| 十文字美信 Bishin Jumonji | |
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| ファイル:十文字美信.jpg | |
| 誕生日 | 1947年3月4日 |
| 年齢 | 79歳 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京綜合写真専門学校中退 |
| 職業 | 写真家、CMクリエイター |
| 肩書 | 元多摩美術大学教授、日本芸術院会員 |
| 活動期間 | 1971年 - |
| 代表的な実績 | 「蘭の舟」「黄金 風天人」「澄み透った闇」 |
| 受賞 | 伊奈信男賞、土門拳賞 |
概要[編集]
十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )は、日本の写真家・CMクリエイター。元多摩美術大学教授で日本芸術院会員。広告写真の第一線で食べながら、まったく別の次元で「写真とは何か」を問う作品を撮り続けてきた、二刀流の異才らしい。
何より名前がいい。「美信(びしん)」という雅号のような響きどおり、その作品は写真というより一篇の詩や禅問答のよう。代表作の首のない人体像「Untitled(首なし)」は、若き日にいきなりニューヨーク近代美術館(MoMA)の企画展に招かれた伝説の一枚である。
「暗室」の二文字に撃たれて[編集]
1947年、横浜生まれ。神奈川県立の工業高校(木材工芸科)を出て県の工業試験所に就職するという、写真とは無縁の出発点だった。ところが20歳のとき、職場で見た「暗室」の二文字に妙に心を掴まれ、写真家になろうと決意したという。きっかけが文字そのものだった、というのがいかにも十文字らしい。
1968年に試験所を辞めて上京。東京綜合写真専門学校に入るも、わずか2か月で退学。六本木のスタジオでライティング(照明技術)を叩き込まれた。
篠山紀信の弟子から独立へ[編集]
1969年、22歳の十文字は篠山紀信のアシスタントになる。当代きっての売れっ子のもとで人脈と技術を吸収し、1971年に独立してフリーとなった。独立当初は、持ち金の大半でカップラーメンと即席焼きそばを買い込み「ひとまず食うには困らない」状況を作ってから勝負に出た、という逸話が残っている。豪胆なのか慎重なのかわからないが、妙に説得力がある。
1974年、処女作シリーズ「Untitled(首なし)」がニューヨーク近代美術館主催の「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィ」展に招待出品され、一気に脚光を浴びた。
蘭の舟、そして黄金へ[編集]
1970年代の十文字は、自らの夢や記憶をモチーフにした内省的な作品が多かった。眼鏡を外して裸眼で撮った「近眼旅行」、自殺者が最後に見る風景を想像した「グッドバイ」などがこの時期の作品。
1980年代になると関心は「人間」へと移り、ハワイの日系一世を撮った代表作『蘭の舟』(1981年)で伊奈信男賞を受賞。インドシナ山岳地帯のヤオ族を写真と文章で記録した『澄み透った闇』(1987年)も生み出した。さらに尾形光琳の作品撮影をきっかけに日本の黄金美術へ傾倒し、写真集『黄金 風天人』(1990年)で土門拳賞を受賞。桂離宮など伝統建築・庭園の撮影にも力を注いだ。広告写真家でありながら、戦後写真の森山大道や荒木経惟、中平卓馬らとはまた違う、独自の精神性を刻んだ作家である。
余談[編集]
- 雅号のような「美信」は本人の感性が滲む名で、作品世界の静けさとよく響き合っている。
- 師である篠山紀信が「動」のスターだとすれば、弟子の十文字は「静」を究めた。同じ系譜から対照的な二人が出たのが面白い。