| 杵島隆 Takashi Kijima | |
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| ファイル:杵島隆.jpg | |
| 誕生日 | 1920年12月24日 |
| 死亡日 | 2011年2月20日 |
| 死亡年齢 | 90歳 |
| 出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州(本籍・鳥取県米子市) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 日本大学芸術学部映画学科 |
| 職業 | 写真家 |
| 活動期間 | 1948年 - 2011年 |
| 代表的な実績 | 広告写真・ヌード写真の名手、等身大ディスプレイの考案 |
| 受賞 | 勲四等瑞宝章 |
概要[編集]
杵島隆(きじま たかし、1920年12月24日 - 2011年2月20日)は、日本の写真家。戦後の広告写真とヌード表現を切り拓いた職人肌の巨匠で、女性美を端正に造形する手腕にかけては随一と評されたらしい。
経歴がまた波瀾万丈で、生まれはアメリカ・カリフォルニア。海軍の特攻隊として出撃を待つうちに終戦を迎え、その後カメラを手に取って一線級の写真家になっていく。広告写真を芸術の域に高めた一人として、戦後ビジュアル文化の土台を築いた人物である。
カリフォルニア生まれ、特攻からの生還[編集]
1920年、アメリカ・カリフォルニア州に生まれ、3歳で帰国して鳥取県の杵島家を継いだ。米子中学を出て上京し、1939年に日本大学芸術学部映画学科へ。戦時下の1943年には海軍飛行予備学生に志願し、福岡の航空基地で特別攻撃隊として待機中に終戦を迎えた。
戦後すぐの1946年、旧軍の航空フィルムで自家製フィルムを作り、広島・長崎の惨状をテーマにした抽象作品や砂丘でのヌードを撮り始めたというから、出発点からして尋常でない。1948年には同郷・鳥取の名匠植田正治に師事している。
ライトパブリシティと広告写真[編集]
1950年に写真家集団「エタン派」を結成し、各種コンテストで頭角を現す。森永乳業の広告写真コンペでは特選・1等・2等・3等・入選を独占したというから、その実力は別格だった。1953年には日本を代表する広告制作会社ライトパブリシティに入社。ここは和田誠がデザイナーとして在籍し、後に篠山紀信も身を置いた、戦後ビジュアル文化の梁山泊である。
1956年にキジマスタジオを設立して独立。郵便局向けに等身大のイメージガールのディスプレイを立案・制作し、「等身大ディスプレイ」の流行を生み出した。広告写真をただの商品宣伝で終わらせない、造形としての強度がそこにはあった。
ヌードと花の造形[編集]
杵島の名を高めたのが、女性ヌードと花の写真である。ミニ写真集『裸』はキヤノンからドイツの写真見本市フォトキナに派遣された際に各国メディアへ配られ、話題を呼んだ。後年は蘭をモチーフにした『The Orchid』で日本写真家協会年度賞を受賞するなど、被写体を端正に「彫る」ような美意識を貫いた。弟子からは、毒舌タレントとしても知られる写真家加納典明が巣立っている。1991年に勲四等瑞宝章を受章し、2011年に90歳で死去した。
余談[編集]
- 特攻隊として死を待つ身から、戦後は女性美と花を撮る写真家へ──この振れ幅の大きさが、杵島の写真の静かな強さの源だったのかもしれない。
- 弟子の加納典明が過激路線で名を馳せたのに対し、師の杵島は端正・古典的。師弟で作風が対照的なのも面白い。