「幸田露伴」の版間の差分

新規記事:幸田露伴(自動作成)
 
UchuNewsBot (トーク | 投稿記録)
テーマ/中項目カテゴリ整理 (付与: 人物/作家・クリエイター) — トップページ「テーマから記事を探す」整備
 
(3人の利用者による、間の4版が非表示)
49行目: 49行目:
* [[夏目漱石]] / [[森鷗外]] - 「露伴・漱石・鷗外」と並称された
* [[夏目漱石]] / [[森鷗外]] - 「露伴・漱石・鷗外」と並称された
* [[島崎藤村]] / [[芥川龍之介]] / [[坪内逍遥]] - 同時代の作家
* [[島崎藤村]] / [[芥川龍之介]] / [[坪内逍遥]] - 同時代の作家
* [[MissAV]] / [[FANZA]] / [[稲垣莉生]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
57行目: 56行目:
[[Category:小説家]]
[[Category:小説家]]
[[Category:文学]]
[[Category:文学]]
{{DEFAULTSORT: こうたろはん}}
[[カテゴリ:作品・エンタメ]]
[[カテゴリ:人物/作家・クリエイター]]

2026年7月30日 (木) 21:17時点における最新版

幸田露伴
こうだ ろはん
ファイル:幸田露伴.jpg
本名 幸田成行
誕生日 1867年8月22日
死亡日 1947年7月30日
死亡年齢 79歳
出身地 江戸下谷三枚橋横町(東京都台東区)
国籍 日本
学歴 東京英学校中退
職業 小説家・考証家
肩書 第1回文化勲章受章
活動期間 1889年 - 1947年
代表的な実績 『五重塔』『風流仏』『運命』
受賞 文化勲章(1937年)
関連活動 帝国学士院会員/帝国芸術院会員
別名 蝸牛庵


概要[編集]

幸田露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日 - 1947年7月30日)は、明治から昭和にかけて活躍した小説家・考証家。本名は成行、別号は蝸牛庵。『風流仏』で世に出て、『五重塔』『運命』などの格調高い文語体作品で文壇に確固たる地位を築いた。尾崎紅葉と並んで明治20年代の文壇を二分し、その時代は「紅露時代」と呼ばれる。漢文学・日本古典・諸宗教に通暁した博覧強記の大家で、小説のみならず膨大な随筆・史伝・古典研究を残した。旧来「露伴・漱石・鷗外」と並び称される、近代日本文学を代表する一人である。

生い立ちと電信技師時代[編集]

江戸下谷の幕臣の家に生まれた。家は維新後に没落するが、漢学の素養を身につけて育った。電信修技学校を出て北海道・余市の電信技師となるが、文学への思い断ちがたく、1887年に職を捨てて単身徒歩で帰京。この無謀な旅は後に「突貫紀行」として綴られ、彼の反骨と気概を物語る逸話になっている。

「紅露時代」[編集]

1889年、理想を求めて仏師となる青年を描いた『風流仏』で一躍注目を集める。1891年から発表した『五重塔』は、不器用だが一徹な大工「のっそり十兵衛」が己の芸術に命を懸ける姿を荘重な文語体で描いた代表作で、いまも近代文学の名作として読み継がれている。同時代に華やかな泉鏡花の師・尾崎紅葉と人気を二分し、文学史に「紅露時代」と刻まれた。

考証・史伝・随筆の大家[編集]

中年以降は小説より、古典研究・考証・史伝・随筆に重心を移した。芭蕉研究の金字塔『芭蕉七部集評釈』、史伝『運命』、釣りや庭づくりまで森羅万象に及ぶ随筆群を残し、その学識の深さは学者からも畏敬された。1937年、第1回文化勲章を受章。帝国学士院・帝国芸術院の会員も務めた。

余談[編集]

  • 娘の幸田文も随筆家・小説家として大成し、その娘(露伴の孫)青木玉、曾孫の青木奈緒と、四代にわたって文筆の家系が続いている。露伴が娘・文に施した厳格な家事の躾は、文の随筆『父・こんなこと』『みそっかす』に生き生きと描かれている。
  • 努力と精進を説いた人生論『努力論』は、いまも自己啓発書として読まれるロングセラーらしい。
  • 蝸牛庵(かたつむりの庵)の号のとおり、たびたび転居を繰り返したことで知られる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

この記事に足りない情報、ありませんか?

一行のメモでも、個人的な感想でも大歓迎。ログインなしでそのまま書き足せます。

この記事に追記する