| 南場智子 Tomoko Namba | |
|---|---|
![]() 南場智子(2009年2月撮影、出典:ウィキメディア・コモンズ/CC BY 2.0) | |
![]() 2013年12月、DeNA本社を訪問したジョー・バイデン米副大統領(当時)を案内する南場智子(米国務省撮影・パブリックドメイン) | |
| 本名 | 南場智子 |
| 誕生日 | 1962年4月21日 |
| 年齢 | 64歳 |
| 出身地 | 新潟県新潟市 |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 夫 |
| 学歴 |
新潟県立新潟高等学校卒業 津田塾大学学芸学部英文学科卒業(在学中にブリンマー大学へ留学) ハーバード・ビジネス・スクール修了(MBA、1990年) |
| 職業 | 実業家 |
| 肩書 |
ディー・エヌ・エー創業者・代表取締役社長兼CEO(2026年6月〜) 横浜DeNAベイスターズオーナー |
| 活動期間 | 1986年 - |
| 代表的な実績 | DeNA創業(1999年)、モバゲータウン、プロ野球初の女性オーナー、経団連初の女性副会長 |
| 受賞 | 日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」総合1位(2007年) |
| 関連活動 | 日本経済団体連合会副会長(2021年 - 2025年)、日本プロ野球オーナー会議議長(2020年) |
| その他 | 著書『不格好経営―チームDeNAの挑戦』(2013年) |
| リンク | DeNA公式サイト |
概要[編集]
南場智子(なんば ともこ、1962年4月21日 - )とは、新潟市出身の実業家で、ディー・エヌ・エー(DeNA)の創業者である。マッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナーから起業し、「モバゲー」でDeNAを大企業に育てたうえ、プロ野球初の女性オーナー、日本経済団体連合会初の女性副会長と「初」を連発してきた人物。2026年6月には15年ぶりに社長兼CEOへ復帰した。
詳細[編集]
「父が絶対」の家から東京へ[編集]
1962年、新潟市に生まれる。父は会社を経営する人物で、家庭は「父が絶対」という秩序のもとにあった。門限は18時。高校で水泳部に入った際、帰宅時間を聞かれて「分からない」と答えたところ「時間も答えられないような部活なら辞めなさい」と言われ、退部させられたという。それでも父が寝静まったあとにこっそり学校へ戻ったこともあったと本人が語っている。
子供時代は学級委員長など前に出る役割を好み、授業が退屈だと感じると席を立って帰ってしまうほど自由な子だったという。本人いわく「周囲からは嫌な奴に映っていたかもしれません」。負けず嫌いで、試験前は一夜漬けで集中するタイプだった。
家出宣言と「女子大ならどうでしょう」[編集]
新潟県立新潟高等学校時代、「この家にいると個性のない人間になる」と感じて東京の大学への進学を強く望んだが、父は地元の大学へ行くよう反対。高3の夏には「家出します」と宣言して体当たりしたものの、あっさり跳ね返された。その後の膠着を破ったのは母の「女子大ならどうでしょうか」という一言で、津田塾大学学芸学部英文学科に進学することになった。
津田塾で米国の姉妹校への奨学金留学制度を知り、「もっと遠くに行ける」と渡米。ブリンマー大学では学生が大統領をファーストネームで呼び捨てにしながら政治を議論し、深夜2時まで勉強するのが当たり前という環境に衝撃を受けたという。大学では数学が得意で経済学で好成績を収め、一時は経済学者を志したこともあった。
マッキンゼーで「クビだ」と思った日[編集]
1986年、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に入社。最初の2年間は思うような成果が出せず、朝9時から翌朝4〜5時まで働く修行のような日々だった。重要なプレゼンの当日に寝坊して9時半に目を覚まし、「あ、これはもうクビだ」と思った経験もあるという。
自分の「できなさ加減」に嫌気がさした南場は1988年にいったん退職し、私費でハーバード・ビジネス・スクールへ留学。1990年にMBAを取得して復職し、1996年12月にはパートナー(共同経営者)に昇進した。日本人女性としては歴代3人目のパートナーである。
「そんなに言うなら自分でやれば」でDeNAへ[編集]
マッキンゼー時代、ソネット(So-net)のコンサルティングを担当してインターネット事業を提案していた南場は、「そんなに言うなら自分でやってみたら」という流れで起業を決意したとされる。1999年3月4日、株式会社ディー・エヌ・エーを設立し代表取締役社長に就任した。社名は「DNA」に電子商取引(eコマース)の「e」を差し込んだもので、ネットで売りたい人と買いたい人の距離をぐっと縮める流通革命を起こしたい、という意味が込められている。
のちに南場は、マッキンゼー時代の自分について「クライアントに偉そうなことを言ってきた」と振り返り、アドバイザーは当事者ではないから冷静でいられるが、経営者になったら客観的に物事を見られず「ひとつひとつの出来事に対して、足が震えていた」と語っている。コンサルとリーダーは「立っている土俵が違う」というのが彼女の結論である。
経歴[編集]
ビッダーズの大コケとモバイルへの転進[編集]
DeNAの最初の事業はネットオークション「ビッダーズ」だった。ところが開発を外部のシステム会社に任せたのが大失敗で、6月予定だったサービス開始はずるずる延期。ようやくオープンしたのは1999年11月で、しかも開始時点では「ネットから出品ができない」という致命的な不具合まであった。この間にYahoo!オークションが先行して市場を押さえ、DeNAは「業界の負け組」と呼ばれる。赤字は4年続き、初の黒字化は2003年だった。
その後ショッピングモール事業への転換を経て、勝負の土俵を携帯電話に移す。2004年3月に携帯専用オークション「モバオク」を開始し、2005年2月に東京証券取引所マザーズへ上場。2006年に始めた無料ゲーム&コミュニティサイト「モバゲータウン」が大ヒットし、2007年12月には東証一部へ指定替えを果たした。南場は当時「フラットが嫌い。右肩上がりが大好き」と語っている。
世界進出とCEO退任[編集]
2010年10月には米国のゲーム会社ngmocoを子会社化し、Yahoo! JAPANと組んだ「Yahoo!モバゲー」も開始。2011年3月にはモバゲータウンを世界共通ブランド「Mobage」に改称するなど、グローバル展開を本格化させた。
その最中の2011年4月、夫ががんの告知を受ける。南場は「優先順位が、仕事から家庭へと変わってしまった」として、同年6月に代表取締役社長兼CEOを退任し、代表権のない取締役となった。後任のCEOは守安功。創業者が家族の看病を理由にトップを降りるという決断は、当時大きく報じられた。
看病の2年間[編集]
南場によると、夫は医療関係者とお手伝いさん以外との接触を拒む「クローズドな病人」で、闘病は「本当に2人だけ」のものだったという。免疫力を上げようと慣れない料理に挑戦したが失敗してお手伝いさんに任せ、代わりにウォーキング、陶芸教室、瞑想、ミニゴルフなど「がんにマイナスにならないことは何でもしました」。一口を50〜70回噛んでゆっくり食べる生活に、「こんなにゆっくり食べたこと、それまでありませんでした」と振り返っている。
この時期の支えになったのが愛犬の「さくら」で、すぐ隣にいるのに2人でさくらの写真を広げて「よく写ってるね」と笑い合ったという。「この2年間はまったく喧嘩をしなかった」とも語る。また南場は夫について、工学部出身で経済を勉強していないのに「私より経済を理解している」と尊敬を口にしており、創業初期のシステム開発失敗の際も夫の冷静な助言に救われたとしている。この看病経験は、のちのヘルスケア事業や、社員の育児・介護との両立支援に「魂が入るようになった」きっかけでもある。
会長・オーナーとして復帰[編集]
2015年に取締役会長に就任し、同年から横浜DeNAベイスターズのオーナーも務める。日本プロ野球で初めての女性オーナーである。
2016年、DeNAが運営していた医療情報キュレーションメディア「WELQ」で不正確な医療情報や無断転用が大量に見つかる問題が発覚し、同社は全記事を非公開化。2017年3月に第三者委員会の報告書が公表されたのを受け、南場は代表取締役会長として経営の前線に復帰した。2021年4月には社長が守安功から岡村信悟へ交代し、南場は会長として岡村社長を支える体制が続いた。
2026年、15年ぶりの社長復帰[編集]
2026年5月12日、DeNAは南場が代表取締役社長兼CEOに復帰し、岡村信悟は代表権を持つ会長として行政・自治体・業界団体との関係を担う人事を発表した。理由は「経営スピードを大幅に加速させ、組織変革を推進するため」。同年6月27日の第28回定時株主総会を経て正式に就任し、15年ぶりに創業者自らが会社の舵を握ることになった。
注目されたのは、業績不振による「火消し」ではない点である。2025年3月期は『Pokémon Trading Card Game Pocket』(ポケポケ)の大ヒットで売上収益1,639億円・営業利益290億円と好調だった一方、翌期はその反動で売上収益が1,477億円に落ち着いており、一本のヒットに依存しない事業モデルへの転換が課題とされていた。南場は3年をかけて、AIを軸に組織と事業モデルを作り変える方針を掲げている。
経営者としての仕事[編集]
主な事業の年表[編集]
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1999年 | ディー・エヌ・エー設立、「ビッダーズ」開始 |
| 2004年 | 携帯オークション「モバオク」開始 |
| 2005年 | 東証マザーズ上場 |
| 2006年 | 「モバゲータウン」開始 |
| 2007年 | 東証一部へ指定替え |
| 2011年 | 横浜ベイスターズを買収し「横浜DeNAベイスターズ」誕生/南場がCEO退任 |
| 2015年 | 任天堂と資本業務提携 |
| 2016年 | 横浜スタジアムを買収/WELQ問題 |
| 2018年 | 川崎ブレイブサンダースの運営を開始 |
| 2021年 | IRIAMを子会社化、本社を渋谷スクランブルスクエアへ移転 |
| 2024年 | 『Pokémon Trading Card Game Pocket』配信開始/ベイスターズ日本一 |
| 2025年 | 「AIにオールイン」宣言 |
| 2026年 | 南場が社長兼CEOに復帰 |
ゲームとライブ配信[編集]
DeNAはモバゲー以降もゲームを柱としており、任天堂との提携からは『マリオカート ツアー』、株式会社ポケモン関連では『ポケモンマスターズ』(現・ポケモンマスターズ EX)やポケポケが生まれている。
もう一つの柱がライブ配信である。DeNAからは「SHOWROOM」や「Mirrativ」が生まれ(いずれも後に分社化)、現在はライブコミュニケーションアプリ「Pococha」と、2021年に子会社化したVTuber向け配信アプリ「IRIAM」を展開している。国内のライブ配信市場にはTikTok LIVEや、一時期ゲーム配信で存在感を示したMildomなど国内外のサービスがひしめいており、DeNAは「双方向のコミュニケーション」に寄せたアプリで勝負してきた。
タクシーアプリ「GO」[編集]
2018年にタクシー配車アプリ「タクベル」を始め、同年「MOV」に改称。その後この事業はJapanTaxiと統合してGOとなった。南場は2026年7月のIVSで、GOについて約100億円の投資が約400億円のリターンになったと紹介し、子会社や出資先を抱え込まずに独立・上場させる姿勢を強調している。
「AIにオールイン」[編集]
2025年2月5日の「DeNA TechCon 2025」で、南場は「DeNAはAIにオールインします。これは、私たちにとって"第2の創業"です」と宣言した。既存事業は約半数の社員で維持・成長させ、浮いた残り半数をAIを軸とした新規事業に振り向けるという大胆な方針で、企業・自治体向けにAI活用を支援する「DeNA AI Link」も設立された。南場自身もPerplexity、NotebookLMなど複数のAIツールを使いこなし、「経営者がAIの使い手である必要」を説いている。
1年後の2026年3月6日の「DeNA × AI Day 2026」では、プロジェクトによっては人が5%、AIが95%、つまり「20倍の生産性」になったと報告。一方で、真面目な社員ほど浮いた時間を自分で新しい作業で埋めてしまうことが分かったとして、「先に人を動かす」必要性を語った。「中途半端な専門性は一撃で淘汰される」「スピードのないプロダクトに成長はない」といった言葉や、AIが人間に仕事を割り振るようになったときの人間の尊厳の問題に日本も当事者として向き合うべきだという問題提起も話題になった。社内ではAIエージェントを「Lemon君」と名付けて運用している。
起業支援とエコシステム[編集]
南場は起業支援にも熱心で、DeNA系のベンチャーキャピタル「デライト・ベンチャーズ」を通じてスタートアップへの出資・支援を行っている。経済産業省の政策特集では、政府がやるべきは領域を選ぶ産業政策ではなく「スタートアップが生まれ、育つエコシステムをつくること」だと主張。大企業には新卒一括採用をやめてスタートアップ経験者を歓迎すること、「目を皿にして有望なスタートアップを探し、買収すべき」ことを求めた。
2026年7月3日、京都で開かれたIVS2026では社長兼CEOとして登壇し、「組織が人を使う時代はとっくに終わっていて、人が組織を使う時代です」と発言。自身の「やり残した宿題」は事業を生み育てることを仕組み化することだとし、組織は「固体ではなく流体」であるべきだと語った。サンフランシスコでの起業支援プログラム「DelightX」も紹介し、日本人・日系起業家のグローバル展開を後押しする考えを示している。
横浜DeNAベイスターズのオーナーとして[編集]
プロ野球初の女性オーナー[編集]
DeNAは2011年11月、TBSホールディングスから横浜ベイスターズの株式66.92%を約65億円で取得し、同年12月に「横浜DeNAベイスターズ」が誕生した。2016年には本拠地の横浜スタジアムも買収し、球団と球場の一体経営を進めた。南場は2015年からオーナーを務め、2020年には女性として初めて日本プロ野球のオーナー会議議長も務めた。DeNAはバスケットボールの川崎ブレイブサンダース、サッカーのSC相模原も運営しており、南場は複数競技のチームを持つ経営者でもある。
2024年、26年ぶりの日本一[編集]
2024年シーズン、ベイスターズはセ・リーグ3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズで福岡ソフトバンクホークスを破って26年ぶりの日本一に輝いた。南場は女性初の「日本一オーナー」となり、「横浜や神奈川、全国のファンに育てられた」と喜びを語った。
ただしリーグ優勝はまだ果たせておらず、2026年1月に報じられた新入団選手への講話では、優勝できていない状況という「十字架を一緒に背負ってほしい」と呼びかけている。
選手からは「ママ」[編集]
南場は選手との距離が近いことで知られ、選手から「ママ」と慕われることもある。メジャーから復帰した筒香嘉智は「アメリカに2020年に行ったときから、毎年僕の心を動かされるような言葉を南場オーナーにかけていただき本当に感謝しています」と語り、山﨑康晃は選手の応援歌まで覚えて励ましてくれるオーナーについて「幸せ者だと思いますよ、僕らはほんとに」と話している。2024年に加入した中川颯は、キャンプへ向かうバスで隣の席になり「めちゃくちゃ緊張しました」と明かし、日本一の後には「横浜に来て良かったね」と声をかけられたという。
「二軍はまだコスト」[編集]
一方で言うべきことはズバッと言う。2026年1月に報じられた新入団選手への講話では、華やかな環境ゆえに誘惑が多いこと、選手が逸脱すれば球団は保護よりも「正しい対応」を優先することを警告し、「資産を生んでくれるのは一軍の選手たち。二軍にいるあなたたちはまだコストでしかない」と言い切った。この発言はSNSでも「監督やコーチより重い言葉」として拡散された。
2026年シーズンは相川亮二監督のもとで戦い、9月22日の中日戦に勝って3位以内が確定、5年連続8度目のクライマックスシリーズ進出を決めている。シーズン中、ファンの間で球団フロントへの批判が高まった際には、南場が「現場は監督が責任者として決めている」と述べ、フロントが采配に口を出しているという見方を否定したと報じられた。
財界・公職での活動[編集]
経団連初の女性副会長[編集]
2021年、日本経済団体連合会の副会長に就任。経団連の長い歴史で初めての女性副会長として大きく報じられた。南場は就任にあたり「男女関係なく」実力主義でいく姿勢を示している。2025年5月下旬に副会長を退任し、その後は「社業専念」を公言。政官界からは審議会などへの参加を求める声が絶えないものの、まずはDeNAの経営に集中するという姿勢を示した。
政府の会議[編集]
古くは2003年に内閣のIT戦略本部員、2004年に規制改革・民間開放推進会議委員に就任。2021年にはデジタル庁のデジタル臨時行政調査会の構成員も務めるなど、IT・規制改革・スタートアップ政策の分野で政府に意見を述べてきた。
人物・エピソード[編集]
女性活躍と実力主義[編集]
「女性初」の肩書きが多い南場だが、女性登用については「実力のない人に下駄を履かせて昇進させる気もありません」と明言している。一方で、看病経験を経て育児・介護との両立支援を重視するようになり、柔軟な勤務制度を使うことを社員に勧めている。
読書が唯一の息抜き[編集]
南場にとって「読書が唯一の息抜き」で、風呂や温泉でも本を読み続けるほど。中学時代には父の勧めで志賀直哉の『暗夜行路』を読み、のちには司馬遼太郎の歴史小説を「戦と統治」をビジネスに重ねながら愛読した。特に思い入れがあるのは村上龍の『走れ!タカハシ』で、夫の病気再発という絶望的な状況の中、球場で中村紀洋のサヨナラホームランを見て自然と笑顔になった体験が、この本と重なったと語っている。
不格好経営[編集]
2013年に出版した著書『不格好経営―チームDeNAの挑戦』(日本経済新聞出版社)は、ビッダーズの開発失敗から始まる「不格好」な創業史を赤裸々に描いたビジネス書として話題になった。「どんな人手不足のときでも、人材の質には絶対に妥協しない」という採用方針や、東日本大震災の際に大前研一の助言を受けながら対応したことなども書かれている。成功者の自慢話ではなく、失敗と恥をさらけ出した内容が経営者や起業志望者から支持されている。
メディア出演[編集]
『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)、『がっちりマンデー!!』(TBSテレビ)、『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京)などに出演している。
余談[編集]
- 社名「DeNA」は「DNA」に「e」を入れた造語。「ディー・エヌ・エー」と読み、「デナ」ではない。
- マッキンゼーのパートナーは「日本人女性で3人目」。「女性初」とされがちだが正確には3人目である。
- 2024年のベイスターズは、リーグ3位から日本一まで駆け上がったいわゆる「下剋上」優勝。オーナーとして初の日本一は、リーグ優勝より先に来た。
- 闘病中に愛犬さくらの写真を2人で眺めて笑った話は、南場のインタビューの中でもとりわけ有名なエピソードの一つ。
- 社長復帰を発表した2026年5月は、業績が大きく崩れたタイミングではなく、ポケポケの大ヒット直後の「反動期」だった。創業者復帰の理由が「危機」ではなく「スピード」だった点が珍しいと評された。

