| Toru Hotohara ほとはら とおる | |
|---|---|
![]() 蛍原徹(2026年9月、テレビ朝日系『耳の穴かっぽじって聞け!』出演を報じた記事より。出典:デイリースポーツ) | |
| 本名 | 蛍原徹 |
| 誕生日 | 1968年1月8日 |
| 年齢 | 58歳 |
| 出身地 | 大阪府門真市 |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妻(2004年に一般女性と結婚) |
| 身長 | 166cm(公称。2024年の番組で実測164cmと判明) |
| 体重 | 65kg(公称) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 大阪府立門真高等学校 卒業、NSC大阪校7期 |
| 職業 | お笑い芸人、タレント、司会者 |
| 肩書 | 『アメトーーク!』MC |
| 活動期間 | 1988年 - |
| 代表的な実績 | 雨上がり決死隊(1989年 - 2021年)、『アメトーーク!』MC(2003年 - )、『R-1ぐらんぷり』司会(2004年 - 2020年)、『炎の体育会TV』MC(2011年 - 2023年) |
| 受賞 | 第13回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞(1992年、雨上がり決死隊として)、第21回上方お笑い大賞銀賞(1992年、同) |
| 事務所 | 吉本興業 |
| 関連活動 | 雨上がり決死隊、吉本印天然素材 |
| 別名 | 雨上がり決死隊 蛍原徹(2019年 - 2021年の芸名) |
| あだ名 | ホトちゃん、虫くん(タモリ命名) |
| その他 | YouTubeチャンネル「ホトゴルフ」(2021年4月開設)、北海道富良野市観光大使(2014年 - ) |
| リンク | 吉本興業プロフィール |
概要[編集]
蛍原徹(ほとはら とおる)とは、大阪府門真市出身のお笑い芸人・司会者である。1968年1月8日生まれ、吉本興業所属。NSC同期の宮迫博之と雨上がり決死隊を組み、2003年から続くテレビ朝日の『アメトーーク!』でMCを務めてきた。2021年のコンビ解散後はピンで活動し、競馬とゴルフをこよなく愛する「ホトちゃん」として親しまれている。
詳細[編集]
新喜劇と漫才ブームで育った大阪の少年[編集]
大阪府門真市の出身。子どもの頃は土曜の昼になると学校から走って帰り、吉本新喜劇を見るのが楽しみという「典型的な大阪の子」だったと本人は語っている。小学6年から中学1年頃に漫才ブームが到来し、B&Bや紳助・竜介に憧れたが、その後に現れたダウンタウンの漫才を見て「何これ…?」と衝撃を受けたという。2026年9月の番組出演時には、当時の若手芸人はみなダウンタウンの背中を追いかけていたとして「もう華だらけ!」と振り返った。
最終学歴は大阪府立門真高等学校(現在の大阪府立門真なみはや高等学校)。卒業後すぐに芸人を目指したわけではなく、約2年間アルバイトを転々とした末に、半ば勢いで吉本の養成所NSCに入ったと2025年のインタビューで明かしている。
NSC7期と「ホワイト&ホワイト」[編集]
1988年、NSC大阪校に7期生として入学。最初に組んだのは同期の森田嘉宏(のちのコラアゲンはいごうまん)とのコンビ「ホワイト&ホワイト」だったが、ほどなく解散した。その後しばらくは「のっぺり星人」という名前でピン芸人として舞台に立っていた時期もある。ちなみにホワイト&ホワイトの由来について、蛍原は「メンズホワイト」説を唱えている。
同期にはベイブルースなど漫才の上手いコンビがいたため、「漫才では勝てない」と判断してコント中心の道を選んだとされる。この時期の経験が、後年の「ホンマは漫才をやりたかった」という本音につながっていく。
宮迫博之と雨上がり決死隊を結成[編集]
1989年4月、NSCの同期だった宮迫博之とコンビ「雨上がり決死隊」を結成し、ツッコミを担当した。コンビ名は宮迫が好きだったRCサクセションの『雨あがりの夜空に』に由来し、同期のライブ名「雨あがりの夜空に笑った」を経て定着したもの。NHKに出演する際は「死」の字を避けて「雨上がり決志隊」と名乗ったこともある。
結成から1年間は、ネタの元になる「2人の思い出」を作るため、あえて仕事を絞って一緒に過ごし、同じカラオケパブでアルバイトをしていた。そのパブのオーナーに「お前らなんか売れるか」と言われ、悔しさのあまり泣きながら走っていたところを宮迫や同期に見つかり、お好み焼きを食べながら慰められた――という青春そのもののエピソードも残っている。
経歴[編集]
天然素材と「270円」の下積み[編集]
1991年からは若手ユニット「吉本印天然素材」の一員として、ナインティナインらとともに日本テレビの番組などに出演。雨上がり決死隊はリーダー格として活躍し、本人いわく女子高生を中心に絶大な人気があった。1992年には第13回ABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を受賞しているが、最優秀新人賞はナインティナインがさらっていった。
人気とは裏腹に懐事情は厳しかった。芸歴3年目には劇場出番が増えてアルバイトもできなくなったが、1ステージのギャラはおよそ270円。それでも「お金はなかったけど楽しかった」と語っている。安定した仕事に就こうかと考えたこともあったが、「一生アルバイトをしながらでも芸人を続けたい」と思い直したという。
東京進出と「5年後ここ住む!」[編集]
天然素材の卒業とともに上京したものの、すぐには売れなかった。当時は『ボキャブラ天国』全盛期で、同世代の芸人との人気・収入の差は歴然。仕事は名古屋のものくらいしかなく、借金もあったという。仕事のない日はマンションを見て歩き、「5年後ここ住む!」と自分を奮い立たせていたそうだ。
一方で、本人は芸人人生で一番楽しかった時期として「一番仕事がない時」を挙げている。月給5万円を握りしめて、給料日に競馬場へ行くのが何よりの楽しみだったとか。
野田秀樹の舞台とおかっぱ頭の誕生[編集]
転機の一つになったのが、2000年の野田秀樹の舞台『カノン』(NODA・MAP)への出演である。蛍原は当初出演を渋っていたが、宮迫とマネージャーの熱意に押されて参加。この舞台で野田から「おかっぱにして」と頼まれたのが、のちのトレードマークの始まりだった。
舞台が終わったら髪型を戻すつもりだったが、共演した唐沢寿明と鈴木京香から「そのままの髪型でいった方がいい」と勧められ、試しに続けてみたところ定着。以後20年以上にわたって「おかっぱの蛍原」がお茶の間のイメージとなった。
ブレイク期[編集]
1999年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』へ出演して再注目され、2000年にはフジテレビの深夜番組から独立した『ワンナイR&R』がゴールデンタイムに進出し、コンビとしてブレイクを果たす。2003年4月7日には、初の全国ネット冠番組となる『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』がテレビ朝日でスタートした。
蛍原個人としても、2004年から2020年までピン芸日本一を決める『R-1ぐらんぷり』の司会を担当。2011年から2023年まではTBS系『炎の体育会TV』のMCも務めた。映画では『妖怪大戦争』(豆腐小僧役)に出演し、『クレヨンしんちゃん』の劇場版では2002年の『戦国大合戦』以来15年ぶりに『襲来!!宇宙人シリリ』(2017年)でコンビそろって声優を務めている。
アメトーーク!と蛍原[編集]
「じゃない方」の名MC[編集]
『アメトーーク!』は、ひとつのテーマでくくられた芸人たちがトークを繰り広げる番組で、「家電芸人」「運動神経悪い芸人」など数々の名物企画を生んだ。宮迫が回しを担当していた時代、蛍原は一歩引いた立ち位置から相づちやツッコミを入れる役回りで、本人も自らを「元祖じゃない方芸人」と認めている。
2017年の「じゃない方芸人」回では、タモリに名前を覚えてもらえず、長年「虫くん」と呼ばれていたことを告白。名字の「蛍」から来たあだ名だと宮迫が補足し、スタジオを沸かせた。
単独MCとして番組を守る[編集]
2019年6月、宮迫の反社会的勢力の会合への参加(いわゆる闇営業問題)が報じられ、同年7月19日に吉本興業は宮迫との契約を解消した。コンビ解散も取り沙汰される中、蛍原は解散を選ばず、芸名を「雨上がり決死隊 蛍原徹」として相方の復帰を待つ道を選んだ。
宮迫の契約解消が発表された当日の夜にも、蛍原はフジテレビ『さんまのお笑い向上委員会』の収録に臨んでいる。収録前には明石家さんまの楽屋で2人きりで話し込み、気遣って涙ぐむスタッフには「笑てよ」と明るく返したという。この日の収録は「相方不在のホトちゃん物語」として放送された。
以後、『アメトーーク!』はコンビ時代の番組名を背負ったまま、蛍原が中心となって継続。ゲストMCや芸人仲間の力を借りながら番組を守り続け、2026年現在もMCを務めている。2025年のインタビューでは「アメトーーク!をずっと続けていきたい」と語った。
雨上がり決死隊の解散[編集]
「気持ちのズレ」[編集]
2021年8月17日、ABEMAと吉本興業公式YouTubeチャンネルで配信された『アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会』で、コンビの解散が発表された。宮迫にとっては約2年ぶりの『アメトーーク!』出演であり、地上波ではなく配信での発表となった。
蛍原は解散のきっかけについて、宮迫がYouTubeでの活動を始めたことを挙げ、「宮迫さんに対する気持ちにズレが生じてきました」と説明。コンビでの復帰を目指していたはずが、相方が単独でYouTuberとして動き出したことで方向性の違いを感じたという。同年4月に2人で会った際、「僕の方から解散しよ、と切り出しました」と明かしている。
報告会ではFUJIWARAの藤本敏史が号泣しながら宮迫に訴える場面もあり、配信は合計1000万回以上再生された(翌日に削除)。宮迫はその後、自身のYouTubeで蛍原に「解散という一番つらい決断をさせてしまった」と謝罪し、32年間への感謝を涙ながらに伝えた。
解散後の距離感[編集]
解散に伴い、芸名は本名の「蛍原徹」に戻った。2021年12月の番組出演では心境を聞かれ、「さみしさ…スッキリの方があるかな」と率直に語り、「人生って何が起こるか分からない」と振り返っている。
2023年末の『アメトーーク!』「家電芸人」回では、劇団ひとりが生成AIで作った「AI宮迫」がモニターに登場。不意打ちを食らった蛍原は苦笑いしつつ、数日前に宮迫本人と電話で話したことも明かした。2026年にはラジオ番組でサンドウィッチマンの伊達みきおに近況を問われ、「全然会ってないです」「連絡はたまーにね」と答えている。
ピン芸人としての活動[編集]
レギュラー番組[編集]
解散後は「ピンのMC」として活動の幅を広げている。2026年時点の主なレギュラーは以下の通り。
- 『アメトーーク!』(テレビ朝日、2003年 - 、MC)
- 『世界の何だコレ!?ミステリー』(フジテレビ、2015年 - 、MC)
- 『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ、2015年 - )
- 『KEIBA BEAT』(関西テレビほか、2013年 - 、中京開催時の司会)
- 『蛍原徹の真剣ゴルフ部!ホトオープン』(2022年 - 、MC)
- 『スイッチ!』(東海テレビ、2025年10月 - 、隔週金曜コメンテーター)
- 『痛快!明石家電視台』(毎日放送、準レギュラー)
特に北海道との縁は深く、北海道ローカルの特番『北海道民!フカボリサーチ』のMCや、北海道イオンのCMにも起用されている。2022年からはサントリー天然水スパークリングレモンのCMにも出演した。
おかっぱ卒業[編集]
2023年、20年以上続けたおかっぱ頭をやめ、短めの普通の髪型になった。急に変えると周囲が驚くため、約8か月かけて少しずつ髪型を変えていったという、いかにも蛍原らしい気遣いの「フェードアウト」だった。2026年8月の『耳の穴かっぽじって聞け!』(テレビ朝日)では、改めておかっぱ誕生の経緯を語っている。
仕事のスタイル[編集]
芸歴3年目頃、明石家さんま、ダウンタウン、島田紳助らと共演するうちに才能の差を痛感し、「自分にできることは何か」を考えた結果、たどり着いたのが「時間を守ること」と「謙虚であること」だった。スタッフを不安にさせないよう現場には早めに入るのが信条で、本人は「僕はもう芸人として挫折しているから」と笑う。解散から3年半がたった2025年には「最近やっと1人に慣れてきました」とも話している。
「週末、漫才したい」[編集]
2026年3月の『アメトーーク!』では、東野幸治から、忘年会で蛍原が突然「週末、漫才したいなー」と大声で宣言した話を暴露された。蛍原は漫才が大好きで、週末に地方で漫才をしつつ、その土地のご飯と競馬を楽しむ先輩芸人に憧れているのだという。宮迫と組めばいいと勧められると、「それはまた…」とやんわりかわした。
競馬好きとしての顔[編集]
30年以上の穴党[編集]
芸能界屈指の競馬好きとして知られ、週末は夜更かしして予想するのが30年以上続く習慣だという。馬券スタイルは筋金入りの穴党で、新聞の中から人気薄の馬を探し出し、100円・200円といった少額で買うのが基本。「95%は外れると思っている」ので負けても気にならず、予想そのものを楽しんでいるそうだ。
一番忘れられない名牝として挙げるのがホクトベガ。1993年のエリザベス女王杯で、武豊騎乗の人気馬ベガを9番人気で破った際、少額ながら馬連(約2万5000円の配当)を的中させた。実況の「ベガはベガでもホクトベガ!」は今も印象に残っているという。1997年のドバイワールドカップでの事故の知らせは、新幹線のデッキでFUJIWARAの原西孝幸からの電話で聞いたと明かしている。
競馬番組と「ホトチャンキッチン」[編集]
2005年から2008年まではNHK『世界の競馬』でキャスターを担当。2013年からは関西テレビ系『KEIBA BEAT』の司会を務めている。2019年7月21日、宮迫の謝罪会見の翌日にも同番組に生出演し、中京記念で3連単1万5690円を的中させてネットで祝福された。
2002年には大井競馬場内の飲食店「ホトチャンキッチン」をプロデュースしたこともある。2024年3月には毎日放送『かまいたちの知らんけど』でかまいたちと競馬をテーマにドライブし、乗馬シミュレーターに挑戦したあと川崎競馬場で馬券を購入した。
ゴルフとYouTube「ホトゴルフ」[編集]
ゴルフは先輩の東野幸治に誘われて始め、5年間ほぼ毎朝練習場に通うほどのめり込んだ。現在はゴルフ番組『ホトオープン』でMCを務めるほか、2021年4月15日にはYouTubeチャンネル「ホトゴルフ」を開設。2026年5月時点で登録者数は約20万人、総再生回数は約6000万回に達している。
チャンネルには千鳥のノブらがゲスト出演している。宮迫のYouTube活動が解散のきっかけの一つになった蛍原が、自身もYouTubeを始めたことは当時ちょっとした話題になった。なお2020年の時点では、さんまに宮迫のYouTubeへの出演を勧められ「ユーチューブに限っては、僕がいま出たくないと言うてるほう」と答えていた。
人物[編集]
『北の国から』と北海道[編集]
ドラマ『北の国から』の熱烈なファンで、舞台となった北海道富良野市には25年間で100回近く通った。2014年には同市の観光大使に任命されている。妻へのプロポーズも富良野からの帰りの車中だったといい、「富良野があったおかげで今の僕があると言っても過言ではない」とまで語る。プロ野球は北海道日本ハムファイターズのファンで、いずれ北海道に住みたいという思いもあるとされる。2009年には著書『ホトちゃんのとっておき北海道』を出版した。
家族[編集]
2004年に一般女性と結婚している。プロポーズの舞台が富良野からの帰り道だったことは本人が番組などで明かしている。
その他の素顔[編集]
- 2001年に禁煙。
- 趣味は吉本の公式プロフィールによればゴルフ、競馬、野球、『北の国から』鑑賞、スイーツ巡り、パン屋巡り。
- 40歳前後から日本経済新聞の朝刊と夕刊を購読しているが、2026年5月の『アメトーーク!』では「読んでも分からない」と告白した。
- 後輩のケンドーコバヤシからは独特すぎるあだ名で呼ばれている。
炎上とバズ[編集]
キャディー走らせ問題[編集]
2023年8月、「ホトゴルフ」で公開された千鳥ノブとのラウンド動画で、気温34度の炎天下、出演者とスタッフがカートに乗る一方で女性キャディーがカートの後ろを走って移動する場面が何度も映り、視聴者から批判が寄せられた。番組側はコメント欄で「配慮が行き届かなかったと反省」と謝罪した。一方、「格式あるコースではキャディーはカートに乗らないことも多い」と擁護する声もあった。
この件は同月の『さんまのお笑い向上委員会』でネタにされ、蛍原は「皆で機嫌ようゴルフして叩かれた」と困惑を口にした。ゴルフをしないマヂカルラブリーの野田クリスタルから「なんて最低な男なんだ!」といじられると「また炎上するやろ」と抗議し、最後は「以後気をつけなあかんな」と締めくくった。
身長詐称が発覚[編集]
2024年6月の『アメトーーク!』小柄な芸人の回で、公称166cmの身長を実測したところ164cmと判明。「164cmは小さく感じるから」と詐称を白状し、ウエストランドの井口浩之に「MCとしてどういうつもりだ」と詰め寄られ、スタジオは大ブーイングに包まれた。同じ回では中川家の剛も公称より4cm低いことが発覚している。
余談[編集]
- コンビ名の元ネタはRCサクセションの『雨あがりの夜空に』。NHKでは一時「雨上がり決志隊」と表記された。
- 若手時代のギャラは1ステージ約270円だったとされる。
- おかっぱ継続の決め手は、唐沢寿明と鈴木京香のひと言だった。
- Twitterは2010年に始めたが、ゴルフに行きたいとつぶやいたら知らない人から否定的な返信が来たことで半年ほどでやめた。3年後に企画で再開したものの、1週間で再び離れている。
- 第13回ABCお笑い新人グランプリでは、優秀新人賞の雨上がりに対し、最優秀新人賞は2年後輩のナインティナインだった。
- 2026年5月の『アメトーーク!』「意外と40歳いってる芸人」回では、見取り図のリリーらとともに年齢トークを繰り広げた。
