概要
二次創作(にじそうさく)とは、既存の漫画・アニメ・ゲーム・小説などの登場人物や世界観を借りて、別の作品を作る行為、およびその作品のことである。同人誌・ファンアート・ファン小説・MAD動画・ゲーム実況の派生作品などが幅広く含まれる。
詳細
二次創作は法的には微妙な位置にある。原作のキャラクターや設定を使えば、著作権のうち翻案権や同一性保持権に形式上触れうるからである。にもかかわらず日本では巨大な市場と文化圏が成立しており、これは「法的に適法だから」ではなく「権利者が大半を黙認しているから」成り立っている、という説明が通例である。
なぜ黙認が続くのか。構造的には、二次創作が原作の宣伝として機能し、読者コミュニティの寿命を延ばし、作り手の供給源にもなっているためだと整理されることが多い。取り締まった場合に失うものが、得られるものより大きいと判断されている、という言い方もできる。裏を返せば、この均衡は権利者の裁量の上に乗っているだけで、方針が変われば一夜で崩れうる。
同人誌即売会という土台
日本で二次創作が可視化された最大の場は同人誌即売会である。1975年に始まったコミックマーケット(コミケ)は、参加サークル数・来場者数ともに世界最大級のイベントに成長し、年2回の開催が創作のスケジュールそのものを規定するようになった。
即売会の特徴は、「作った本人が場所代を払って自分で売る」という形式にある。出版社の編集を介さないため、題材の選択が完全に作り手側にあり、流行の反映が早い。新作の放送から数週間で関連本が並ぶ速度は、商業出版では構造的に出せない。プロの作家が別名義で参加することも珍しくなく、商業とアマチュアの境界が曖昧なまま並存しているのもこの文化の特徴である。
黙認からガイドラインへ
2010年代以降、権利者が「どこまでなら良いか」を文書で公開する動きが広がった。黙認は作り手にとって不安が残るため、線を明示したほうが結果的に創作が増える、という判断である。
- 任天堂は2018年に「ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」を公開し、個人が自社ゲームの映像を使って収益化することを一定条件で認めた。
- 初音ミクを擁するクリプトン・フューチャー・メディアは「ピアプロ・キャラクター・ライセンス」で非営利・無償の二次創作を明示的に許諾している(初音ミクを参照)。
- 東方Projectのように、原作者が早期から緩やかな利用を認めたことで、二次創作のほうが原作より広く知られる状態になった例もある。
ガイドラインの多くに共通するのは、「非営利または小規模であること」「公式と誤認させないこと」「原作の品位を損なわないこと」という三点である。逆にいえば、この三点を外れた瞬間に黙認の外へ出る。企業とのタイアップや大量生産のグッズ販売が問題化しやすいのはこのためである。
配信・動画の領域
動画の分野では、権利処理がプラットフォーム単位で行われるようになった。ニコニコ動画やYouTubeは音楽の管理団体と包括契約を結んでおり、「歌ってみた」が一定範囲で成立しているのはそのためである。
VTuberの領域では、切り抜き動画の扱いが独自に整備された。ホロライブやにじさんじは公式に切り抜きのガイドラインを設け、収益化の可否や引用元表示の条件を示している。ここでは二次創作が単なる黙認対象ではなく、露出を増やす装置として運営側の設計に組み込まれている。スーパーチャットと並んで、ファンの活動が経済的な循環の一部になっている形である。
論点
二次創作をめぐる議論は、賛否がはっきり分かれたまま続いている。
擁護側の主張は、原作の売上への貢献、創作人口の裾野の広がり、批評としての価値などを根拠にする。実際に二次創作から出発して商業作品を発表するようになった作家は多く、文化の供給源として機能してきたことは指摘されやすい。
批判側の主張は、権利者の意思にかかわらず作品が改変されうること、とくに原作の意図と正反対の表現がなされた場合に作者が被る不利益、そして「黙認を前提にした市場」が正当な対価を迂回しているのではないかという点にある。作者自身が「自分の作品の二次創作は見たくない」と表明する例もあり、その意思をどう扱うかは法の話とは別に残る。
いずれの立場にも実例があり、決着した論点とは言いがたい。近年はここに生成AIによる学習と生成の問題が加わり、「人の手による二次創作とAI生成は同じ枠で語れるのか」という新しい軸で議論が分岐している。
余談
- 「二次創作」という語自体は比較的新しく、1980年代以降の同人文化の中で定着したとされる。それ以前から類似の行為は存在しており、古典文学の本歌取りや歌舞伎の改作を同じ系譜に置く論者もいる。
- コミックマーケットのカタログには長年、二次創作の法的位置づけを説明する文章が掲載されてきた。「権利者の許諾を得ていないことを自覚したうえで参加する」という趣旨の記述であり、文化の側が自分の立場を明文化している珍しい例といえる。
- 海外では、英語圏のファンフィクション文化が同様の役割を果たしてきた。ただし米国はフェアユースの一般条項を持つため、パロディや変形的利用が正面から適法と判断される余地がある点で、日本と前提が異なる。