岡本豊彦

岡本豊彦
おかもと とよひこ
ファイル:岡本豊彦.jpg
誕生日 1773年
出身地 備中国窪屋郡水江村(現・岡山県倉敷市)
国籍 日本
職業 絵師
活動期間 18世紀末 - 1845年
代表的な実績 四条派の山水画/画塾「澄神社」
別名 喜楽斎


概要[編集]

岡本豊彦(おかもと とよひこ、1773年 - 1845年)は、江戸時代後期の絵師。四条派の祖呉春の門下筆頭にして、山水画の名手として知られる。同門の松村景文と並び称され、「花鳥は景文、山水は豊彦」と謳われた。 呉春の没後は画塾を開いて多くの弟子を育て、四条派を次代へとつないだ重要な存在である。備中(現在の岡山県)の出身で、地方から京に出て一流の画家にのし上がった苦労人らしい。

修業時代[編集]

備中国窪屋郡水江村(現・岡山県倉敷市水江)に生まれた豊彦は、10代の半ばごろ玉島在住の南画家・黒田綾山に師事した。その後、大坂に出て綾山の師である福原五岳にも学んでいる。1796年(寛政8年)ごろに上洛して四条派の呉春の門に入り、以後は呉春の作品をすべて手本(粉本)として写し学んだと伝わる。

「山水の豊彦」[編集]

豊彦は呉春門下の筆頭格にまで成長し、京の画壇で「花鳥は景文、山水は豊彦」と謳われるほどの山水画家となった。穏やかで叙情ゆたかな山水表現は、師・呉春ゆずりの軽妙さと写生の確かさを兼ね備えたものだった。

画塾「澄神社」[編集]

呉春の没後、豊彦は「澄神社(ちょうしんしゃ)」という画塾を開き、多くの弟子を育てた。門下には塩川文麟、柴田是真、田中日華らがおり、養子の岡本亮彦らも画系を継いだ。豊彦が育てた弟子たちは幕末から明治の京都画壇へと四条派の血脈を伝えていった。 1845年(弘化2年)、大和を旅行中に病を得て世を去った。73歳だった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]