| 塩川文麟 しおかわ ぶんりん | |
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| ファイル:塩川文麟.jpg | |
| 誕生日 | 1808年 |
| 出身地 | 京都 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 日本画家(四条派) |
| 活動期間 | 幕末〜明治初期 |
| 代表的な実績 | 幕末京都画壇の中心、平安四名家のひとり |
| 別名 | 号:雲章/可竹斎/泉声答斎/木仏老人 |
概要[編集]
塩川文麟(しおかわ ぶんりん、1808年-1877年)は、江戸時代末から明治初期にかけて活躍した四条派の日本画家。幕末の京都画壇を代表する一人で、智にたけた技巧派肌の絵師として知られたらしい。山水を中心にしつつ花鳥・人物まで幅広くこなし、明治に入ると京都の画家たちを束ねる長老的な存在になった。
生い立ち[編集]
京都に生まれ、幼名は隼人、通称は図書(ずしょ)。13歳のころ両親を失い、もとの塩川姓に復して安井門跡(安井門跡寺院)の侍臣となった。生来絵が好きで、門主が学ぶ姿を見ながら独学していたところを認められ、主命により岡本豊彦の門に入る。やがて安井門跡のお抱え絵師となった。
四条派の継承[編集]
師の岡本豊彦は呉春の高弟で「山水は豊彦」と並称された名手であり、文麟はその山水画の系譜を受け継いだ。伝統的な四条派の技法を土台にしつつ、中国の山水画も学び、明治に入ってからは西洋画の要素も積極的に取り入れて、文人画的な精神性と近代的な感覚を画面に加えていった。画域の広さは門下随一だったという。
平安四名家[編集]
幕末の京都では、同じ四条派の横山清暉、岸派の岸連山、そして円山派の中島来章とともに平安四名家と称され、京都画壇の頂点に立った。明治維新後は、衰退しかけた京都の画壇を立て直すべく後進の指導や画会の運営に尽力し、近代京都画壇の橋渡し役を果たした。
余談[編集]
- 別号に雲章・可竹斎・泉声答斎・木仏老人などがあり、雅号の多さでも知られる。
- 江戸で活躍した同門・岡本豊彦系の絵師柴田是真とは、ともに四条派の写生をそれぞれの地で展開した同時代人にあたる。
- 文麟の系譜は、のちの竹内栖鳳ら近代京都画壇の隆盛へとつながっていく。
関連項目[編集]
- 岡本豊彦 - 師。四条派山水の名手
- 呉春 - 四条派の祖
- 円山応挙 - 写生画の祖
- 松村景文 - 四条派の花鳥画
- 中島来章 - 平安四名家のひとり、円山派
- 森狙仙 - 円山派の動物画
- 柴田是真 - 同門系の漆芸家・絵師
- 竹内栖鳳 - 近代京都画壇
- 川端玉章 - 近代日本画
- MissAV
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- 稲垣莉生
- 陽向葵ゅか