| 篠山紀信 Kishin Shinoyama | |
|---|---|
| 本名 | 篠山紀信(みちのぶ) |
| 誕生日 | 1940年12月3日 |
| 死亡日 | 2024年1月4日 |
| 死亡年齢 | 83歳 |
| 出身地 | 東京都新宿区 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 写真家 |
| 活動期間 | 1960年代 - 2024 |
| 代表的な実績 | 「激写」シリーズ/写真集『家』『晴れた日』 |
| 受賞 | 芸術選奨新人賞 |
| 別名 | おシノ |
概要[編集]
「激写」という言葉を流行語にした、戦後日本で最も知られた写真家のひとり。1940年12月3日、東京都新宿区の真言宗の寺に生まれる。読みは「きしん」だが本名は「みちのぶ」。ヌードからアイドル、歌舞伎、建築まで、他の写真家を遥かに凌ぐ作品数とジャンルの幅広さで知られ、芸能・出版・美術のあらゆる現場を撮りまくった「日本一忙しい写真家」らしい。
来歴[編集]
新宿区の円照寺の住職の次男に生まれ、4歳のとき父が戦死。一般大学の受験に失敗し、衝動的に日本大学芸術学部写真学科へ出願・入学したのが写真家人生の始まりだったという。日大と並行して東京綜合写真専門学校にも通い、在学中から新進写真家として頭角を現した。1961年に広告制作会社ライトパブリシティに就職。面接の際、ハッタリで当時非常に高価だったハッセルブラッドとリンホフを両肩に提げて持参した、という逸話が残っている。
激写と時代のアイコン[編集]
1966年、東京国立近代美術館「現代写真の10人」展に最年少で参加。1976年にはヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれた。1975年、雑誌『GORO』で歌手・山口百恵の特集に使い始めた「激写」は瞬く間に流行語となり、その後の中森明菜ら芸能人や素人をモデルにした激写シリーズで時代を象徴する存在となる。デビュー直後のキャロルを撮ってその売り出しに貢献したのも篠山だった。
多彩な仕事[編集]
1975年の大判写真集『家』『晴れた日』は初期の代表作。歌舞伎の女形・坂東玉三郎を撮った『女形・玉三郎展』では芸術選奨新人賞を受賞した。さらにジョン・レノン生前のラストアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影も篠山の仕事である。アイドルからアートまで自在に横断するその幅広さは、まさに唯一無二だった。
炎上とバズ[編集]
SM官能小説の大家・団鬼六とも組み、緊縛をテーマにした写真集を手がけている。耽美と過激の境界を攻めるその仕事ぶりは、時に物議をかもしながらも、つねに時代の話題の中心にあった。
関連項目[編集]
- 森山大道 - 同世代を代表する写真家
- 細江英公 - 戦後写真の巨匠
- 深瀬昌久 - 「私写真」を追求した同時代の作家
- 荒木経惟 - 同時代のヌード・私写真の作家
- 団鬼六 - 緊縛写真集で組んだSM官能小説家
- MissAV / FANZA / 稲垣莉生
外部リンク[編集]
- 各種美術館・出版社の公式サイトを参照