松村景文

松村景文
まつむら けいぶん
ファイル:松村景文.jpg
本名 松村直治
誕生日 1779年
出身地 京都
国籍 日本
職業 絵師
活動期間 18世紀末 - 1843年
代表的な実績 四条派の花鳥画を確立
別名 華渓・三果堂


概要[編集]

松村景文(まつむら けいぶん、1779年 - 1843年)は、江戸時代後期の絵師。四条派の祖呉春の異母末弟にして弟子であり、写生にもとづく軽やかな花鳥画を得意とした。初名は直治、号は華渓(かけい)。呉春の没後はその号「三果堂」を継いだ。 同門の岡本豊彦と並び称され、「花鳥は景文、山水は豊彦」と謳われた。四条派の様式を完成させた立役者の一人で、その淡くやわらかな花鳥画は今も人気が高いらしい。

呉春ゆずりの画業[編集]

景文は呉春と27歳もの年の差がある異母弟だったが、兄を師として絵を学んだ。京都の四条に住み、妙法院に出仕している。兄・呉春が日本的な山水画に長じたのに対し、景文は日本的な花鳥画の写生を得意とした。同門の山水画家岡本豊彦とは好一対の存在で、「花鳥は景文、山水は豊彦」という評は二人の持ち味をよく言い表している。

四条派の様式を確立[編集]

四条派が京都画壇で大きな位置を占めるようになったのは、岡本豊彦とともに景文の力が大きかったといわれる。四条派の様式は、呉春が生み出し、景文によって確立されたと評される。 景文の画風は、呉春の画風を受け継ぎながらさらに洗練させたもの。デッサンの力をしっかり保ちつつ、筆致は軽やかで、余白を大きくとった柔和で淡白な作風が特徴である。光琳写しの作品なども手がけ、洒脱な味わいで知られた。

晩年[編集]

1843年(天保14年)に世を去り、京都・北山の金福寺に、兄であり師でもあった呉春のそばに葬られた。師弟であり兄弟でもあった二人は、墓所でも寄り添っている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]