概要[編集]

裏ビデオ(うらビデオ)とは、日本で性器部分にモザイクなどの修整を施さずに制作・複製され、正規の流通ルートを通らずに売買されたアダルトビデオの通称である。審査を通って店頭に並ぶ「表」のビデオに対し、店の奥や路上、通信販売といった「裏」のルートで出回ったことからこう呼ばれた。1980年代の家庭用ビデオデッキ普及とともに一大ブームとなり、昭和末期の大衆文化・アングラ文化を語るうえで外せないキーワードになっている。

詳細[編集]

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VHSビデオカセット。裏ビデオは主にこの規格で、ダビングを重ねながら流通した(出典:ウィキメディア・コモンズ)

「裏」とは何か[編集]

日本では刑法175条のわいせつ物頒布等の罪により、わいせつと判断される図画・映像を不特定多数に頒布・販売・公然陳列することが禁じられている。そのため正規のアダルトビデオは、日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)などの自主審査団体を通し、モザイクをかけた状態で販売・レンタルされてきた。この審査済みの商品が「表ビデオ」、修整なしで非正規に流れたものが「裏ビデオ」という対比である。つまり裏ビデオは特定のジャンル名ではなく、流通の仕方と修整の有無による区分で、内容が何であれ審査外・無修正で売られていれば裏ビデオと呼ばれた。

ブルーフィルムからビデオへ[編集]

無修正の性的映像そのものはビデオ以前から存在した。戦前から戦後にかけては8ミリや16ミリのフィルムで撮られた「ブルーフィルム」があり、温泉街や宴会場での秘密上映会、ブローカーによる売買が行われていた。ただしフィルムは映写機が必要で、見るのにも複製するのにも手間がかかる。これを一変させたのが家庭用ビデオテープレコーダーで、テープさえあれば自宅のテレビで再生でき、デッキを2台つなげば誰でもコピーが作れる。この「再生の手軽さ」と「複製の手軽さ」が、裏ビデオを一部の好事家の世界から大衆的な現象へと押し上げた。

名前の広まり[編集]

「裏ビデオ」という言葉自体は、先行して流行した写真集の「裏本」に倣った呼び名とされる。1980年代前半には週刊誌や夕刊紙が盛んに取り上げ、ゴールデンタイムのバラエティ番組でもネタとして口にされるほど一般化した。実物を見たことがなくても、言葉だけは誰もが知っているという状態になり、昭和50年代後半〜60年代の流行語的な存在として記憶されている。現在では「無修正動画」「無修正AV」といった言い方に置き換わりつつあるが、年配層を中心に今も通じる言葉である。

歴史[編集]

前史:ビニ本と裏本[編集]

裏ビデオの直接の先祖は出版物である。1970年代末、東京・神田神保町の芳賀書店が立ち読み防止のためにポリ袋で包装した写真誌が「ビニ本」と呼ばれ、1979年頃から専門店の登場で爆発的なブームとなった。ビニ本は一応「消し」を入れた合法の範囲を狙った商品だったが、1981年秋ごろには修整なしの写真集「裏本」が出現。題名に「法隆寺」「金閣寺」といった寺社名を付けた作品が話題になり、1983年頃に一つのピークを迎えた。のちにAV監督として名を馳せる村西とおるも、この時期は北海道から全国へビニ本・裏本の販売網を広げた業者で、1984年に摘発されて有罪判決を受けている。

1980年代前半:『洗濯屋ケンちゃん』の衝撃[編集]

裏ビデオを一躍有名にしたのが、1982年頃に出回った『洗濯屋ケンちゃん』である。クリーニング店の青年「ケンちゃん」を主人公にしたドラマ仕立ての作品で、テレビや映画の現場経験を持つスタッフが撮影したため、当時の水準としては画質も構成もしっかりしていたとされる。もとは海外向けに撮られたとも言われ、スタッフが作ったダビングテープはわずか200本程度だったが、ダビング業者から流出してコピーがコピーを生み、最終的な流通量は10万本とも50万本とも言われる。視聴者数は500万人規模という推計まであり、「日本で最も見られた裏ビデオ」として伝説化した。結果的に制作スタッフや主演男優がわいせつ物頒布等の罪で逮捕されている。

ビデオデッキ普及との共振[編集]

裏ビデオの拡大は、家庭用ビデオデッキの普及と完全に歩調を合わせている。内閣府の消費動向調査によると、VTRの世帯普及率は1980年に2.4%にすぎなかったが、1985年に27.8%、1990年には66.8%まで伸びた。まさに裏ビデオブームの時期と重なっており、電器店がデッキの販促として裏ビデオを「おまけ」に付けたという話が今も語り継がれている。こうした話は検証しにくい都市伝説的な側面もあるが、『洗濯屋ケンちゃん』がVHSの普及に一役買ったという説は、ビデオ戦争(VHS対ベータマックス)を語る雑学として定番になっている。

正規AVの成立[編集]

同じ1980年代初頭、合法の範囲で作られる「アダルトビデオ」も産声を上げた。1981年頃から専用ビデオ作品が発売され始め、レンタルビデオ店の急増とともに市場が拡大。修整を入れて審査を通すという枠組みは、成人映画の自主規制から発展したビデ倫が担った。ビデ倫は1972年に東映ビデオ・日活などが警察の摘発を背景に作った懇談会が前身で、1977年に日本ビデオ倫理協会へ改称している。1980年代半ばには美少女路線で人気を集めた宇宙企画、裏本業者から転身した村西とおるのダイヤモンド映像などが登場し、1986年には黒木香の出演作が社会現象となった。表のAVが「アイドル性」や「キャラクター」で勝負できるようになったことで、裏ビデオは「修整がないこと」だけが売りの、より周縁的な存在へと押しやられていく。

1980年代後半〜1990年代:摘発と「流出」[編集]

裏ビデオは常に摘発の対象で、制作者・ダビング業者・販売店が繰り返し検挙された。1989年の昭和天皇崩御前後の自粛ムードの中では、当局による一斉検挙が行われたとも伝えられる。1980年代後半からは、正規メーカーの修整前マスターテープや素材がコピーされて流れる、いわゆる「流出」ものも出回るようになった。表で活躍する出演者の作品が裏で流れるという構図は、出演者にとっては重大な被害であり、業界にとっても深刻な問題だった。また1985年施行の新風営法で性風俗関連の規制が強まり、ビニ本業者の多くはビデオ制作へ業態を移していった。

2000年代:セルDVDと路上販売[編集]

1990年代後半からはレンタルではなく販売用の「セルビデオ」が伸び、ソフト・オン・デマンド(1995年設立)に代表されるビデ倫非加盟の「インディーズ」メーカーが独自の審査団体を作って急成長した。一方、裏の世界でもメディアはVHSからDVDへ移り、新宿・歌舞伎町などの繁華街では、雑居ビルの一室で営業する「裏DVD店」が乱立した。2005年頃の歌舞伎町には約200店があったともいわれる。2004年に東京都が始めた「歌舞伎町浄化作戦」以降も摘発と出店のいたちごっこが続き、2017年11月には警視庁が歌舞伎町の販売店5店舗を摘発、無修正DVD約57万9000枚という過去最大級の押収を行った。

2007年のビデ倫摘発[編集]

皮肉なことに、表と裏の境界線を引いていた審査団体自体が捜査の対象になった事件もある。2007年8月、警視庁は日本ビデオ倫理協会を、モザイクの薄い作品を審査で通したとして家宅捜索。2008年3月には審査担当の幹部らがわいせつ図画頒布幇助の容疑で逮捕された。ビデ倫は同年に審査業務を終え、加盟メーカーは新団体の日本映像倫理審査機構を経て、2010年に映像倫理機構へ合流した。「どこまで薄くすれば表で、どこからが裏か」というグレーゾーンの難しさを象徴する出来事として語られる。

インターネット時代[編集]

「裏ビデオ」から「無修正配信」へ[編集]

2000年代に入ると、物理メディアの裏ビデオは急速にインターネットへ置き換わった。まずファイル共有ソフトで無修正動画がやり取りされるようになり、ほぼ同時期に海外にサーバーを置く有料配信サイトが登場する。運営側は「無修正が合法な国でサーバーを運営し、その国の法律に従っている」という建前をとり、日本の利用者が会員登録して視聴するというモデルである。かつてダビングで画質が劣化した「何世代目かのテープ」は、デジタル配信によって劣化のない高画質に変わった。こうして「裏ビデオ」という言葉は、徐々に「無修正」という言葉に役割を譲っていく。

法改正と海外サーバー問題[編集]

法律側も追いかけた。2011年の刑法改正で175条の対象に「電磁的記録」が明記され、データの送信によるわいせつ物の頒布も処罰対象であることがはっきりした。海外サーバーという建前についても、日本国内で撮影・編集・運営が行われていれば国内犯として処罰しうるというのが捜査当局の立場で、2017年には海外配信サイトの運営に関わったとして関係者が沖縄県で逮捕されている。動画共有サービス「FC2」をめぐっては、創業者が2013年の動画公開に関するわいせつ電磁的記録陳列の容疑で長年国際手配され、2024年11月に帰国時に逮捕、2025年8月に京都地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けた(弁護側は控訴の意向と報じられた)。

違法アップロードとの境界[編集]

2010年代以降は、正規メーカーの作品を無断で転載する海外の違法動画サイトも大きな問題になっている。MissAVなどはその代表例として報道されることが多く、修整済みの正規作品と無修正動画が混在しているうえ、著作権侵害の温床とされる。2020年には人工知能でモザイクを除去した動画を公開した人物が摘発されたとも報じられ、「技術で裏を作る」という新しい形の問題も現れた。一方で、正規側はFANZAなどの配信プラットフォームを通じた適法な配信が主流となり、2022年施行のAV出演被害防止・救済法(いわゆるAV新法)によって、出演契約や公表後の取り消し権などが法律で定められた。

2020年代の路上販売[編集]

スマートフォンで何でも見られる時代になっても、歌舞伎町の路上販売は細々と生き残っているとされる。2024年の報道では、ネットから入手した映像をDVDに焼いて売る業者が存在し、客の多くは高齢男性で年々減っていると伝えられた。摘発されても数日で別のグループが販売を再開するといわれ、いわば「裏ビデオ文化の残り火」のような存在である。

流通と社会[編集]

流通経路[編集]

裏ビデオの売り方は時代ごとに変化した。初期には知人間のダビングや、電器店・喫茶店・スナックなどでの口コミ流通があったとされる。やがて新聞の三行広告や雑誌広告、郵便受けに投函されるチラシを使った通信販売、「リストから選んで後日宅配」という方式が一般化した。繁華街では路上の客引きが案内する店舗販売や、縁日の露店・ガード下などでの立ち売りもあった。なかには買ってみたら別の映像や何も映っていないテープだったという「ガセビデオ」も多く、こうした詐欺的商法の多さも裏ビデオ文化の一部として語られる。

暴力団の資金源とされた点[編集]

裏ビデオや裏本の制作・販売は、警察やマスコミからしばしば暴力団の資金源の一つとして名指しされてきた。原価がほぼテープ代だけで、1本数千円〜1万円超で売れるという利幅の大きさ、摘発されても末端の販売員だけが捕まりやすい構造などが、その理由として挙げられる。ただし、すべての業者が暴力団と直結していたわけではなく、個人や小規模業者による制作・ダビングも多かったとされる。どこまでが組織の「シノギ」だったかを数字で示す公的資料は乏しく、実態は「暴力団の関与が指摘されることが多かった」という程度に理解するのが妥当である。

価格の変遷[編集]

VHS時代の裏ビデオは1本1000円台から1万円超まで幅があり、人気作や新作は高値で取引された。裏本も新刊1冊5000円〜1万円前後と、当時の物価からするとかなりの高額商品だった。DVD時代には大量生産で単価が下がり、ネット時代には1本数百円相当、あるいは違法サイトで実質無料というところまで落ちた。「希少な裏モノを高く買う」時代から「いくらでも見られる」時代への変化は、そのまま裏ビデオ文化の衰退の歴史でもある。

用語[編集]

裏ビデオの周辺には独特の用語が多い。

用語 意味
ビニ本 ポリ袋で包装され、立ち読みできない写真誌。1979〜80年代初頭にブーム。修整ありで店頭販売
裏本 修整なしの写真集。1981年頃から出回り、店頭には置かれず奥から出される形で売られた
裏ビデオ 修整なしで非正規流通したビデオ。裏本からの派生語とされる
表ビデオ 審査を通ったモザイク入りの正規AV。裏ビデオとの対比で使われた言葉
流出 正規作品の修整前素材が外部に流れたもの
薄消し モザイクを極端に薄く・細かくした作品。表と裏のグレーゾーン
ブルーフィルム ビデオ以前のフィルムによる非合法のポルノ映画
裏DVD DVD時代の裏ビデオ。2000年代の歌舞伎町などで店舗販売された

比較[編集]

項目 裏ビデオ 正規AV(ビデ倫系) インディーズ
主な時期 1980年代〜2000年代(以後ネット配信へ) 1980年代〜2008年頃 1990年代後半〜
修整 なし あり(審査基準に基づくモザイク) あり(独自審査団体の基準)
審査 なし 日本ビデオ倫理協会 メディア倫理協会など独自団体(現在は映像倫理機構等も)
主な流通 通販・路上・裏店舗・ダビング レンタルビデオ店 セル(販売)店・通販・配信
法的位置づけ わいせつ物頒布等罪の対象 合法(審査済みとして流通) 合法(審査済みとして流通)
代表例 『洗濯屋ケンちゃん』 宇宙企画、ダイヤモンド映像など ソフト・オン・デマンドなど
現在の後継 海外サーバーの無修正配信・違法サイト 映像倫理機構加盟メーカー 適正AVとして配信中心へ

文化的影響[編集]

大衆文化の中の裏ビデオ[編集]

裏ビデオは非合法の存在でありながら、昭和のポップカルチャーの中では半ば公然の「ネタ」だった。漫画やテレビのコント、深夜番組では「裏ビデオを手に入れた男たち」のドタバタが定番の題材になり、『洗濯屋ケンちゃん』は作品を見たことのない人にまで題名だけが知れ渡った。2004年にはサザンオールスターズの楽曲のミュージックビデオで、ニュース番組風のコントの中にこの作品の名前が登場したことも知られている。

映像史・メディア史としての位置づけ[編集]

メディア史の視点では、裏ビデオは「家庭で好きな映像を好きな時に見る」という体験を早い段階で大衆化させた存在として語られることがある。テレビ放送や映画館とは別に、個人が映像ソフトを買い・借り・コピーするという行動様式が根付いたことは、のちのレンタルビデオ文化やセルDVD市場、さらには動画配信へとつながっていく。もちろん非合法なものである以上、正規のビデオソフト市場と同列には語れないが、「ビデオデッキがあれば何が見られるか」という関心が普及の動機の一つだったことは、多くの回想に共通している。

『全裸監督』と昭和アダルト史ブーム[編集]

2019年に配信が始まったNetflixドラマ『全裸監督』は、ビニ本・裏本の販売から始まり、AV監督として成り上がる村西とおるの半生を描いた。作中では1980年代の裏本業界や摘発、ビデオ業界の勃興がドラマチックに描かれ、裏ビデオ・裏本の時代を知らない世代にもこの時代のアングラ文化が知られるきっかけになった。原作は本橋信宏のノンフィクション『全裸監督 村西とおる伝』で、2021年には続編も配信された。

出演者の権利という視点[編集]

一方、裏ビデオの歴史は、出演者の同意や権利が軽視されてきた歴史でもある。流出ものや無断転載では、出演者が自分の映像がどこで売られているかを知りようがなく、一度出回ったコピーを回収する手段もない。2010年代後半からAV女優の出演強要問題などが社会問題化し、2017年以降は業界側が「適正AV」の枠組みを整え、2022年のAV新法へとつながった。「裏」の歴史を振り返ることは、表の業界がなぜ審査や契約のルールを整えてきたのかを理解する手がかりにもなっている。

余談[編集]

  • 『洗濯屋ケンちゃん』の撮影地は長らく千葉県浦安市の埋立地と言われてきたが、2022年のイベントで起訴状の記載から東京都江戸川区葛西だったことが明かされたという。監督は2001年に撮影の回想録を電子書籍として出している。
  • 裏ビデオ全盛期は、高額で買ったテープが砂嵐だったり、まったく別の番組の録画だったりする「ハズレ」が珍しくなかった。何世代もダビングされた画質の悪さも含めて、「苦労して手に入れること」自体が娯楽の一部だったと懐かしむ声もある。
  • ビニ本の名前の由来となった芳賀書店は、神保町の老舗として現在も営業を続けている。
  • VTR普及率のグラフを見ると、1980年代後半に急カーブを描いており、レンタルビデオ店の急増、正規AVの誕生、裏ビデオブームがすべて同じ時期に重なっている。
  • 歌舞伎町の裏DVD店では、客引きが指で「D」の形を作って合図していたという話が雑誌記事で紹介されている。

外部リンク[編集]

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