菅木志雄

菅 木志雄
Suga Kishio
ファイル:菅木志雄.jpg
誕生日 1944年2月19日
年齢 82歳
出身地 岩手県盛岡市
国籍 日本
居住地 静岡県伊東市
家族 妻・富岡多恵子(作家)
学歴 多摩美術大学絵画科
職業 現代美術家
活動期間 1960年代後半 -
代表的な実績 「もの派」中心メンバー、立体・インスタレーション


概要[編集]

菅木志雄(すが きしお、1944年2月19日 - )は、日本の現代美術家。立体やインスタレーションを中心に活動し、1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」の中心メンバーとして知られる。

石、木、鉄、ガラス、ワイヤー、ロープ……加工しすぎない素材を、空間のなかに置き、立てかけ、つなぐ。「もの」そのものと、もの同士・ものと空間の関係に焦点をあてた作品で、もの派の理念を最も粘り強く、そして最も長く実践し続けてきた作家である。近年は国際的に再評価が進み、海外の美術館・ギャラリーでの個展も相次いでいる。妻は作家の富岡多恵子。

ドゥルーズと仏教を読みふけった学生[編集]

岩手県盛岡市に生まれ、1964年から1968年まで多摩美術大学の絵画科で学んだ。在学中はジル・ドゥルーズやボードリヤール、西田幾多郎、さらには龍樹(ナーガールジュナ)や世親(ヴァスバンドゥ)といった仏教思想の著作までむさぼり読んだという、徹底した思索家だった。この哲学的・仏教的な素養が、のちの「存在とは何か」を問う作品世界の土台になっている。

多摩美では二人の作家から決定的な影響を受けた。一人は斎藤義重——欧米中心の芸術理論を脱構築的に問い直すよう学生を促した教師である。もう一人が、当時の東京アートシーンの中核にいた高松次郎で、菅の初期作品には高松流の知覚への問いかけが色濃い。

もの派の実践者[編集]

1968年、椿近代画廊での初個展に出品した《転移空間》は、赤く塗った木材で組んだ自立する作品。箱が自らの重みで崩れていくような錯覚を見る者に与える、知覚を揺さぶる仕掛けだった。同年には、おがくず・綿・灰・土の層を透明なアクリルの箱に封じ込めた《積層空間》なども発表している。

ちょうどこの1968年後半、李禹煥が石と鉄板を対峙させた作品を、関根伸夫が《位相—大地》を発表し、素材・はかなさ・空間をめぐる探求が「もの派」という大きなうねりとして認識されるようになる。菅はその最前線にいた一人だった。

半世紀の探求[編集]

もの派の多くの作家が後に作風を大きく変えたり、活動の場を移したりしたのに対し、菅木志雄は「もの」と「場」をめぐる問いを生涯にわたって深め続けた数少ない作家である。石を木の枝で支える、空間にロープを渡す——といった一見シンプルな行為のなかに、存在と関係をめぐる東洋的な思考が凝縮されている。

2010年代以降、欧米のギャラリーや美術館でもの派が「再発見」されると、菅の作品はその中心的な存在として国際的に高く評価されるようになった。静かで禁欲的な作風が、半世紀をへて世界に響いている。

余談[編集]

  • 妻は『冥途の家族』などで知られる作家・詩人の富岡多恵子。アートと文学が同居する家庭だったわけだ。
  • 「もの派」は石や鉄をただ置くだけ、と誤解されがちだが、菅にとっては置き方・支え方・つなぎ方の一つひとつが厳密な思考の結果である。
  • もの派の盟友李禹煥関根伸夫、影響源の高松次郎・斎藤義重とともに語られる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]