| 国枝慎吾 Shingo Kunieda | |
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第100回全日本テニス選手権(2025年10月・有明コロシアム)のエキシビションでサーブする国枝慎吾(出典:Wikimedia Commons「All-Japan-Tennis-Championships-100th-Day8---2025-10-12 06450.jpg」・CC BY 4.0) | |
| 誕生日 | 1984年2月21日 |
| 年齢 | 42歳 |
| 出身地 | 千葉県 |
| 国籍 | 日本 |
| 身長 | 173cm |
| 学歴 | 麗澤高等学校、麗澤大学国際経済学部卒業 |
| 職業 | 元車いすテニス選手 |
| 肩書 | ユニクロ グローバルブランドアンバサダー、麗澤大学特任教授 |
| 活動期間 | 2000年代 - 2023年(2009年プロ転向) |
| 代表的な実績 | 四大大会シングルス28勝・ダブルス22勝(通算50勝)、パラリンピック金メダル4個、生涯ゴールデンスラム(2022年) |
| 受賞 | 国民栄誉賞(2023年) |
| その他 | 所属:ユニクロ(2009年〜) |
| リンク | https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/ambassador/shingokunieda/ |
概要[編集]
国枝慎吾(くにえだ しんご)とは、千葉県出身の元車いすテニス選手である。四大大会で単複通算50勝、パラリンピック金メダル4個を獲得し、2022年に生涯ゴールデンスラムを達成。2023年1月に世界ランキング1位のまま引退し、同年パラアスリートとして初めて国民栄誉賞を受けた、車いすテニス史上屈指の選手。
詳細[編集]
9歳のときに脊髄腫瘍を患い、下半身が麻痺して車いす生活となった。小学6年生のころに車いすテニスを始め、17歳から丸山弘道コーチの本格的な指導を受けた。
2003年にワールドチームカップで初優勝し、NEC全日本選手権も初制覇。2004年アテネパラリンピックでは斎田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得した。2006年にはアジア人として初めて車いすテニスの世界ランキング1位となっている。
2009年4月、日本の車いすテニス選手として初めてプロに転向。同年8月にユニクロと所属契約を結び、以後引退まで同社所属として戦った。当時、車いすテニスでプロとして生活すること自体が珍しく、競技の「職業化」を日本で切り開いた存在とされる。
年間最終世界ランキング1位を10度記録し、2010年には車いすテニスでシングルス初の100連勝を達成(連勝は107で止まった)。フランスのステファン・ウデとは長年のライバル関係にあり、2019年8月時点の対戦成績は国枝の45勝13敗だった。
戦績[編集]
四大大会[編集]
- シングルス28勝、ダブルス22勝の通算50勝で、車いす男子の歴代最多。
- 2007年に車いすテニス史上初のシングルス年間グランドスラムを達成し、ITF世界チャンピオンにも選ばれた。
- 唯一手の届かなかったウィンブルドンのシングルスを、2022年に決勝でアルフィー・ヒューエット(イギリス)を破って初制覇。四大大会全制覇とパラリンピック金メダルを合わせた「生涯ゴールデンスラム」を達成した。
パラリンピック[編集]
| 大会 | 成績 |
|---|---|
| 2004年 アテネ | ダブルス金メダル |
| 2008年 北京 | シングルス金メダル |
| 2012年 ロンドン | シングルス金メダル |
| 2016年 リオデジャネイロ | ダブルス銅メダル |
| 2021年 東京 | シングルス金メダル(日本選手団主将) |
2012年ロンドン大会の前にはひじの手術を受けており、そこからの連覇だった。2016年リオ大会ではシングルスの連覇を逃したが、2021年東京パラリンピックでは日本選手団の主将を務めながら2大会ぶりのシングルス金メダルを獲得した。
「俺は最強だ!」[編集]
国枝を語るうえで欠かせないのが「俺は最強だ!」という言葉である。2006年ごろからメンタルトレーナーのアン・クインの助言を受け、この言葉を毎日口に出して唱えるようになった。試合ではラケットの内側に「俺は最強だ」と書いたテープを貼り、苦しい場面でそれを見て自分を奮い立たせたとされる。
控えめな口調の本人とは対照的な強い言葉だが、自己暗示によって実力を出し切るための手法として紹介されることが多く、国枝の代名詞になった。世界1位になったあとテニスが楽しくなくなった時期もあり、「どこまで技術を磨けるか」を考えることで気持ちを立て直したとも語っている。
フェデラーの「日本にはクニエダがいる」[編集]
ロジャー・フェデラーにまつわる有名な逸話がある。日本の記者に「なぜ日本からトップ選手が出ないのか」と尋ねられたフェデラーが「日本には国枝がいるじゃないか」と答えた、というものである。
この言葉は『Number』2007年10月号に掲載されたものとして同誌のウェブ版で紹介されている。ただし、具体的な質問のやり取りについては細部が異なる形で広まっており、どの場面での発言かは諸説ある。
その後、フェデラーも国枝もユニクロと契約したことで両者の対談が実現している。2022年9月にフェデラーが引退を発表した際には国枝が感謝のメッセージを送り、2023年1月の国枝の引退時にはフェデラーが国枝をねぎらうメッセージを寄せた。
引退とその後[編集]
引退と国民栄誉賞[編集]
2023年1月22日、世界ランキング1位のまま現役引退を表明。「もう十分やり切った」と語った。同年3月3日に国民栄誉賞の授与が閣議決定され、3月17日に表彰式が行われた。パラリンピック競技の選手が同賞を受けるのは初めてだった。引退時には、後継者として小田凱人の名前を挙げ、今後の車いすテニス界は小田が中心になると語っている。
大学・解説[編集]
2023年6月20日に母校の麗澤大学の特任教授に就任。2024年パリパラリンピックではNHKのアスリートナビゲーターとして現地から大会を伝え、小田や上地結衣の金メダルを見届けた。
アメリカでの指導[編集]
2024年1月に拠点をアメリカ・フロリダ州に移し、自ら全米テニス協会(USTA)に申し出てアドバイザーとしてジュニア選手の指導にあたった。英語の習得と指導者としての経験を積む目的に加え、四大大会シングルス王者が出ていないアメリカで「世界No.1が出たらどうなるか見てみたい」という狙いがあったと語っている。在任中には男女のジュニア四大大会優勝者が生まれ、約1年半の活動を終えて日本に戻った。
2026年の活動[編集]
2026年時点ではユニクロのグローバルブランドアンバサダーとして活動している。2026年6月21日(現地時間)には、ロサンゼルス・ドジャースの本拠地ドジャー・スタジアムで開かれた「UNIQLO LifeWear Day」で始球式を務めた。車いすからサイドスローに近いフォームで投げ、ノーバウンドで捕手のミットに収めた。使用したグローブはイチローから贈られたものだったという。
余談[編集]
- 車いすバスケットボール男子日本代表の藤本怜央とは同級生で親交がある。
- 2010年ごろのトレーニングで一部の歩行機能が回復し、テレビ番組で披露したことがある。
- 右利きで、ハードコートを得意とした。車いすはオーエックスエンジニアリング製を使用していた。
- 2022年1月、千葉県柏市の柏郵便局前に東京パラリンピック金メダルを記念するゴールドポストが設置された。
- 長年のライバルだったステファン・ウデは、国枝を「間違いなくナンバーワン」と評している。