概要[編集]

パラリンピックとは、障がいのあるトップアスリートが出場する世界最高峰の国際総合競技大会である。国際パラリンピック委員会(IPC)が主催し、夏季・冬季とも4年に1度、オリンピックと同じ都市で、オリンピックの閉幕後に開かれる。リハビリテーションの一環として始まった車いす患者のアーチェリー大会が、70年あまりで500を超える種目を実施する巨大イベントに成長した。

詳細[編集]

パラリンピックの特徴は、「障がいの種類や程度ごとにクラスを分けて競う」という仕組みにある。同じ100メートル走でも、視覚障がい、切断、車いすなどでクラスが細かく分かれ、それぞれに金メダルがある。公平な競争を成り立たせるための工夫だが、そのぶん種目数が膨らみ、「100メートル競走の金メダルが男女合わせて10個以上になり、メダル1個あたりの価値が見えにくい」という課題が指摘されることもある。

運営面では、IPCとIOC(国際オリンピック委員会)の関係が大きい。2000年のシドニー大会以降、オリンピック開催都市がパラリンピックも同じ都市で開催することが基本となり、2001年には両者の間で正式な合意が結ばれた。以後、オリンピックの招致はパラリンピックとのセット招致となっている。

日本はこの大会と縁が深い。1964年の東京大会で「パラリンピック」という呼び名が生まれ、2021年には延期された東京2020大会を開催した。2026年には愛知県・名古屋市でアジアパラ競技大会が開かれ、2028年のロサンゼルス大会へ向けた強化の場にもなっている。

歴史[編集]

起源:ストーク・マンデビル[編集]

原点は1948年7月29日、イギリス・ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で開かれた、16人の車いす患者によるアーチェリー大会である。主催したのは「パラリンピックの父」と呼ばれる医師ルートヴィヒ・グットマン。参加者の多くは戦争で脊髄を損傷した元兵士で、スポーツをリハビリに取り入れる試みだった。

1952年にオランダの選手が参加して国際大会となり、1960年のローマ大会が、のちに第1回パラリンピックと位置付けられた。

1964年東京と「パラリンピック」の誕生[編集]

グットマンの取り組みに感銘を受けた日本の医師中村裕は、1961年に国内初の本格的な身体障がい者スポーツ大会を開催し、1964年の東京大会開催へとつなげた。東京大会は国際大会の第1部と、国内大会の第2部の二部構成で行われたことでも知られる。

「パラリンピック」という名称は、この東京大会の際に日本で生まれた愛称で、当初は「Paraplegia(対麻痺者)」と「Olympic」を組み合わせた言葉だった。その後、車いす以外の障がいのある選手も参加するようになり、1985年に「Para(沿う、並行)」と「Olympic」を組み合わせた「もう一つのオリンピック」という意味に解釈し直されて正式名称となった。大会名として正式に使われたのは1988年ソウル大会からとされる。

IPCの設立と冬季大会[編集]

冬季大会は1976年、スウェーデンのエンシェルツヴィークで初めて開かれた。1989年9月22日には、ドイツでIPCが設立され、「機会均等と完全参加」を掲げつつ、競技としての「エリート性」も追求する大会として体制が整えられた。

不正とドーピングの歴史[編集]

2000年シドニー大会では、知的障がいクラスのバスケットボールで優勝したスペインが、障がいのない選手を出場させていたことが発覚した。これを受けて知的障がいクラスの競技は一時実施されなくなり、基準を厳格化したうえで2012年ロンドン大会から復帰している。

ロシアは組織的なドーピング問題により2016年リオデジャネイロ大会から除外され、2022年のウクライナ侵攻後はロシアとベラルーシの選手が参加を制限された。IPCは2025年9月にこの制限を解除したと報じられているが、競技団体によっては独自の制限を続けているとされる。

仕組み[編集]

クラス分け[編集]

パラリンピックに出場できるのは、IPCが定める10種類の障がいのいずれかがある選手である。その10種類とは、筋力の低下、他動関節可動域の制限、四肢欠損、脚長差、低身長、筋緊張亢進、運動失調、アテトーゼ、視覚障がい、知的障がい。

そのうえで、競技ごとに障がいの種類・部位・程度に応じたクラスが設定される。陸上競技を例にとると、トラック種目は「T」、フィールド種目は「F」の記号に数字を組み合わせ、T11〜T13が視覚障がい、T32〜T38が脳性麻痺、T42〜T46が切断・機能障がい、T51〜T54が車いすのクラスにあたる。水泳は「S」などの記号を使う。

持ち点制とタイム換算[編集]

チームスポーツでは、選手ごとに障がいの程度に応じた持ち点を与え、コート上の合計点に上限を設ける方式がある。車いすバスケットボールや車いすラグビーがその代表例で、障がいの重い選手も試合に出る必要がある構造になっている。冬季のアルペンスキーなどでは、2006年トリノ大会以降、クラスごとの係数でタイムを換算し、複数のクラスをまとめて順位を決める方式が導入された。

競技[編集]

夏季大会ではボッチャやゴールボールのようにパラリンピック独自の競技と、陸上、水泳、車いすテニスのように一般競技をもとにした競技が並ぶ。2028年ロサンゼルス大会ではパラクライミングが新たに加わる。

シンボル[編集]

シンボルマークは赤・青・緑の3色の「スリーアギトス」。アギトスはラテン語で「私は動く」を意味し、2003年に採用された。モットーは「Spirit in Motion」。

日本のメダル史[編集]

大会 金 銀 銅 合計 備考
2004年アテネ 17 ― ― 52 夏季大会の最多メダル
2016年リオデジャネイロ 0 ― ― ― 金メダルなし
2020年東京(2021年開催) 13 15 23 51 地元開催、無観客
2024年パリ 14 10 17 41 金は東京大会を上回る
2026年ミラノ・コルティナ(冬季) 0 3 1 4 メダル獲得数19位

日本の夏季大会でのメダル数は、2004年のアテネ大会の52個(金17個)がピーク。その後は世界の競技レベルが急激に上がったこともあり、2016年リオ大会では金メダルがゼロに終わった。自国開催の東京2020大会では、延期と無観客開催という異例の条件のもとで計51個を獲得し、アテネに次ぐ成績に持ち直した。

2024年パリ大会[編集]

パリ大会は2024年8月28日から9月8日まで、22競技で行われた。開会式はオリンピックに続いてトマ・ジョリーが総監督を務め、シャンゼリゼ通りやコンコルド広場を舞台に行われた。2016年リオ大会以来8年ぶりに、全会場で観客を入れて開催された大会でもある。

日本は175人の選手を派遣し、金14、銀10、銅17の計41個のメダルを獲得した。アテネ超えの目標には届かなかったが、金メダルの数は東京大会を上回った。主な金メダリストは以下の通り。

  • 車いすテニス:小田凱人(男子シングルス)、上地結衣(女子シングルス)、上地結衣・田中愛美(女子ダブルス)。小田は国枝慎吾の活躍に憧れて競技を始めた選手で、初出場で頂点に立った。
  • 水泳:木村敬一が男子100mバタフライS11と男子50m自由形S11で2冠。鈴木孝幸が男子50m平泳ぎSB3で優勝。
  • 自転車:杉浦佳子が女子個人ロードレースで連覇し、日本の最年長金メダリストとなった。
  • 団体:車いすラグビー日本代表と、男子ゴールボール日本代表が金メダル。
  • このほか柔道、バドミントン、卓球でも金メダルを獲得した。

2026年アジアパラ競技大会との関係[編集]

2026年アジアパラ競技大会は、第5回にあたるアジア地域のパラスポーツ総合大会で、2026年10月18日から24日まで愛知県・名古屋市を中心に開催される。18競技・約500種目が行われ、日本での開催は初めてとなる。オリンピックに対するアジア競技大会(2026年アジア競技大会)の関係と同様に、パラリンピックに次ぐ規模の地域大会という位置付けである。

アジアパラ競技大会は、競技によってはパラリンピックの出場権がかかる場にもなってきた。前回の杭州大会(2022年大会、2023年に延期開催)では、車いすテニス女子シングルスで優勝した上地結衣が、パリ大会の出場権を獲得している。2026年大会も、2年後のロサンゼルス大会に向けた試金石となる。

2028年ロサンゼルス大会[編集]

次の夏季大会は、2028年8月15日から27日までロサンゼルスで開かれる。23競技・560種目は過去最多で、パリ大会から1競技・11種目増える。新競技のパラクライミングは2024年6月に23番目の競技として採用された。開会式はSoFiスタジアムで行われる予定。ロサンゼルスでのパラリンピック開催は初めてで、アメリカでの夏季パラリンピックは1996年アトランタ大会以来となる。女子種目も過去最多の247種目に増える。

余談[編集]

  • パリ大会で女子個人ロードレースを制した杉浦佳子は当時53歳で、日本の最年長金メダリストとなった。
  • パリ大会の車いすテニス男子シングルスで優勝した小田凱人は当時18歳。
  • 2026年ミラノ・コルティナ冬季大会では、村岡桃佳がアルペンスキー女子座位のスーパー大回転と大回転で銀メダル2個を獲得した。

外部リンク[編集]

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