| 団長安田 Dancho Yasuda | |
|---|---|
![]() 「安田大サーカス」の団長安田(出典:東スポWEB) | |
| 本名 | 安田裕己(やすだ ひろみ) |
| 誕生日 | 1974年4月26日 |
| 年齢 | 52歳 |
| 出身地 | 大阪府岸和田市生まれ、兵庫県西宮市育ち |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 妻:安田さち(フリーアナウンサー)、娘2人 |
| 学歴 | 鳥取県内の高校(サッカー推薦)卒業 |
| 職業 | お笑い芸人、タレント、俳優、YouTuber |
| 肩書 | 安田大サーカス団長(リーダー・ツッコミ・ネタ作り担当)、自転車芸人 |
| フォロワー数 | YouTube登録者約3.3万人(2026年10月時点) |
| 活動期間 | 1995年頃 - |
| 代表的な実績 | 潜水115m(2006年、当時の公認日本記録)、アイアンマン・ジャパン北海道完走(2013年)、1分間ハイタッチのギネス世界記録(2013年) |
| 受賞 | 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール新人漫才奨励賞(2001年)、ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞(2004年)、上方漫才大賞奨励賞(2006年)※いずれも安田大サーカスとして |
| 事務所 | 松竹芸能 |
| 関連活動 | 安田大サーカス、安田と竹内(旧コンビ) |
| 別名 | 団長(2006年頃までの芸名) |
| あだ名 | 団長 |
| その他 | 著書『自転車芸人』(竹書房、2010年)、『自転車芸人・団長安田のヒルクライム入門』(エイ出版社、2012年) |
| リンク | チャンネル団長安田 |
概要[編集]
団長安田(だんちょうやすだ)とは、松竹芸能所属のお笑いトリオ安田大サーカスのリーダーで、ツッコミとネタ作りを担当するお笑い芸人である。1974年4月26日生まれ、兵庫県西宮市育ち。巨漢のクロちゃんとHIROを「操る」センターの男として知られ、近年は「自転車芸人」を名乗ってロードバイクとトライアスロンにのめり込む、芸人界屈指のストイック体育会系である。
詳細[編集]
阪神・淡路大震災が背中を押した芸人人生[編集]
子どもの頃からお笑いが好きで、中学卒業後すぐに芸能界へ入りたいと考えていたが、両親の希望で高校へ進学。高校卒業後も「すぐにお笑いに行くぞ!」と決めていたのに、本人いわく「勇気が出ませんでした」。そのまま屋内スキー場の契約社員や、先輩のツテで入った建設現場で働いていた。
転機は20歳のときに起きた阪神・淡路大震災である。地元・西宮は被害の大きかった地域の一つで、幼なじみの同級生が亡くなった。「人間いつ死ぬかわからん。やりたいことやらないかん」と腹をくくり、松竹芸能の門を叩いた。2025年には芸歴30周年の特別ライブを開いており、芸歴の起点はこの震災直後の時期にあたる。
「安田と竹内」と、裸でヒッチハイク[編集]
最初の相方は、幼稚園からの友人である竹内宣和(のちのタケウチパンダ)。コンビ「安田と竹内」として漫才をしたが鳴かず飛ばずだった。そこで合格したのが、フジテレビの新番組『三菱電機チャレンジワールド トロイの木馬』のオーディションである。進め!電波少年の猿岩石やドロンズが大ブームになった時期で、本人も「パクリ企画」と認めつつ大喜びだったという。
企画内容は「アメリカ大陸縦断早押しウルトラクイズ」で、飛行機禁止、ヒッチハイクだけでアラスカからマゼラン海峡の早押し台を目指すというもの。国境を全裸で越えるという無茶もさせられ、カナダやパナマはクリアしたものの、本人によればボリビアでは薬物使用を疑われて身柄を拘束されたという。旅の途中、25歳の誕生日はコスタリカで迎えている。
帰国、解散、そして「見ようによってはイケメン」[編集]
命がけの旅だったが番組は話題にならず、帰国しても取材ゼロ。アルバイト生活に逆戻りし、「安田と竹内」は解散した。団長は事務所に「背が高くてイケメンの相方を」とリクエストし、紹介されたのが元力士のHIROとクロちゃんだった。マネージャーの説明は「背は高いです。見ようによってはイケメン」だったという。
HIROは話し方教室のつもりで、クロちゃんはアイドル志望だったが女性限定コースだったためにお笑いへ回ってきた、という異色の2人。お笑い素人の2人を団長がスパルタで鍛え上げ、カンニングペーパーを使って台詞のタイミングまで仕込んだとされる。こうして2001年、安田大サーカスが誕生した。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
大阪府岸和田市で生まれ、兵庫県西宮市で育つ。母親によれば、幼稚園の頃からケンカをしてはよく帰ってきて、だいたい相手の方が分が悪かったという。本人は「自分ではいい子だった」と語るが、先生の評価は違い、母親が学校に呼び出されて「中学に入ったら不良になる」と言われたこともある。
小学校時代には、窓をサッカーゴール代わりにして3日連続でガラスを割るなど武勇伝に事欠かない。勉強はほとんどせず、英語の授業は「海外なんか行かへん」と寝ていた(のちに南北アメリカ大陸を縦断する羽目になるのは皮肉である)。兄はヤンチャだったが、本人は不良の振る舞いが嫌いで、つるむことはなかったと話している。中学の先輩には小西博之、松尾貴史がいるとされる。
鳥取でのサッカー寮生活[編集]
高校はサッカーのスポーツ推薦で進学。入試は作文だけで済んだという。進学先は鳥取県の高校で、3年間を寮で過ごした。練習はかなりハードで、本人は「よくサボっていた」と振り返っている。同じ高校の2学年下には、のちの大関琴光喜がいたとされる。
サッカーは現在も特技で、芸能人女子フットサルチーム「蹴竹G」の監督を務めたこともある。地元・兵庫のヴィッセル神戸を応援している。
安田大サーカスのブレイク[編集]
トリオ名は、事務所の先輩であるますだおかだの増田英彦が社内ネタ見せの場で名付けたものが定着した。当時の団長は20代後半で、「これが最後のチャンス」という覚悟だった。2001年の今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで新人漫才奨励賞と子供大賞を受賞し、M-1グランプリでは2003〜2005年に準決勝へ進出している。
大きなきっかけは、日本テレビ『松紳』で松本人志と島田紳助に絶賛され、それが新聞記事になったこと。以後オーディションや賞レースが嘘のように通るようになり、石橋貴明には『うたばん』(TBS)で準レギュラーとして起用された。2004年にABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を受賞した際は、震災で亡くなった同級生のもとへ報告に行ったという。その同級生こそ、いつも「芸人になれ」と言ってくれていた人物だった。
給料10万円から「30歳までに芸で食う」へ[編集]
ブレイク後もしばらく月給は10万円のままで、アルバイトをやめられなかった。業を煮やして事務所に「辞める」と伝えたところ、翌月から30万円に上がり、ようやくバイトを卒業した。「30歳までにお笑いで食べられるようになる」という目標はこれで達成したことになる。
ところがトリオが売れるほど、MCは団長を飛ばしてクロちゃんやHIROを直接いじるようになり、解説役だった自分の存在意義が薄れていく。「ただいるだけ」と感じて芸人を辞めることまで考えたという。
勘三郎と鶴瓶に救われた夜[編集]
そんな時期、南麻布を歩いていて偶然中村勘三郎と笑福亭鶴瓶に出くわし、食事を共にした。勘三郎は、団長がテレビ朝日『アドレな!ガレッジ』で池にハマったときの一言を「あの一言で企画が成功した」と褒めてくれた。これで芸人を続ける決心がついたという。
その後は2か月に1度のペースで1人トークのイベントを開き、ラジオやテレビで話す機会も増やしていった。2006年頃までは芸名が単に「団長」だったが、以降は「団長安田」を名乗っている。
芸風とギャグ[編集]
センターのツッコミ兼「調教師」[編集]
安田大サーカスは、中央の団長が左右の巨漢2人(HIROとクロちゃん)を操るという構図の漫才・コントが基本。団長はツッコミとネタ作りを一手に担う。ブレイク以降、「真ん中のツッコミが両端のボケを転がすトリオ」はしばしば安田大サーカスに例えられるようになった。
おなじみの流れは、「ラッセーラー」の掛け声でクロちゃんとHIROを土台にした3人タワーを組んで登場し、クロちゃんの「いつも元気なクロちゃんです!」を挟みつつ、最後は団長の「ベタでーす!」「オチでーす!」「安田大サーカスでした!!」で締めるというもの。HIROの太鼓の口真似も名物である。
体を張る系の持ちネタ[編集]
HIROとクロちゃんに服を破らせ、赤い褌一丁になって2人の肩に乗るネタ、裸にジャケットを羽織って矢沢永吉を意識したパフォーマンスなど、肉体派ネタも多い。モノマネでは森脇健児が十八番で、島崎和歌子に電話する企画では最後までバレなかったという。
2013年にはドラマ『半沢直樹』の大和田常務(香川照之)の土下座シーンのモノマネで再ブレイク。あまりに多用したため膝を痛めたほどだった。
ストイックすぎて面白くない、が面白い[編集]
『水曜日のダウンタウン』では、24時間自転車から降りない企画、オードリーの春日俊彰との「我慢頂上決戦」などに出演。スタッフに「少しお待ち下さい」と言われて6時間半無言で待ち続け、49度の超熱湯風呂では「ただれろ!」と気合を入れた。松本人志からは「面白いことなんて一切言わない」とツッコまれたが、そのガチっぷり自体が笑いになるのが団長の持ち味である。
自転車とトライアスロン[編集]
ロードバイクとの出会い[編集]
自転車にハマったきっかけは、2006年に出演した『関口宏の東京フレンドパークII』のダーツで本格的なロードバイクを当てたこと。最初は細いタイヤと高いサドルに腰が引けたが、乗った瞬間に「早っ!やっぱこれや!」と虜になった。都内の移動はもちろん、遠方ロケにも自転車を持ち込むようになり、芸人仲間の飲みの誘いも「自転車なんですんません」と断るほどだったという。
1週間の母島ロケでは急坂だらけの島で毎朝と撮影後に練習し、「撮影のことはほとんど覚えてない、完全に合宿」と語っている。愛車はキャノンデールのSuper Six HI-MOD Teamなどで、2013年時点で所有台数13台とされる。斜度20%超の激坂が大好物という変わり者である。
「芸人初の実業団選手」[編集]
2008年にはジャパンカップのオープンレースやヒルクライム大会に参戦。2010年に著書『自転車芸人』(竹書房)、2012年に『自転車芸人・団長安田のヒルクライム入門』(エイ出版社)を出版した。2012年にはJ SPORTS『自転車のススメ』、テレビ愛知「眞鍋かをりと団長の自転車塾」などにも出演している。
2012年9月には、宇都宮ブリッツェン系列のアマチュアチーム「ブラウ・ブリッツェン」の入団試験に合格し、本人は「芸人では初の実業団選手」と称した。2022年5月にはホダカの自転車ブランド「KhodaaBloom」のアンバサダーに就任し、オリジナルのトライアスロンバイク「STRAUSS TRI」とウェアも完成させている。
アイアンマン完走と大ケガ[編集]
2013年8月、スイム3.8km・バイク180km・ラン42.2kmのアイアンマン・ジャパン北海道に出場し、1179位で完走した。しかし2015年7月19日、山形県の温海トライアスロン大会のバイクパートで落車して前頭部を強打し、救急搬送。検査で右脳と左脳の間に傷が見つかり、1か月の運動禁止と運転禁止を言い渡された。
それでも7月29日には仕事に復帰し、2016年5月の第3回南紀白浜トライアスロン大会で復帰レースを完走。同月には年代別(40〜44歳)での世界トライアスロン選手権への挑戦も表明している。コロナ禍で大会が止まった2020年の時点でも「世界戦の権利を取って世界大会に出る」ことを目標に練習を続けていた。
自転車の仕事が本業を超える月も[編集]
今や自転車関連のイベント出演や子ども向け交通安全教室、講演会の依頼が増え、月によってはお笑いより自転車の仕事の方が多いほど。「お笑いをおろそかにしているのでは」との問いには、自転車から新しいネタが生まれていると否定しつつ、「わかるのは自転車好きだけ」とも付け加えている。
家族[編集]
妻はフリーアナウンサーの安田さち(旧名:岩田さち)。2007年、彼女が司会を務めた名古屋のイベントに安田大サーカスがゲスト出演したのが出会いである。ネタの最中も客席ではなく舞台袖の彼女ばかり見ていたといい、帰り際にクロちゃんとHIROから「電話番号聞きなよ」と背中を押された。
交際前は、名古屋駅近くで1時間食事をするためだけに東京から何度も通い、告白は約5回に及んだ。周囲からは「芸人は遊んでるからやめた方がいい」と止められていたという。服装はタンクトップに短パンで、彼女いわく「ワンピースのルフィみたいな格好」。彼女の両親への挨拶では、待ち合わせ場所へ全力で走り寄って大声で「お待たせしてすみません!」と頭を下げ、厳格な父親を感動で泣かせたという。2009年9月に入籍し、娘が2人いる。
2023年には『FNS27時間テレビ』の「100キロサバイバルマラソン」に優勝候補として参加。食事制限などでピリピリした日々が続き、本番直前に「応援してくれないんだったら、見にこなくていい!」と言い放って夫婦は大ゲンカ、妻が「離婚」を口にするほどだった。しかし走る姿を見て妻は涙し、和解したと2025年のインタビューで明かしている。
主な出演[編集]
テレビ・バラエティ[編集]
安田大サーカスとしては『エンタの神様』『爆笑レッドカーペット』『アメトーーク!』『うたばん』『笑っていいとも!』『ロンドンハーツ』『メレンゲの気持ち』などに出演。個人では『水曜日のダウンタウン』『Qさま!!』『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』などの体当たり企画で重宝されてきた。
関西ではカンテレ『マルコポロリ!』の常連で、クロちゃんとのコンビ出演が多い。レギュラーとしては『ゲツ→キン』、eo光テレビ『安田大サーカス団長安田のバズるスポーツ!』のMCなど。自転車番組では『快汗!自転車ライフ』、BS朝日「チャリ通」(2020年)などに出演した。
ドラマ・映画・声優[編集]
NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』『マッサン』(クロちゃんと共に出演)、ドラマ『弱虫ペダル Season2』などに出演。映画では『釣りバカ日誌18』『少年H』『事故物件 恐い間取り』『かがみの孤城』などに顔を出している。声優としては『仮面ライダードライブ』(トリオ3人で出演)、トミカヒーローシリーズ、『ウルトラマンデッカー』最終章などがある。
エピソード[編集]
潜水で日本一[編集]
2006年2月、『Qさま!!』の企画でフリーダイビング(潜水)に挑戦して77m(非公認)を記録。同年7月17日には115mを潜り、当時の公認日本新記録を樹立した(のちに他の選手に更新)。肩書きに「フリーダイバー」が並ぶのはこのためである。
ギネス世界記録[編集]
2013年10月、1分間に何人とハイタッチできるかのギネス世界記録に挑戦し、171人で認定された。クレーンゲームも得意で、『TVチャンピオン』に本名名義で出場して第3ラウンドまで勝ち進んだことがある。
24時間自転車生活[編集]
2019年2月放送の『水曜日のダウンタウン』の自転車企画では、「24時間自転車から降りずに生活できるか」を検証。スタッフは5〜6時間で全員転んで解散と読んでいたが、13時間で他の参加者が全員脱落した後も団長1人が校庭を回り続けた。技術スタッフ、演出スタッフ、ロケ車の順に撤収し、最後はほぼ誰もいない中で24時間を完遂。帰りは1人で電車に乗ったという。
相撲企画で肋骨6本骨折[編集]
2024年4月収録の『水曜日のダウンタウン』の相撲企画では、ゆんぼだんぷと対戦して肋骨を6本骨折したが、勝つことを優先してケガを隠していたとされる。体を張った歴史は数知れない。
愛車「ダングー」[編集]
車好きでもあり、ルノー・カングーを3台乗り継いでいる。3台目は2代目カングー最終の400台限定車「リミテッド ディーゼルMT」で、ファンからは「ダングー」と呼ばれる。2025年4月には自転車を避けてポールにぶつけ、ボディを大きく凹ませた様子を「やっちゃった…」とYouTubeで公開。同年5月の「カングージャンボリー」ではMCを務めた。
近年の活動とSNS発信[編集]
YouTube「チャンネル団長安田」[編集]
2019年からYouTube「チャンネル団長安田」で本格的に発信しており、ロードバイク、トライアスロン、車、イベント潜入などの動画を投稿している。2026年10月時点で登録者約3.3万人、動画数は600本を超える。2023年の自転車フェス「サイクルモード東京」潜入回では、ツバ付きヘルメットに「帽子じゃないか!」とツッコみつつ、ウェアのファッションショーにモデルとして出演した。
2023年には、100キロマラソンを走ったコムドットの健闘をたたえたことも話題になった。トライアスロンや大会遠征の記録が多く、「芸人のチャンネル」というより「自転車乗りのチャンネル」に近い。
芸歴30周年とトリオの今[編集]
2025年9月5日には大阪・心斎橋角座で「団長安田 芸歴30周年特別ライブ」を開催。若手芸人30組が30秒ネタで競う「30秒ネタ祭り」を行い、大阪時代からかわいがる後輩の代走みつくがアシスタントを務めた。団長は「面白い若手がいたら安田大サーカスに引き抜きたい」とコメントしている。
一方、2026年7月放送の『あちこちオードリー』でクロちゃんは、トリオで会うのは2か月に1回ほど、団長は自転車やトライアスロン中心で「お笑いやってない」とぼやき、団長の芸風を「クラシック」と評した。HIROは2017年の脳出血からの回復後、故郷の和歌山で活動している。三者三様の距離感ながら、屋号は今も健在である。
炎上とバズ[編集]
- 2013年、『半沢直樹』大和田常務の土下座モノマネが大ウケし、「土下座といえば団長」状態に。膝を痛めるまでやり続けた。
- 2018年12月の『マルコポロリ!』で、クロちゃんが「団長だけ家を建てて高級自転車を何十台も持っている」「ネタ帳を破って捨てたことがある」などと団長への不満を暴露し、トリオ不仲説がネットニュースになった。
- 2022年6月の『マルコポロリ!』で、若手時代に海外ロケで全裸で国境を越えさせられ、ボリビアで刑務所に入れられたと告白。司会の東野幸治に「もう抜こか」と止められた。
- 2026年7月、『あちこちオードリー』でのクロちゃんの「団長はお笑いやってない」「どちらかが辞めたいと言ってくれたら」発言が報じられ、トリオの今後に注目が集まった。
余談[編集]
- 高校卒業後に働いていたのは屋内スキー場と建設現場。スキー場の契約社員から南米の刑務所まで、職歴の振れ幅が大きい。
- ボリビアでは収監のほか、ウユニ塩湖近くの山小屋で「人生で一番きれい」という星空を見たとも語っている。ラスベガスで強盗に遭った際は、「バーガーキングの代金をくれ」と頼んで5ドルだけ返してもらったという。
- 柔道だけは、トリオ名の名付け親でもある増田英彦に勝てないとされる。
- 阪神・淡路大震災の際、倒壊現場に立ち尽くす若き日の団長の姿が読売新聞に掲載されたという話がある。
外部リンク[編集]
- チャンネル団長安田(YouTube)
- 安田大サーカス団長安田さんのインタビュー(東洋経済オンライン、2020年)
