梅原大吾
Daigo Umehara
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CAPCOM CUP 2018での梅原大吾(出典:Wikimedia Commons「Daigo Umehara at Capcom Cup 2018 (cropped).png」・CC0)
ID Daigo / ウメハラ
本名 梅原大吾
誕生日 1981年5月19日
年齢 45歳
出身地 青森県弘前市(東京都足立区育ち)
国籍 日本
身長 173cm
職業 プロゲーマー、ストリーマー、著述家
プラットフォーム YouTube、Twitch
活動期間 1990年代 - (プロとしては2010年 - )
ジャンル 格闘ゲーム(ストリートファイターシリーズ)
代表作品 『勝ち続ける意志力』
事務所 REJECT(2025年5月 - )
関連活動 Red Bullアスリート、獣道
別名 Daigo the Beast
あだ名 ウメハラ、ビースト
その他 ギネス世界記録保持者


概要[編集]

梅原大吾(うめはら だいご)とは、日本のプロゲーマーである。「ウメハラ」「The Beast」の名で世界的に知られる格闘ゲームの生ける伝説で、2010年に海外企業とスポンサー契約を結んだ「日本初のプロゲーマー」とされる。

詳細[編集]

1981年、青森県弘前市生まれ。小学2年で東京に移り、足立区で育った。10代からゲームセンターで頭角を現し、1990年代後半にはすでに国内トップの常連。1998年には『ストリートファイターZERO3』の日本一としてサンフランシスコの日米決戦に出場し、アメリカ王者アレックス・ヴァレを破っている。

格ゲーファン以外にもその名を知らしめたのが、2004年の米国大会「EVO」で生まれた通称「Evo Moment #37(背水の逆転劇)」だ。この一戦は後に動画の再生数でギネス世界記録に認定され、eスポーツ史上もっとも有名なシーンのひとつに数えられている。

一時はゲームから離れ、麻雀や介護の仕事に打ち込んだ時期もある。しかし2009年の『ストリートファイターIV』で復帰すると即座に世界の頂点へ返り咲き、2010年に米Mad Catzとプロ契約。日本で「プロゲーマー」という職業が知られるきっかけを作った人物である。

2020年代に入っても現役を貫き、『ストリートファイター6』ではチームリーグ「ストリートファイターリーグ」に参戦。2025年からはREJECTに所属し、40代半ばになった2026年も最前線で戦い続けている。

経歴[編集]

ゲームセンター時代[編集]

中学生の頃には『ストリートファイターII』シリーズで地元に敵なしとなり、『ヴァンパイアハンター』では286連勝を記録したとされる。1997年には『ヴァンパイアセイヴァー』の全国大会を制し、2000年には国内大会で3連覇。2003年には「闘劇」とEVOで複数タイトルを制覇し、日本最強の座を不動のものにした。

Evo Moment #37[編集]

2004年のEVO、『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』のルーザーズファイナル。ウメハラのケンは体力が残りわずかで、ガードしても削りダメージで負ける状況だった。対戦相手ジャスティン・ウォンの春麗がスーパーアーツ「鳳翼扇」を放つと、ウメハラは十数発の連続攻撃をすべて「ブロッキング」で受け止め、そのまま空中から反撃して逆転KOを決めた。

会場は総立ちとなり、この試合映像は世界中に拡散。のちに「最も視聴された格闘ゲームの対戦」としてギネス世界記録にも認定された。本人は後年のインタビューで、影響の大きさを予想せず半ば本能的にやったプレイだったと振り返っている。

麻雀・介護職時代[編集]

2005年の闘劇で盟友ヌキとのタッグ「ウメヌキ」で優勝した後、ウメハラは格闘ゲームの第一線から身を引く。その後は麻雀に熱中して雀荘で働き、さらに約1年間、介護施設で認知症の高齢者を介護する仕事に就いた。ゲームで生活できる道がなかった時代の選択であり、本人も著書などでこの時期について語っている。

ストIVでの復帰とプロ契約[編集]

2008年に稼働した『ストリートファイターIV』で復帰すると、ゲームセンターで勝率9割超を記録したとされる。2009年にはEVOの『ストIV』部門で優勝し、2010年も『スーパーストIV』でEVO連覇。同年4月、周辺機器メーカーMad Catzとスポンサー契約を結び、日本人初のプロゲーマーとなった。

スポンサーとチーム[編集]

2016年5月にRed Bullのアスリート契約を結び、同年の東京ゲームショウではギネス世界記録2件(『ウルトラストIV』の最高ランキング記録と、最も視聴された格闘ゲーム対戦)の認定を受けた。これとは別に「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネス認定を受けたことでも知られる。

2017年にはCygamesの支援で海外選手と「Cygames Beast」を結成し、2020年からは配信サービスMildomの支援を受ける「Team Mildom Beast」として活動した。2016年にはTwitchチャンネル「Daigo the BeasTV」も開設し、ストリーマーとしての顔も持つ。

ストリートファイター6期の活動[編集]

SFLへの参戦[編集]

2024年、ウメハラはSaishunkan Sol 熊本の一員として「ストリートファイターリーグ: Pro-JP 2024」に参戦。チームメイトにはネモ、ひぐち、ふ〜どが並び、ウメハラは『スト6』で追加された豪鬼を使用した。

2025年5月にはREJECTのSTREET FIGHTER部門に加入し、ときど、LeShar、ふ〜どとともにSFL 2025を戦った。チームは2026年3月15日に両国国技館で行われた「SFL: ワールドチャンピオンシップ 2025」の決勝でBandits(MenaRDらが所属)を70対20で下して優勝し、賞金1500万円と「CAPCOM CUP 13」の出場権を獲得した。

獣道とMenaRD戦[編集]

世界一決定戦の直後、ウメハラはMenaRDとの10先について「自信はあります」と語った。この一戦は、ウメハラ自身がプロデュースするイベント「獣道」として2026年4月29日に川崎・CLUB CITTA'で実現。ウメハラの豪鬼とMenaRDのブランカによる10先勝負は、序盤にウメハラが2連勝、そこからMenaRDが5連勝と波乱の展開。ウメハラが3連勝で、5対5のタイに追いついたが、最後はMenaRDが10対6で押し切った。

2026年の動向[編集]

2026年もREJECTに残留し、SFL 2026ではふ〜ど、Yas、ひなおとともにディビジョンFで戦っている。一方、長年のライバルでありチームメイトだったときどは同年5月にVARRELへ移籍した。EVO Las Vegas 2026では33位タイ。大会後のインタビューでは、年齢を自覚しながらも「最前線で競い続けたい」という意欲を示している。

人物・名言[編集]

  • ジョイスティックを小指と薬指で握る独特の持ち方は「ウメハラ持ち」と呼ばれる。
  • 波動拳や昇龍拳の使い方にも独自の理論があり、ファンの間では「ウメ波動」「ウメ昇龍」などと呼ばれる。
  • 2025年1月の「日本eスポーツアワード2024」で功労賞を受賞。スピーチでは、10歳頃からゲームを続けて約30年でようやく「ありがとう」と言われるようになったと語り、「30年後くらいに評価されるつもりでやったら良い」とエールを送った。
  • 2019年には『ニューズウィーク日本版』の「世界が尊敬する日本人100」に選ばれた。
  • 2020年からは初心者向け大会「ビーストカップ」を主催するなど、新規プレイヤーの育成にも熱心だ。

著書[編集]

  • 『勝ち続ける意志力』(小学館101新書、2012年)
  • 『ウメハラコラム 拳の巻』(エンターブレイン、2013年)
  • 『ウメハラ To Live is Game』(漫画、PHP研究所、2013年)
  • 『勝負論 ウメハラの流儀』(小学館新書、2013年)
  • 『1日ひとつだけ、強くなる。』(KADOKAWA、2015年)
  • 『悩みどころと逃げどころ』(ちきりんとの共著、小学館新書、2016年)

特に『勝ち続ける意志力』はビジネス書としても読まれ、Eスポーツという言葉が一般化する前から「ゲームで勝ち続ける人の思考法」を世に広めた一冊である。

余談[編集]

  • 『ヴァンパイアセイヴァー』では全キャラクターで100連勝したという逸話がある。
  • Evo Moment #37について、NHKの番組では「音が聞こえなかった」と当時を振り返ったとされる。
  • プロ棋士やスポーツ選手との対談も多く、ゲーム外でも「勝負論」の語り手として人気が高い。
  • 2021年5月には新型コロナウイルスに感染して入院したが、回復後に活動を再開した。
  • ときどは、ウメハラのプロ宣言に触発されてプロゲーマーの道を選んだと語っている。

外部リンク[編集]

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