田中好子
たなか よしこ / Yoshiko Tanaka
本名 小達好子(旧姓:田中)
誕生日 1956年4月8日
死亡日 2011年4月21日
死亡年齢 55歳(数え年56)
出身地 東京都足立区
国籍 日本
学歴 東京成徳高等学校、東京成徳短期大学
ジャンル 歌手(アイドルグループ)、映画、テレビドラマ、CM
活動期間 1972年 - 1978年、1980年 - 2011年
デビューアルバム 1973年 シングル「あなたに夢中」(キャンディーズ)、1984年 ソロシングル「カボシャール」・ソロアルバム『好子』
家族 夫:小達一雄(1991年結婚)、義妹:夏目雅子(夫の実妹)
代表作 映画『黒い雨』、『夢千代日記』、『ゴジラvsビオランテ』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『リング0 バースデイ』、ドラマ『おしん』、『秋の駅』、『家なき子』、『大地の子』、『ちゅらさん』、『筆談ホステス』
関連活動 キャンディーズ(1972年 - 1978年)、夏目雅子ひまわり基金、日本エイズストップ基金
あだ名 スー、スーちゃん(結成当初は「ヨッチ」)
その他 『黒い雨』で第13回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、キネマ旬報賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞、報知映画賞主演女優賞。『秋の駅』で放送文化基金賞演技賞


概要[編集]

田中好子(たなか よしこ、1956年4月8日 - 2011年4月21日)とは、東京都足立区出身の女優・歌手である。1970年代の3人組アイドルグループ「キャンディーズ」の最年少メンバー「スーちゃん」として人気を集め、解散後は女優に転身。1989年の映画『黒い雨』で主要映画賞の主演女優賞を総なめにした。2011年、乳がんのため55歳で死去した。

詳細[編集]

「スーちゃん」は最初のセンターだった[編集]

キャンディーズといえば「真ん中はランちゃん(伊藤蘭)」のイメージが強いが、1973年9月1日のデビュー曲「あなたに夢中」から4枚目の「なみだの季節」まで、センターでリードボーカルを取っていたのは最年少の田中だった。ふっくらした丸顔と明るい笑顔で、グループの「妹」的なポジションを担った。

転機は1975年の5枚目「年下の男の子」。この曲からセンターが伊藤に交代し、田中はコーラスに回った。結果的にこの曲がオリコン9位とグループ初のベストテン入りを果たし、キャンディーズは一気にトップアイドルへ駆け上がる。田中自身はハーモニーの要として歌を支え、1977年以降は作詞・作曲にも参加した。

アイドルから「本格派女優」へ[編集]

1978年4月のキャンディーズ解散後、田中はいったん芸能界を離れた。1980年に復帰すると、歌手ではなく女優を主戦場に選ぶ。同年の映画『土佐の一本釣り』で映画初主演、ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日)で本格的な女優業をスタートさせた。

1980年代を通じて『おしん』『金曜日の妻たちへII』など話題作への出演を重ね、1989年、今村昌平監督の映画『黒い雨』で被爆した女性・高丸矢須子を演じる。この役で日本アカデミー賞、ブルーリボン賞、キネマ旬報賞、毎日映画コンクール、報知映画賞の主演女優賞を総なめにし、「元アイドル」から「日本映画を代表する女優の一人」へと評価が一変した。

「お母さん女優」として[編集]

1990年代以降は母親役の名手として重宝された。『家なき子』(日本テレビ)では安達祐実演じる主人公の病身の母、『神様、もう少しだけ』(フジテレビ)では深田恭子演じるヒロインの母、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』では国仲涼子演じるヒロインの母を演じている。

自身に子どもはいなかったが、キャリアを通じて共演した子役は47人(男子22人、女子25人)にのぼるとされる。『ちゅらさん』で娘役だった国仲涼子は、田中が「公私にわたって支えてくれた」と語っており、2026年にはその経験を理由に自ら朝ドラの母親役を志望したことが報じられている(後述)。

隠し続けた闘病と最後のメッセージ[編集]

田中は1992年に人間ドックで乳がんが見つかって以来、約19年間、再発と治療を繰り返しながら病気を公表せずに女優業を続けた。闘病の事実が公になったのは、2011年4月21日の死去の後、夫による発表だった。

告別式では、亡くなる約1か月前に病室で録音された本人の肉声メッセージが流された。録音は東日本大震災から約2週間後の2011年3月29日に行われ、キャンディーズ時代からの感謝、伊藤蘭と藤村美樹への思い、被災者への思いが語られていた。この告別式はNHK『ニュース7』で準トップ扱いで報じられ、「NHKとしては極めて異例」と評されている。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1956年4月8日、東京都足立区に、釣具店を営む両親の次女として生まれる。小学4年生のときに民謡研究会に入り、発表会で「ソーラン節」などを披露していた。歌で人前に立つ経験は、この頃から始まっている。

1969年、渡辺プロダクション系列の東京音楽学院に入学し、同プロのタレントのバックで歌い踊る「スクールメイツ」に選抜される。同期には伊藤蘭、太田裕美がいた。1972年には日本テレビのドラマ『突撃! ヒューマン!!』に星山ルミ子役で出演している。学業では東京成徳高等学校を経て、1975年に東京成徳短期大学に入学・卒業した。

キャンディーズ結成とデビュー(1972年 - 1975年)[編集]

1972年4月、NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールに伊藤蘭、藤村美樹とともに選ばれ、3人は「キャンディーズ」と名付けられた。同年末のNHK紅白歌合戦には、まだデビュー前ながら橋幸夫のバックコーラス、南沙織のバックダンサーとして出演している。

1973年9月1日、シングル「あなたに夢中」でレコードデビュー。当時17歳でメンバー最年少だった。デビューから4曲目の「なみだの季節」までは田中がセンター兼リードボーカルを務めたが、ヒットには恵まれなかった。

トップアイドル時代(1975年 - 1978年)[編集]

1975年の「年下の男の子」でセンターが伊藤に交代し、初のベストテン入り。以後「春一番」(1976年、オリコン3位)、「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」(1977年)とヒットを連発した。紅白歌合戦には1975年から1977年まで3年連続で出場している。ファンクラブ「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」は、日本初の全国組織型ファンクラブとされる。

1977年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートで突然の解散を宣言。伊藤の「普通の女の子に戻りたい!!」はその年の流行語になった。解散前の最後のシングル「微笑がえし」(1978年)はグループ初のオリコン1位を獲得。1978年4月4日、後楽園球場で開かれた「ファイナルカーニバル」には5万5000人が集まり、3人はステージを降りた。以後、キャンディーズとしての再結成は一度も行われていない。

芸能界復帰と女優転身(1980年代)[編集]

解散から2年後の1980年、芸能界に復帰する。理由として、病気と闘っていた実弟を支えたいという思いと、萩本欽一の励ましがあったとされる。弟は生前「テレビに出ている姉が一番好き」と話していたと伝えられており、復帰後まもなく19歳で亡くなった。1980年5月に復帰会見を開き、7月に萩本欽一の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日)で正式に復帰した。

同年、ドラマ『虹子の冒険』で女優活動を本格化。この現場で1歳年下の夏目雅子と出会い、2人は姉妹のように親しくなった。1983年から1984年にかけてはNHK連続テレビ小説『おしん』に出演。1984年1月21日にはソロシングル「カボシャール」とソロアルバム『好子』を同時発売し、歌手としても一時活動した。

1985年には映画『夢千代日記』に紅役で出演。主演は吉永小百合で、のちに映画賞で並ぶ2人の共演作となった。同年、親友の夏目雅子が27歳で死去している。

『黒い雨』と評価の確立(1989年 - 1990年代)[編集]

1989年5月公開の『黒い雨』(今村昌平監督、東映配給)で主演。井伏鱒二の同名小説を原作に、広島県で原爆の「黒い雨」を浴びた女性が、偏見による縁談の破談や原爆症に苦しむ姿をモノクロ映像で描いた作品で、音楽は武満徹が担当した。同作は第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、フランス映画高等技術委員会賞を受賞。田中は国内の主要映画賞で主演女優賞を独占した(受賞歴の節を参照)。

同じ1989年には東宝の『ゴジラvsビオランテ』にも出演。1991年5月21日、夏目雅子の実兄である実業家・小達一雄と結婚した。1992年には乳がんが見つかったが公表せず、同年から「揖保乃糸」のCMキャラクターを務め始める。1993年の主演ドラマ『秋の駅』(フジテレビ)では放送文化基金賞の演技賞を受けた。1994年から1995年の『家なき子』、1995年のNHK日中共同制作ドラマ『大地の子』と、話題作で母親役を重ねていく。

2000年代[編集]

2000年の『リング0 バースデイ』では、のちに「貞子」となる山村貞子の過去に関わる宮地彰子を演じ、ホラー映画にも足跡を残した。2001年度前期のNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』ではヒロインの母・古波蔵勝子を演じ、沖縄の肝っ玉母さんとして親しまれた。

その後も映画『鏡の女たち』(2003年)、『深紅』(2005年)、『0からの風』(2007年、主演)、『明日への遺言』(2008年)、ドラマ『華岡青洲の妻』(2005年、NHK)、『私の頭の中の消しゴム』(2007年、日本テレビ)などに出演。2003年にはNHK教育テレビの趣味講座『趣味悠々』をきっかけに墨彩画を始めた。

闘病と死去(2010年 - 2011年)[編集]

2010年、毎日放送制作のドラマ『筆談ホステス』で北川景子演じるヒロインの母を演じる。同年10月に十二指腸潰瘍を患い、治療のための絶食で体力が落ちたことも重なり、乳がんが再発したとされる。2011年2月には肺と肝臓への転移が判明した。

同年3月14日、夫から病状の深刻さを告げられ、3月29日に葬儀で流すためのメッセージを病室で録音。2011年4月21日午後7時過ぎ、都内の病院で死去した。55歳だった。亡くなった当日には伊藤蘭と藤村美樹が病院に駆けつけ、元メンバー3人がそろう時間があったと伝えられている。

主な出演作[編集]

映画[編集]

公開年 作品 役名 備考
1980年 土佐の一本釣り 八千代 映画初主演
1982年 ひめゆりの塔 嘉浦春子
1983年 真夜中のボクサー 文
1985年 夢千代日記 紅 主演は吉永小百合
1989年 黒い雨 高丸矢須子 主演。主要映画賞の主演女優賞を受賞
1989年 ゴジラvsビオランテ 大河内明日香 東宝
1992年 ゴジラvsモスラ 深沢真由美 2シーンのみの出演
1993年 お墓と離婚 石野厚子
1995年 サラリーマン専科 石橋ふみ子 続編(1996年)にも出演
1999年 鉄道員(ぽっぽや) 杉浦明子
2000年 リング0 バースデイ 宮地彰子
2003年 鏡の女たち 尾上正子
2004年 草の乱 高浜ミキ
2004年 インストール 野沢毬恵
2005年 深紅 斎藤佳代
2006年 ブレイブ ストーリー 三谷邦子 声の出演
2007年 0からの風 茂木圭子 主演
2007年 親父 沼田敏子
2008年 明日への遺言 水谷愛子

テレビドラマ[編集]

放送年 局 作品 役名
1980年 テレビ朝日 虹子の冒険 瀬戸かおり
1982年 TBS 幸福の黄色いハンカチ 幸子
1983年 関西テレビ 大奥 第8話「偽れる唇」 お優
1983年 - 1984年 NHK 連続テレビ小説『おしん』
1984年 TBS 金曜日の妻たちへII 川久保由利
1987年 フジテレビ 銭形平次 お桂
1989年 TBS いまさら、初恋 尚子
1990年 テレビ東京 泥棒に手を出すな! 今野真弓
1993年 フジテレビ 秋の駅 美代子(主演)
1994年 - 1995年 日本テレビ 家なき子 相沢陽子
1995年 NHK 大地の子 松本タキエ
1998年 フジテレビ 神様、もう少しだけ 叶野弥栄子
2001年 NHK 連続テレビ小説『ちゅらさん』 古波蔵勝子
2005年 NHK 華岡青洲の妻 華岡於継
2007年 日本テレビ 私の頭の中の消しゴム 香野あづさ
2010年 毎日放送 筆談ホステス 斉藤恵美子
2010年 NHK てのひらのメモ 折川福実(遺作とされる)

CM[編集]

最も長く務めたのが、兵庫県手延素麺協同組合のそうめん「揖保乃糸」のCMで、1992年から2011年まで約19年間にわたった。乳がんが見つかった年に始まり、亡くなる年まで続いたことになる。ほかにエバラ食品「和風焼肉のたれ さわやか」、花王「ビオレU」、サントリー「モルツ」、ミツカン「おむすび山」、NTTドコモなどのCMに出演している。

受賞歴[編集]

年 賞 対象
1989年度 ブルーリボン賞 主演女優賞 『黒い雨』
1989年度 キネマ旬報賞 主演女優賞 『黒い雨』
1989年度 毎日映画コンクール 女優主演賞 『黒い雨』
1989年度 報知映画賞 主演女優賞 『黒い雨』
1990年 第13回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞 『黒い雨』
1993年度 放送文化基金賞 演技賞 『秋の駅』

『黒い雨』は第13回日本アカデミー賞で最優秀作品賞・最優秀監督賞なども受賞しており、助演の市原悦子も最優秀助演女優賞を獲得した。作品・監督・主演・助演がそろって評価された、1989年度の日本映画を代表する一本である。

人物[編集]

性格・評判[編集]

共演者やスタッフの証言では「温かみのあるオーラ」の持ち主として語られることが多い。撮影が押した現場で「みんな、頑張ろうね」と声をかけて空気を和ませていたというエピソードが、ドラマ関係者によって紹介されている。夏目雅子が闘志を燃やすタイプだったのに対し、田中は周囲を和やかにするタイプだった、という対比で語られることもある。

『筆談ホステス』では、プロデューサーから「思いやりゆえの厳しさ」を表現できる人として起用されたとされる。母親役の多さは、こうした柔らかさと芯の強さを併せ持つ持ち味によるものと評されてきた。

夏目雅子と小達家[編集]

夏目雅子とは『虹子の冒険』の共演をきっかけに親友となった。夏目が1985年に白血病のため27歳で亡くなったのち、田中は夏目の実兄・小達一雄と1991年に結婚し、夏目の義姉となった。1993年には、夏目の名を冠した「夏目雅子ひまわり基金」の活動に参加している。

夫の連れ子とは実の娘のように親しかったとされ、没後もその縁は報じられている。

社会活動[編集]

ひまわり基金のほか、国の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問を務めた。1996年にはエイズ予防財団・日本エイズストップ基金の協力委員、2000年には同基金の運営委員に就任しており、医療・公衆衛生分野の啓発活動に長く関わった。

趣味[編集]

2003年に始めた墨彩画では片岡鶴太郎に師事し、100点以上の作品を残したとされる。また怪獣映画『モスラ』のファンで、『ゴジラvsモスラ』への出演は本人の強い希望によるものだった。出番は2シーンのみだったが、それでも出たかったという。

死去と告別式[編集]

告別式[編集]

通夜は2011年4月24日、告別式は4月25日に東京・青山葬儀所で営まれた。喪主は夫の小達一雄。芸能関係者約800人、ファン約1300人の計約2100人が参列したと報じられている。祭壇や棺、会場の絨毯は、キャンディーズ時代の田中のイメージカラーだった青で彩られた。戒名は「春芳院妙純日好大姉」。

弔辞では伊藤蘭が、もう一度3人で会うという約束が果たせなかったことを涙ながらに悔やみ、「いつか会えるときまで」と語った。藤村美樹は、亡くなった当日に3人がそろった数時間を「奇跡」と表現し、「私たちは永遠にキャンディーズだからね」と別れを告げた。参列者には国仲涼子、菅野美穂、山田優、志田未来らのほか、鳩山由紀夫前首相らの姿もあった。

本人の音声メッセージ[編集]

喪主あいさつの中で、約3分20秒の肉声メッセージが公開された。録音日は2011年3月29日で、東日本大震災の約2週間後にあたる。報道によれば、主な内容は次の通り。

  • キャンディーズのデビュー以来、一緒に仕事をしてきた人々への感謝と、「幸せな人生でした」という言葉
  • 伊藤蘭・藤村美樹への「二人が大好きでした」という思い
  • 震災の被災者を思う気持ちと、病気と闘ってきたが負けてしまうかもしれないこと、もし天国に行ったら被災者の役に立ちたいということ
  • 映画やテレビにもっと出たかった、女優を続けたかったという思い
  • 義妹・夏目雅子のように、支えてくれた人々や社会に恩返しをするため「復活したい」という願い
  • 夫への呼びかけと、「その日まで、さようなら」という結びの言葉

メッセージの後、夫は田中の女優人生の「第1章」が終わったとして、「第2章」の始まりを告げるかのようにカチンコを打ち鳴らした。

出棺[編集]

出棺時にはキャンディーズのデビュー曲「あなたに夢中」が流れ、ファンが「スーちゃん」と声をかけながら青い紙テープを投げて見送った。紙テープはキャンディーズ時代のコンサートで定番だった応援スタイルでもある。

没後の追悼と再評価[編集]

2011年 - 2010年代[編集]

訃報直後からキャンディーズのCDに注文が殺到し、レコード会社には訃報以前から予定されていた6月8日発売のベスト盤への問い合わせも相次いだ。公式サイトの掲示板には「スーちゃんありがとう」という書き込みがあふれ、アクセス集中でつながりにくくなったと報じられた。2ちゃんねるにも追悼スレッドが次々に立ったという。

同年7月6日には『徹子の部屋』で追悼特集が放送され、伊藤蘭の娘で女優の趣里は、尊敬する女優として田中の名を挙げている。2012年4月20日には一周忌に合わせた特別番組が放送された。

没後10年・キャンディーズ50周年[編集]

2021年の没後10年には、キャンディーズが「伝説」であり続ける理由を検証する記事が週刊誌系メディアに掲載され、田中の告別式がNHKで異例の扱いを受けたことも改めて紹介された。

2023年はキャンディーズのデビュー50周年。同年の第74回NHK紅白歌合戦には伊藤蘭が46年ぶりに出場し、キャンディーズ時代の楽曲をメドレーで披露した。歌唱中、背後のスクリーンに当時の3人の映像が映し出される演出があり、視聴者アンケートでも上位に選ばれている。

2026年[編集]

2026年4月4日、キャンディーズ解散公演からちょうど48年の日に、伊藤蘭のコンサートツアー「Dance on!Love on!」が神奈川県で開幕した。本編19曲中12曲がキャンディーズのナンバーで、ステージでは「スーちゃんの誕生日も4月8日でした」と田中に触れる場面があった。

同年9月28日に始まったNHK連続テレビ小説『ブラッサム』では、『ちゅらさん』で田中の娘役だった国仲涼子が主人公の継母役で25年ぶりに朝ドラへ出演。国仲は出演発表時、40代になって「田中さんが『ちゅらさん』で母親役を演じていたのは今の自分くらいの年齢だった」と気づき、田中がヒロインをどんな思いで見守っていたのかを知りたくて母親役を望んだと語っている。田中の「お母さん女優」としての仕事が、次の世代の俳優に受け継がれている例として報じられた。

余談[編集]

  • キャンディーズ結成当初の愛称は「ヨッチ」だったが、「好子」の「す」から取った「スー」が定着したとされる。
  • 中学3年のとき隣の席の男子に初恋をしたが、初デートで相手が待ち合わせ時間を間違え、そのまま失恋したというエピソードがある。
  • 1972年の紅白歌合戦には、キャンディーズのデビュー前にバックコーラスとバックダンサーとして出ていた。正式出場はその3年後の1975年。
  • 病気の影響でウィッグを着けるようになってからも周囲には明るく振る舞い、共演者に気づかれた際も笑顔で応じたとされる。
  • 誕生日の4月8日は、キャンディーズ解散公演(4月4日)の4日後。伊藤蘭が2026年のツアー初日に、このことに触れている。
  • 怪獣映画好きが高じて、平成ゴジラシリーズには『vsビオランテ』『vsモスラ』の2作に出演している。

外部リンク[編集]

💬 みんなの声

この記事を読んだ人が、ひとことつぶやく場所です。