三岸好太郎

三岸好太郎
みぎし こうたろう
誕生日 1903年4月18日
死亡日 1934年7月1日
死亡年齢 31歳
出身地 北海道札幌
国籍 日本
学歴 札幌第一中学校
職業 洋画家
活動期間 1923年〜1934年
代表的な実績 独立美術協会の最年少会員/戦前モダニズムの旗手


概要[編集]

三岸好太郎(みぎし こうたろう、1903年4月18日 - 1934年7月1日)とは、日本の洋画家。わずか11年ほどの画業のあいだに、道化・蝶・貝殻といったモチーフで画風を次々に変貌させ、彗星のごとく駆け抜けた戦前モダニズムの旗手らしい。31歳の若さで急逝した夭折の天才として、今なお熱心なファンが多い。妻は同じく画家の三岸節子。

生い立ちと独学[編集]

札幌に生まれ、札幌第一中学校を卒業。17歳のとき画家を志して上京し、さまざまな職に就きながら独学で絵を学んだという苦労人である。アカデミックな美術教育を受けないまま、感性と勉強だけで一線級にのし上がった点に、その早熟な才能がうかがえる。

春陽会でのデビュー[編集]

1923年、第1回春陽展に《檸檬持てる少女》が入選。翌1924年の第2回春陽展では春陽会賞を首席で受賞し、画壇に鮮烈な印象を残した。同年、画家を志す吉田節子(のちの三岸節子)と結婚している。初期はどこか叙情的な人物画が中心だった。

独立美術協会と変貌[編集]

1930年、福沢一郎らとともに独立美術協会の結成に参加し、最年少の会員となった。道化(ピエロ)をモチーフにした作品群で注目を集め、その後も蝶や貝殻を散らした幻想的・シュルレアリスム的な画面へと、目まぐるしく作風を変えていった。短い活動期間に複数のスタイルを横断した実験精神は驚異的とされる。

夭折[編集]

1934年7月1日、旅先で急逝。31歳という若さだった。妻の三岸節子はその後も長く画家として活動を続け、1999年に94歳で世を去るまで明るい色調の絵を描き続けた。北海道立三岸好太郎美術館には、その短くも濃密な画業がまとめて収蔵されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]