンバー、ニックンが犯した犯罪を自分も同じように犯してしまったことになる。

所属事務所JYPエンターテイメント側は13日、「本社所属のアーティストJUN.Kの飲酒運転の事実について心からお詫び申し上げます」と公式の立場を明らかにした。暫く全ての韓国での活動を中断するが、日本での活動は日本会社との契約の関係で3月22日まで行われる日本ソロツアーを終えた後、自粛に入った。

この飲酒運転のため、2018年4月10日にJUN.KはKBS、EBS、MBCはもちろん、MBNやJTBCなどのケーブル放送会社でも出演停止名簿にあがった。

2018年5月8日公式ホームページに反省して生きるという手書きの手紙を残して非公開入隊した。

2020年9月25日、2021年1月29日に放送されたMBCバラエティ番組に特別なぼかし処理や編集なしでの資料画面で登場することでMBC出演作停止が解除された。

2020年12月13日に放送されたMBNバラエティ番組にゲストとして出演しMBN出演停止も解除された。

2021年に放送されたJTBCバラエティ番組「知ってるお兄さん」にゲストとして出演、KBS音楽番組「ミュージックバンク」に出演し、JTBC、KBSの出演停止も解除された。

自宅期間中の整形手術疑惑[編集]

JUN.Kは入隊1ヶ月前の2018年4月上旬、整形外科で顎関連顔面整形手術を受けたという。自粛期間に整形手術を受けることは自粛の意味を衰退させると指摘された。更に、軍入隊をわずか1ヶ月後なの控え、回復期が必要な手術をすることも一般的に適切ではないと指摘された。

2018年6月7日、JYPエンターテイメントは公式ホームページなどを通じて「JUN.Kは訓練所入所後肩の痛みを感じて国軍病院で関連診療と処方を受けたことはあるが、その他異常なく健康に訓練中です」と明らかにした。また「去る5月入隊後の訓練兵のうち小隊長訓練兵として選抜され、漆器試験などても良い成績を得て、メンバーたちにも褒め賞電話をするなど模範的な軍生活をしています」とも付け加え、整形手術論議を沈めた。

余談[編集]

・「Again&Again」の活動をしていた時代に襟が高く上がっている衣装を着たり、顎にマスクをかけるなど顎を覆っており、顎整形疑惑があった。ドラゴンファッションという。

・2009年に鼻炎手術を受けた。鼻炎の外科に加えて、軟骨の怪我、指の怪我など大小の怪我や病気が多かった。アクロバティックパフォーマンスをする2PMだからこそメンバーたちは負傷を避けられないが、この中でも怪我や病気が多いメンバーの一人だった。

・過去に比べて細かく変わったルックスで整形説が提起されたが、これに対して本人は化粧法の変化だと解明した。実際に鼻の周りに過度なシェーディングをしており、鼻が明確になる。横からみた鼻の高さは過去と今と変わらない。

・2010年「I'll Be Back」の活動時、メンバー全員が出演したバラエティでバラエティ感を誇った。大衆は「あんなに面白い子だったのか」という反応だった。そしてこの放送でメンバーたちは彼の本当の姿が現れたと喜んでいた。

・2018年5月8日に非公開で軍入隊をした。入隊の前にファンに心境を込めた手書きの手紙を残した。

・画家ルネ・マグリットの大ファンだ。カカオトークのプロフィール写真もルネ・マグリットの「The Listening Room」であり、軍隊休暇が出てきてもルネ・マグリットの展示を見に行くほどだ。2020年6月に発表した曲「THIS IS NOT A SONG,1929」もルネ・マグリットの「This Is Not A Pipe」にインスピレーションを受けて作った曲だ。

・肩がとても広く、肩の長さがなんと52cmだ。