高梨豊

高梨豊
Yutaka Takanashi
ファイル:高梨豊.jpg
誕生日 1935年2月6日
年齢 91歳
出身地 東京都
国籍 日本
学歴 日本大学芸術学部
職業 写真家
肩書 東京造形大学元教授
活動期間 1957年 -
代表的な実績 写真同人誌「プロヴォーク」参加、写真集『東京人』『都市へ』
受賞 日本写真批評家協会新人賞、パリ青年ビエンナーレ写真大賞、土門拳賞


概要[編集]

高梨豊(たかなし ゆたか、1935年2月6日 - )は、日本の写真家。東京造形大学元教授。戦後写真史に革命を起こした伝説の同人誌「プロヴォーク」の中心メンバーの一人で、「都市」と「東京」を一貫して見つめ続けた記録者らしい。

中平卓馬森山大道の名で語られがちなプロヴォークだが、実は高梨はその発起人格。アレ・ブレ・ボケの過激な美学が暴れるなかで、高梨だけはどこか醒めた目で都市と人間を観察し続けた。派手さより持続の人、という渋いポジションが魅力である。

デザインセンターから写真家へ[編集]

1935年、東京生まれ。1957年に日本大学芸術学部を卒業後、八木治のスタジオに就職。さらに桑沢デザイン研究所で写真家・大辻清司に学んだ。1961年には亀倉雄策が専務を務めた日本デザインセンターに入社する。広告という最前線に身を置きながら、高梨は次第に「商業写真ではないもの」への渇きを募らせていった。

1964年には写真集「オツカレサマ」で日本写真批評家協会新人賞、1967年にはパリ青年ビエンナーレ写真部門で大賞を受賞し、若くして実力を示した。

プロヴォークの衝撃[編集]

1968年、高梨は中平卓馬多木浩二、岡田隆彦らとともに伝説の写真同人誌「プロヴォーク(PROVOKE)』を創刊する(副題は「思想のための挑発的資料」)。第2号からは森山大道も合流。ピンぼけ・手ブレ・粗い粒子を逆手に取った「アレ・ブレ・ボケ」の美学は、それまでの「きれいに撮る」写真観を根底から覆し、戦後写真の流れを決定的に変えた。

雑誌そのものはわずか3号と短命に終わったが、その衝撃は半世紀を経た今も色あせない。1970年に高梨は日本デザインセンターを退社し、フリーの写真家となる。

都市と東京の記録者[編集]

プロヴォーク以降の高梨が生涯のテーマに据えたのが「都市」と「東京」だった。写真集『都市へ』『東京人』(ともに1974年)、『町』(1977年)と、変わりゆく東京の表情を執念深く記録し続けた。2012年には『IN』で土門拳賞を受賞している。

ちなみに高梨は、前衛芸術家・赤瀬川原平、秋山祐徳太子とともに「ライカ同盟」という愉快な集まりの「家元」でもあった。重厚な都市論と、ライカ好きのこういう茶目っ気が同居しているのが、高梨豊という人のいいところ。

余談[編集]

  • プロヴォークは中平卓馬森山大道の強烈なキャラクターで語られがちだが、その発起人格が高梨だったことは意外と知られていない。
  • 同じ日本デザインセンター出身でも、亀倉雄策がデザインの頂点を極めたのに対し、高梨はそこを飛び出して写真表現へ向かった。同じ職場から対照的な巨匠が出ている。

関連項目[編集]