泉ピン子
いずみ ぴんこ / Pinko Izumi
Pinko_Izumi.jpg
泉ピン子(2019年、旭日小綬章受章時。出典:Wikimedia Commons)
本名 武本小夜(旧姓:江口)
誕生日 1947年9月11日
年齢 79歳
出身地 東京都中央区日本橋(銀座育ち)
国籍 日本
学歴 日本音楽高等学校(中退)
ジャンル テレビドラマ、映画、舞台、朗読劇、バラエティ、歌謡漫談
活動期間 1966年 -
デビューアルバム 1966年 歌謡漫談家「三門マリ子」としてデビュー、1977年 シングル「哀恋蝶」(歌手)
家族 夫(1989年結婚、医師)
身長 / 体重 154 cm / ― kg
血液型 B型
事務所 pi企画
代表作 『テレビ三面記事 ウィークエンダー』、『おしん』、『女太閤記』、『花咲け花子』、『渡る世間は鬼ばかり』、『次郎物語』、『マッサン』、『花のれん』
関連活動 歌手(「哀恋蝶」)、エッセイスト、朗読劇
あだ名 ピン子
その他 文化庁長官表彰(2019年)、旭日小綬章(2019年)


概要[編集]

泉ピン子(いずみ ぴんこ、1947年9月11日 - )とは、東京都出身の女優・タレントである。キャバレー回りの歌謡漫談家から『ウィークエンダー』のレポーターでブレイクし、『おしん』の母・ふじ、『渡る世間は鬼ばかり』の五月で「日本のお母さん」の顔になった。毒舌と本音トークでも知られる、芸歴60年の叩き上げである。

詳細[編集]

ギター片手の漫談家時代[編集]

芸能活動のスタートは女優ではなく、ギターを抱えて歌と世間話で笑わせる歌謡漫談だった。ウクレレ漫談で知られた牧伸二に師事し、1966年に「三門マリ子」の名でデビュー。18歳前後から約10年、全国のキャバレーや劇場を回る下積みが続いた。

本人は「北海道から占領下の沖縄まで、片手にギター、片手にボストンバッグを下げて行くのよ」と振り返っている。最初のギャラは1回500円。20代半ばで売れっ子になると1日5万円になり、ようやく良いマンションに越せたという。当時助けられた経験から、今も若手によくごちそうするそうだ。

『ウィークエンダー』で全国区に[編集]

転機は1975年。日本テレビ系の夜のワイドショー『テレビ三面記事 ウィークエンダー』に、出演者の欠員を埋める形でレポーターとして起用された。全国ニュースにならないB級事件をフリップや再現フィルムで紹介する番組で、本人によれば視聴率は30%を超えたという。

最初は失敗続きだったが、「失うものがなかった」ため豚の交尾ネタを披露したところ大ウケし、レギュラーに定着。その後もゲイバーやストリップなど際どい題材を担当した。本人は「怖いものもプライドもなく、下品なことを言っていた」と回想している。人気の一方で評判は賛否が分かれ、ワーストタレントに選ばれたこともある。この頃から「泉ピン子」を名乗るようになった。

「よそ者」から主演女優へ[編集]

『ウィークエンダー』のおかげでドラマの依頼が来るようになったが、当初は演技を期待されず、現場ではよそ者扱いも受けたと語っている。初の連続ドラマは1975年のTBS『花吹雪はしご一家』で、主演の森光子が最も親身に演技を教えてくれた恩人だという。

30代前半、森に誘われた舞台でセリフを覚えずに稽古場へ行き、厳しく叱られた。以後はどれほど忙しくてもセリフを入れて現場に行くようになった。新劇の大御所・杉村春子からは「芝居とは音だ」と教わり、同じ「おかあさん」でも朝と夜で響きが違う、と今も語る。1980年の『手ごろな女』で連続ドラマ初主演を果たし、1981年からの『花咲け花子』では主人公・村越花子を演じた。

『おしん』と橋田壽賀子[編集]

1983年のNHK連続テレビ小説『おしん』で、主人公の母・谷村ふじを36歳で演じた。極貧の小作農の母として娘を奉公に出す役で、作品は国内外で大ヒット。海外で現地の人から「おしんマザー!」と声をかけられたこともあるという。

脚本家の橋田壽賀子とはこの時期から約40年の付き合いになる。1990年に始まったTBS『渡る世間は鬼ばかり』では岡倉家の次女・小島五月を演じ、2019年まで約30年にわたって出演。中華料理店「幸楽」で働く五月は泉の当たり役となり、橋田との関係は「ママ」と「娘」とも呼ばれた。

借金と再起[編集]

50代では大きな試練に見舞われた。本人の著書によると、長年所属した事務所がピン子名義で借金を重ねていたことが発覚し、数億円の借金を背負ったという。独立を申し出た際に事務所側から過去の借金返済を迫られ、態度の変わりように衝撃を受けたと語っている。2017年以降は個人事務所のpi企画に所属している。

他の俳優に比べてギャラが低いと感じ、野村昭子に「それはおかしい」と指摘されたことも明かしている。こうした経験から、エッセイ『終活やーめた。』では「ピンチをチャンスに変える」という意味で「ピン活」という言葉を掲げている。

70代後半でも主演・著書・受賞[編集]

2025年3月、テレビ朝日の山崎豊子生誕100年記念ドラマ『花のれん』で、北川景子演じる主人公・多加に金を貸す“小銭貸し”の石川きんを演じた。和服はすべて借金の「かた」で取ったもの、という設定まで自分で考え込んだという。同月には講談社からエッセイ『終活やーめた。』を出し、発売記念会見は予定の30分を大幅に超えて約1時間に及んだ。

2026年4月からは声舞劇『終活を始めた途端、55歳の息子が帰ってきました』で佐藤隆太とダブル主演し、全国ツアーを行っている。5月29日には徳間書店から自伝エッセイ『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』を刊行。6月には寺西一浩監督の映画『養父』(レンの祖母役)で、米国の国際インディー映画賞「Hollywood International Indie Film and Screenplay Awards 2026」の最優秀助演女優賞を受賞したと報じられた。『養父』と同監督の『AYUMI』は2026年10月23日に公開されている。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1947年9月11日、東京・日本橋に生まれ、銀座で育つ。父は浪曲師で、肺を患ってからは浪曲の台本作家になった。実母は2歳のときに亡くなり、のちに父が再婚。継母が実の母ではないと知ったのは9〜10歳の頃で、本人は「戸籍に小さなバツ印があった」と著書で振り返っている。

一人っ子として父に溺愛された。中学に上がる頃から父に松本清張、スタインベック、トルストイなどを次々と読まされ、『三国志』は章ごとに読書感想文を書かされたという。この読書体験が女優になってから役立ったと語っている。日本音楽高等学校に進学したが中退した。

漫談家からレポーターへ(1960年代〜1970年代)[編集]

芸能界入りには父が反対していたが、最終的には後押しした。1966年に牧伸二門下の歌謡漫談家「三門マリ子」としてデビュー。デビュー直後には父の「世界を見ろ」という教えに従い、ローンを組んでハワイ旅行に出かけた。当時は1ドル360円で、完済まで何年もかかったという。

1975年、『ウィークエンダー』のレポーターとして人気者になり、同年に映画『神戸国際ギャング』で映画デビュー、ドラマ『花吹雪はしご一家』でテレビドラマデビューを果たす。1977年にはシングル「哀恋蝶」を発売し、オリコン最高37位、約10.9万枚を売り上げた。1978年と1979年には日本劇場で「泉ピン子ショー」を開催している。

女優として確立(1980年代)[編集]

1980年『手ごろな女』で連続ドラマ初主演。1981年にはNHK大河ドラマ『女太閤記』で朝日の方を演じ、同年から『花咲け花子』(〜1984年)で主演を務めた。1983年の『おしん』の母・ふじ役で演技派としての評価を固める。

映画では『男はつらいよ 噂の寅次郎』(1978年)に出演したほか、1987年の映画『次郎物語』で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞した。1989年に医師の男性と結婚。挙式はしていない。

『渡る世間は鬼ばかり』の30年(1990年〜2019年)[編集]

1990年に『渡る世間は鬼ばかり』が始まり、小島五月役で国民的ドラマの顔となった。長ゼリフで知られる橋田脚本に苦労し、セリフを紙に書き写して覚え、その紙を「幸楽」のエプロンのポケットにお守り代わりに入れていたという。

同時期には『家族の物語』(1993年)、『男はいらない』(1994年)、『番茶も出花』(1997年)などで主演。2時間ドラマでも『和服デザイナー探偵』『おふくろ先生の診療日記』『警視庁心理捜査官・明日香』『デパート仕掛け人!天王寺珠美の殺人推理』などのシリーズを持った。2005年には美空ひばりの母親役を演じている。生前のひばりからはかわいがられていたという。

熱海移住と紅白初出場(2010年代)[編集]

2014年のNHK連続テレビ小説『マッサン』では主人公・政春の母を演じ、同年のNHK紅白歌合戦に初出場した。かつて歌手として出場を狙って落選して以来、意地で出演依頼を断り続けていたとされる。

2016年には『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』第4シリーズに久保東子役で、2018年には大河ドラマ『西郷どん』に本寿院役で出演。橋田に誘われる形で静岡県熱海市に移住した。2019年に文化庁長官表彰を受け、同年に旭日小綬章を受章した。

2020年代[編集]

2021年4月、橋田壽賀子が死去。泉は熱海の橋田宅に駆けつけ、最期を看取った。この死をきっかけに終活を始めたが、身近な人にブランド品を譲ろうとしたら見知らぬ人まで欲しがってきたことなどから、終活を「やーめた」。

2022年には内館牧子原作の朗読劇『すぐ死ぬんだから』で初めて朗読劇に主演し、全国を回った。2024年はNHK『お別れホスピタル』に水谷久美役で出演、映画『ザギンでシースー!?』にも出演。2025年は映画『オールドカー てんとう虫のプロポーズ』(5月公開)とテレビ朝日『花のれん』に出演。2026年は声舞劇の全国ツアーと新刊、映画『養父』『AYUMI』の公開が続いている。

主な出演作[編集]

テレビドラマ[編集]

年 作品 役 放送局
1975年 花吹雪はしご一家 (初の連続ドラマ) TBS
1980年 手ごろな女 島宗詩子(初主演)
1981年 女太閤記 朝日の方 NHK(大河ドラマ)
1981年 - 1984年 花咲け花子 村越花子(主演)
1982年 - 1983年 春よ、来い 三浦ユカ NHK
1983年 - 1984年 おしん 谷村ふじ(おしんの母) NHK(連続テレビ小説)
1990年 - 2019年 渡る世間は鬼ばかり 小島(岡倉)五月 TBS
1993年 家族の物語 石坂朋子(主演)
1994年 男はいらない 向井トキ子(主演)
1997年 番茶も出花 丸田加世(主演)
2005年 交通特別捜査係警部補・結城あかね 結城あかね(主演)
2007年 - 2015年 デパート仕掛け人!天王寺珠美の殺人推理 天王寺珠美(主演)
2014年 - 2015年 マッサン 亀山早苗(政春の母) NHK(連続テレビ小説)
2016年 ドクターX〜外科医・大門未知子〜(第4シリーズ) 久保東子 テレビ朝日
2017年 オバチャン保険調査員 赤宮楓のマル秘事件簿 赤宮楓(主演)
2018年 西郷どん 本寿院 NHK(大河ドラマ)
2024年 お別れホスピタル 水谷久美 NHK
2025年 花のれん 石川きん テレビ朝日

映画[編集]

年 作品 備考
1975年 神戸国際ギャング 映画デビュー
1978年 男はつらいよ 噂の寅次郎
1984年 おしん 谷村ふじ役
1987年 次郎物語 日本アカデミー賞助演女優賞
1996年 学校II
2008年 私は貝になりたい
2013年 おしん 八代くに役
2024年 ザギンでシースー!?
2025年 オールドカー てんとう虫のプロポーズ 哀川翔主演、あべこうじ監督
2026年 養父 レンの祖母役。寺西一浩監督
2026年 AYUMI 寺西一浩監督

舞台・朗読劇[編集]

  • 泉ピン子ショー 〜テレビ局は花ざかり(1978年、日本劇場)
  • 泉ピン子ショー 〜ふるさとの歌声(1979年、日本劇場)
  • 朗読劇『すぐ死ぬんだから』(2022年〜、内館牧子原作。夫役に村田雄浩を自ら指名)
  • 声舞劇!『終活を始めた途端、55歳の息子が帰ってきました』(2026年、全国ツアー)

バラエティ[編集]

『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ)で世に出たこともあり、トーク番組の常連でもある。『ぴったんこカン・カン』『アッコにおまかせ!』などに出演し、2024年12月30日のフジテレビ『イット!』では年金の通帳を公開して話題になった。2026年には講談社のYouTubeチャンネル「THINKpod」のインタビューにも登場している。

声舞劇『終活を始めた途端、55歳の息子が帰ってきました』[編集]

2026年の泉の主戦場となっているのが、朗読劇に動きを加えた「声舞劇」である。原作は保坂祐希の小説『「死ね、クソババア!」と言った息子が55歳になって帰ってきました』(講談社)で、脚本・演出はシライケイタが担当した。

泉が演じるのは後期高齢のシングルマザー・小林晴恵。18歳で家を飛び出した息子・達彦(佐藤隆太)が55歳になって突然帰ってくる。共演は達彦の妻・雅代役の星野真里、晴恵の親友・真知子役のあめくみちこ。笑いと涙の「ハイエイジ・エンターテインメント」をうたっている。

東京公演は2026年4月25日・26日にシアター1010(足立区)で行われ、5月の水戸・足利・熊本・鳥栖、6月の酒田・湯沢、7月の愛知・大阪・広島と巡演した。チケットは完売が相次いだとされる。

泉は製作発表で、朗読劇は衣裳や装置がなくても全国に届けられること、毎回同じセリフでも発見があることを魅力に挙げ、「ファンへの恩返し」として始めたと説明。観客には「この作品を“冥土の土産”にしてください」と呼びかけた。東京公演前の取材会では、佐藤との共演歴を聞かれて「ない」と即答し、佐藤に「あるんです」と訂正されて会場を沸かせた。

著書[編集]

  • 『四年目のラブレター』(スコラ)
  • 『ここだけのおしゃべり』(立風書房)
  • 『みんな悩んでる -ピン子のツンデレ人生相談』(光文社)
  • 『終活やーめた。』(講談社、2025年)
  • 『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店、2026年5月29日)

『終活やーめた。』は、漫談家デビューとキャバレー時代、父のがん、橋田壽賀子の死、50歳での億単位の借金、スキャンダル報道と大バッシング、まさかの栄養失調、熱海での暮らし、収集してきたブランド品などを綴ったエッセイ。FRaUでの連載「ピンからキリまで女の流儀」がベースになっている。

『ピン!として逝くのもいいじゃない』は全4章の自伝エッセイ。第1章で幼少期から芸の道に入るまで、第2章で芸人から女優への転身、第3章で夫婦と恋愛、第4章で50歳以降の人生観と人生の終わりへの考えを語る。本人は「ためらったら最後の本にならないでしょ」と、書くのをためらったエピソードはないと言い切っている。

人物・エピソード[編集]

芸名の由来[編集]

芸名「ピン子」の由来は複数ある。芸能界入りに反対していた父が「芸人にはピンからキリまでいる。一番のピンを目指せ」と言ったこと、丸顔が麻雀牌のイーピンに似ていること、師匠の牧伸二が名付けたことなどを、本人がそれぞれ語っている。

橋田壽賀子との「母娘」関係[編集]

『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』で組んだ脚本家・橋田壽賀子は、泉を女優として引き上げ、事務所トラブルの際も支えた「大恩人」だった。熱海に住む橋田に「あんた、越しといでよ」と誘われたのが移住のきっかけで、元々は熱海が好きではなかったが、アリゾナでのロケ中に熱海を思い出して考えを変えたという。橋田は購入資金を貸すとまで申し出たそうだ。

一度だけ大ゲンカもしている。70歳を前に「もう『鬼』には出ません」と弱音を吐いたところ、橋田が「わかった、絶交だ!」と電話を切り、泉もしばらくわざと電話に出なかった。局のスタッフが間に入って和解したという。一方で橋田は後年「全然友達じゃありません」と語ったともされ、照れ隠しを含めた独特の関係だった。

森光子と杉村春子[編集]

演技の師として名前を挙げるのが森光子と杉村春子である。森にはセリフの言い方から役者としての心構えまで叩き込まれた。杉村の「芝居とは音だ」という教えは、相手との距離・立場・関係を声で表すという意味だと説明している。演出家に出番をカットされそうになった時期も、食らいついて乗り越えたことが後の仕事につながったという。

交友関係[編集]

芸能界の交友は広く、西田敏行、小林幸子、坂本冬美、村田雄浩、梅沢富美男、神田正輝、加山雄三・松本めぐみ夫妻らと親しいとされる。矢沢永吉の大ファンで、映画『アリよさらば』で共演している。北川景子とは私生活でも親しく、コロナ禍のあと自宅まで訪ねてきてくれたのは北川とDAIGOだけだったと語っている。上戸彩を若い頃に「売れる」と見抜いた芸能人の例として挙げている。

阪神ファン[編集]

筋金入りの阪神タイガースファン。もとは読売ジャイアンツファンだったが、1985年の日本シリーズをきっかけに乗り換えたとされる。掛布雅之の引退時には金網をよじ登って応援したという。結婚前、巨人ファンの夫に「阪神ファンになること」を条件に出したが、夫はいつの間にか巨人ファンに戻っており、リュックからオレンジ色のメガホンが見えたと暴露。佐藤隆太から「浮気の証拠」と突っ込まれていた。

お金とブランド[編集]

ハイブランドを普段着にし、化粧品もいちばん高いものを選ぶと公言している。「生きている内は綺麗にしていたい」が持論。一方で「簡単に稼げるお金はない。汗水垂らして稼がないとダメ」と若者に説き、お金が人の判断を狂わせる例として大谷翔平の元通訳の違法賭博事件を挙げたこともある。全盛期は2時間ドラマの3〜4シーンの出演で500万円だったと明かした一方、年金は「2カ月で8万8263円」と通帳を見せて首をひねった。

その他[編集]

50歳でたばこと酒をやめた。2018年平昌オリンピックの聖火リレーに関わり、東京2020大会組織委員会の顧問も務めたとされる。

炎上とバズ[編集]

えなりかずき「共演NG」報道[編集]

『渡る世間は鬼ばかり』で母子役を演じたえなりかずきとの「共演NG」は、長く週刊誌の定番ネタだった。橋田壽賀子が生前、雑誌の取材で、えなり側が共演NGの意向を示していたと明かしたと報じられたのが発端である。

泉は2021年10月、和田アキ子のラジオ番組で「(えなりとは)絡まない」と語り、心当たりはないとしたうえで、共演NGとされたことに疑問を呈した。2025年3月の会見では「同じテレビ業界の人間が悪口を言うべきではない」と述べ、自身も心を痛めて1年かかったと話している。いずれも当事者の一方の発言や報道に基づくもので、事実関係が確定しているわけではない。

桂ざこばとの不仲[編集]

落語家の桂ざこばとは不仲とされた。ざこばが、泉が『ウィークエンダー』出身を伏せて「女優」を名乗る姿勢を批判し、「生意気だ」と評したと伝えられている。関係は修復されなかったとされる。

1995年の会見とバッシング[編集]

1995年には夫をめぐる報道を受けて会見を開き、大きなバッシングを受けた。2026年の著書でこの件にも触れ、今振り返ると「なんで私が叩かれたの?」と疑問を口にしている。

歯に衣着せぬ発言[編集]

2025年3月の会見では、昔の厳しい指導とパワハラの違いについて「注意したのがいじめなのか、その人を育てようとして思ったことなのか」と問題提起した。また、売れていない時に何もしてくれなかった親戚には何も遺したくないと熱弁して話題になった。率直な発言がバズってトレンド入りすることについて、本人は「生存確認になる」と笑い飛ばしている。

余談[編集]

  • デビュー直後、父の「世界を見ろ」に従ってローンでハワイ旅行に行き、1ドル360円時代だったため完済まで何年もかかった。
  • 父の方針で日比谷の英語学院に通わされたが、初日の授業についていけず、2日目からはサボったという。
  • 『渡鬼』の長ゼリフは紙に書き写し、その紙を「幸楽」のエプロンのポケットに入れてお守りにしていた。
  • 1983年のNHK紅白歌合戦では紅組司会の候補に挙がったとされるが、実際に紅白に出たのは2014年が初めてだった。
  • 豚の交尾ネタで世に出たレポーターが、やがて海外で「おしんマザー!」と呼ばれる女優になった。
  • 声舞劇の東京公演前の取材会で佐藤隆太との共演歴を「ない」と断言し、その場で本人に訂正された。
  • 2025年の『終活やーめた。』刊行会見では、死について問われ「死んだらおしまい。忘れられちゃう」と語った。

外部リンク[編集]

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