愛染恭子





愛染恭子
Kyoko Aizome
ファイル:愛染恭子.jpg
生年月日1958年2月9日
出身地千葉県野田市
活動期間1975年 - (ピンク映画/AV/監督業)
デビュー1975年5月(ピンク映画『痴漢地下鉄』・青山涼子名義)
ジャンル単体・監督
別名青山涼子

概要[編集]

愛染恭子(あいぞめ きょうこ、1958年2月9日 - )は、日本のポルノ監督・元ポルノ女優・元AV女優。旧芸名は青山涼子(あおやま りょうこ)。千葉県野田市出身。1980年代に「本番女優」の代名詞として一世を風靡した、日本のアダルト史を語るうえで外せないレジェンドである。女優にとどまらず監督業まで手がけ、稼いだ金額も逸話のスケールも桁外れ、というまさに伝説の人らしい。

略歴[編集]

父方の祖母がカナダ人というクオーターで、幼少のころは金髪だったと本人が『週刊文春』のインタビューで語っている。東京都立忍岡高等学校を卒業後にスカウトされ、ヌードモデルとして活動。1975年5月、青山涼子の芸名でピンク映画『痴漢地下鉄』でデビューし、その後20数本のピンク映画に出演した。

転機は1981年。本番行為を売り物にした映画『白日夢』の主演に抜擢され、これを機に芸名を「愛染恭子」と改名する。映画がヒットするとストリップ劇団を旗揚げして地方巡業を始め、映画・ビデオ・ビニ本・自伝などを合わせて3年間で25億円を稼いだという。親孝行で千葉県内に建設費1億円の白亜の豪邸を建てた逸話も残る。

エピソード[編集]

1983年1月、大阪市・十三のストリップ劇場に出演中に公然わいせつの現行犯で逮捕され罰金5万円、同年7月には横浜でも同罪で逮捕され起訴猶予となっている。釈放されるとすぐに地方のストリップ劇場へ向かうほどのプロ根性の持ち主だったと伝えられる。1984年のアダルトビデオ作品『ザ・サバイバル』では、撮影のために高須クリニックで施術を受け、その実際の映像が作品内で使用されたという、当時としても破格の話題作りでも知られた。

人物[編集]

当時の事務所社長は、AVドキュメントの名匠としても知られる代々木忠。女優・監督・実業家としていくつもの顔を持ち、後年は自身が監督としてメガホンを取る側に回った。本番演技やセルフプロデュースを早くから打ち出した点で、日本のアダルトビデオ黎明期を体現した人物といえる。

関連項目[編集]