| 小田凱人 Tokito Oda | |
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第100回全日本テニス選手権のエキシビションマッチ(2025年10月)(出典:Wikimedia Commons「All-Japan-Tennis-Championships-100th-Day8---2025-10-12 06704.jpg」・CC BY 4.0) | |
| 誕生日 | 2006年5月8日 |
| 年齢 | 20歳 |
| 出身地 | 愛知県一宮市 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | プロ車いすテニス選手 |
| 活動期間 | 2016年頃 - (2022年プロ転向) |
| 代表的な実績 |
パリ2024パラリンピック男子シングルス金メダル 四大大会シングルス通算10勝(2026年9月時点) 史上最年少で生涯ゴールデンスラム達成(2025年) |
| 受賞 | 日本パラスポーツ賞大賞(2023年)ほか |
| 事務所 | 東海理化(所属) |
概要[編集]
小田凱人(おだ ときと)とは、愛知県一宮市出身のプロ車いすテニス選手である。9歳で骨肉腫を発症したのち車いすテニスに転向し、史上最年少での世界ランキング1位、四大大会優勝、パラリンピック金メダル、そして生涯ゴールデンスラムを次々と塗り替えた「最年少記録の男」だ。
詳細[編集]
2006年5月8日生まれ。名前の「凱」はフランスの凱旋門に由来するとされる。小学生のころはプロサッカー選手を夢見るサッカー少年だったが、9歳のときに左脚に骨肉腫が見つかり、人生が一変した。
入院中、主治医にパラスポーツを勧められ、2012年ロンドンパラリンピックで戦う国枝慎吾の映像を見て心を動かされたことが車いすテニスを始めるきっかけになった。10歳ごろから本格的にラケットを握り、そこからわずか数年で世界のトップへ駆け上がる。
2022年に15歳でプロ転向を表明し、2023年の全仏オープンで17歳1か月にして四大大会初優勝。同時に世界ランキング1位を確定させた。2024年のパリパラリンピックでは宿敵アルフィー・ヒューエットとの死闘を制して金メダルを獲得し、2025年の全米オープン優勝で19歳3か月にして史上最年少の「生涯ゴールデンスラム」を完成させた。
2026年は全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権を連勝し、男子シングルス史上初となる「年間グランドスラム」に王手をかけたが、全米オープン決勝でヒューエットに敗れて偉業達成はならなかった。同年10月には地元・愛知で開かれる2026年アジアパラ競技大会への出場が内定しており、本人は同大会を「今年一番の目標」と位置づけている。
経歴[編集]
骨肉腫と車いすテニスとの出会い[編集]
9歳で左脚に骨肉腫を発症し、左脚の股関節と大腿骨の一部を切除して人工関節に置き換える手術を受けた。これにより車いすを使う生活となった。本人は後年のインタビューでも、発症から世界一までの歩みを隠さず語っており、「骨肉腫を発症して8年、17歳で世界一に」という言葉は各メディアで繰り返し紹介されている。
サッカーを失った少年に新たな目標を与えたのが、主治医から勧められたパラスポーツと、国枝慎吾のプレー映像だった。退院後は練習場所を探すところから始め、地元・東海地方を拠点に競技を本格化させた。
ジュニア時代[編集]
2020年、14歳でジュニアの国際大会「Cruyff Foundation Junior Masters」のシングルス・ダブルス2冠を達成。2021年には史上最年少で車いすテニスのジュニア世界ランキング1位に立った。
2022年4月、地元企業の東海理化と所属契約を結び、同月に15歳でプロ転向を表明。同年11月のシーズン最終戦(NECマスターズ)では16歳で優勝し、史上最年少の年間王者となった。
最年少世界1位と四大大会初制覇(2023年)[編集]
2023年6月の全仏オープンで四大大会初優勝。17歳1か月での戴冠は、オープン化以降の四大大会で(一般・車いすを問わず)いずれかの種目を制した男子として最年少とされる。この優勝で史上最年少の世界ランキング1位も確定させた。
勢いは止まらず、翌7月のウィンブルドン選手権でも優勝し、四大大会2連勝を飾った。同年には日本生命ともスポンサー契約を結び、CM出演などで一般層への知名度も一気に広がった。
パリパラリンピック金メダル(2024年)[編集]
2024年は全豪オープンで初優勝し、全仏オープンでも連覇。迎えたパリパラリンピックでは、三木拓也と組んだ男子ダブルスで銀メダルを獲得したのち、シングルス決勝でイギリスのアルフィー・ヒューエットと対戦した。
試合は6-2、4-6、7-5のフルセット。最終セットは3-5とリードされ、ヒューエットのサービング・フォー・ザ・マッチでマッチポイントまで握られたが、そこから逆転して金メダルをもぎ取った。18歳での金メダルは車いすテニス男子シングルス史上最年少とされる。試合後には「小学生の頃から口に出してきた夢が今日かなった」という趣旨の言葉を残した。
敗れたヒューエットも「車いすテニスのパラリンピック史に残る試合かもしれない」と語っており、会場は審判が何度も静粛を求めるほどの熱狂に包まれた。
生涯ゴールデンスラム達成(2025年)[編集]
2025年は全豪オープン決勝でヒューエットに敗れ、パリからの連勝が20で止まるという苦いスタートとなった。しかし全仏オープンで3連覇、ウィンブルドン選手権で2年ぶり2度目の優勝を果たす。
そして全米オープン決勝で、アルゼンチンのグスタボ・フェルナンデスを6-2、3-6、7-6(13-11)の大激戦の末に破り、大会初優勝。四大大会全制覇とパラリンピック金メダルを合わせた「生涯ゴールデンスラム」を19歳3か月で達成した。車いすテニスでは男子の国枝慎吾、女子のディーデ・デフロート(オランダ)に次ぐ史上3人目で、最年少記録である。
同大会ではフェルナンデスと組んだダブルスでも優勝し、四大大会ダブルス初タイトルを手にした。
年間グランドスラムへの挑戦(2026年)[編集]
2026年1月の全豪オープンでは、決勝でスペインのマルティン・デラプエンテに第1セットを奪われながら3-6、6-2、6-2で逆転し、2年ぶり2度目の優勝。四大大会4大会連続優勝は男子シングルスで国枝慎吾以来2人目の快挙となった。ダブルスもフェルナンデスとのペアで制し、単複2冠を達成している。
6月の全仏オープンでは4年連続で決勝に進出し、大会4連覇。7月のウィンブルドン選手権でも2連覇を果たし、四大大会6大会連続優勝で年間グランドスラムに王手をかけた。
しかし9月の全米オープン決勝では、第1シードとして臨みながらヒューエットに0-6、6-7(5-7)のストレートで敗戦。第2セットはサービング・フォー・ザ・セットの場面もあったが取り切れず、男子シングルス史上初の年間四大大会全制覇は来年以降に持ち越しとなった。試合後は「悔しい」「勝ちたかった」と率直に語っている。2026年9月時点で四大大会シングルス通算10勝。
主な成績[編集]
四大大会シングルス優勝[編集]
- 全豪オープン:2024年、2026年
- 全仏オープン:2023年、2024年、2025年、2026年
- ウィンブルドン選手権:2023年、2025年、2026年
- 全米オープン:2025年
四大大会ダブルス優勝[編集]
- 全米オープン:2025年(グスタボ・フェルナンデスと)
- 全豪オープン:2026年(グスタボ・フェルナンデスと)
総合大会[編集]
- パリ2024パラリンピック:男子シングルス金メダル、男子ダブルス銀メダル(三木拓也と)
- アジアパラ競技大会(杭州):男子シングルス金メダル
ライバル[編集]
最大のライバルはイギリスのアルフィー・ヒューエットである。パリパラリンピック決勝、2025年全豪オープン決勝、2026年全米オープン決勝など、大一番でたびたび激突してきた。報道では「宿敵」と表現されることが多く、ヒューエットは小田の年間グランドスラムを阻止した男にもなった。
アルゼンチンのグスタボ・フェルナンデスは、2025年全米オープン決勝で死闘を演じた相手であると同時に、ダブルスでは四大大会を2度制したパートナーでもある。
人物[編集]
「車いすテニスをかっこよく」[編集]
自分が表舞台に立つこと自体に意味があるという考えを持っており、「僕のような人間が表に出ることに意味がある」と語っている。ライフスタイル誌のインタビューでは「車椅子テニスをもっと格好良く表現したい」とも述べ、競技の見せ方やファッション面にもこだわる。Google Pixel、ほっともっと、日本生命などのCMにも出演している。
一方で「僕は勝負が好き。あくまでもスポーツ選手で、プラスアルファで違う姿を持つというのが、すごく自分に合っている」とも話しており、軸足はあくまで競技者に置いている。
メンタル[編集]
プレッシャーとの付き合い方について「緊張しないようにするのではなく、思ったままいることが僕にとっては大切」と語る。また「心をネガティブにせず、心身ともに健康でいるためには、好きなことをして、自分を好きでいることが何よりも大切」という言葉も残している。
趣味・好きなもの[編集]
- 気になったことは何でも試すタイプで、本人いわく「けっこうアクティブな方」。
- コロナ禍でギターを始め、エド・シーランの「Perfect」は暗記しているという。
- ヒップホップや洋楽を好む。
- コーヒー好きで、ブラックを1日5杯ほど飲むと語っている。
- ナイキとの契約をきっかけにスニーカー集めにハマり、髪型のセットにもこだわりがある。
- サッカー少年時代の名残で、本田圭佑やリオネル・メッシを尊敬している。
地元愛[編集]
一宮市出身で、全米オープン初制覇の際には一宮市役所に祝福の横断幕が掲げられた。地元開催となる2026年アジアパラ競技大会については「愛知県で試合をする機会は滅多にない」「僕のプレーを見た地元の人々が『自分もやってみよう』と思ってもらえれば」と語り、公開練習でも意気込みを見せている。
受賞歴[編集]
- 2023年:日本パラスポーツ賞 大賞
- 2023年:中部スポーツ賞
- 2023年:日本プロスポーツ大賞 最高新人賞
- 2024年:秋の褒章 受章
余談[編集]
- 名前の「凱人」は、フランスの凱旋門にちなんだものとされる。奇しくも初めて四大大会を制したのも、パラリンピック金メダルを獲ったのも、同じパリのローラン・ギャロスだった。
- 全仏オープンとは特に相性がよく、初優勝から2026年まで4連覇中。
- パリパラリンピック決勝ではマッチポイントを握られてからの逆転劇だった。報道ではこの試合が車いすテニス史に残る名勝負として扱われている。
- 2025年全米決勝の最終セットタイブレークは13-11までもつれ、優勝決定後は感情があふれて涙を見せた。本人は「若すぎるとは思っていない。一歩一歩ここまで来た」と振り返っている。