赤瀬川原平

赤瀬川 原平
Genpei Akasegawa
ファイル:赤瀬川原平.jpg
本名 赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)
誕生日 1937年3月27日
死亡日 2014年10月26日
死亡年齢 77歳
出身地 神奈川県横浜市
国籍 日本
職業 美術家、作家、随筆家
肩書 路上観察学会・ライカ同盟
活動期間 1960年代 - 2014年
代表的な実績 ハイレッド・センター、千円札裁判、超芸術トマソン、『老人力』
受賞 芥川賞(1981・尾辻克彦名義『父が消えた』)
別名 尾辻克彦(小説家としての筆名)


概要[編集]

赤瀬川原平(あかせがわ げんぺい、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の美術家・作家。前衛芸術から小説、路上観察、ベストセラー随筆まで、ジャンルの壁を軽々と越えて遊び続けた「現代アート界の風雲児」。

高松次郎・中西夏之と結成した前衛集団「ハイレッド・センター」、本物そっくりの千円札を作って起訴された「千円札裁判」、街角の無用な構造物を芸術と見立てる「超芸術トマソン」、そして100万部超の大ベストセラー『老人力』——どれも一度聞いたら忘れられない仕事ばかり。小説家としては「尾辻克彦」名義で芥川賞まで受賞している、まさに二刀流ならぬ多刀流の人。

前衛美術からハイレッド・センターへ[編集]

横浜に生まれ、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に学ぶ。読売アンデパンダン展に出品し、ネオ・ダダ的なジャンク作品で頭角を現す。1963年、高松次郎(High=高)、赤瀬川(Red=赤)、中西夏之(Center=中)の頭文字で「ハイレッド・センター」を結成。銀座の路上を白衣で磨く《首都圏清掃整理促進運動》など、都市を舞台にした伝説的ハプニングを仕掛けた。

千円札裁判[編集]

1963年、作品として本物の千円札を精密に印刷した「模型千円札」を制作・使用したところ、通貨及証券模造取締法違反に問われる。1964年から始まったこの「千円札裁判」は、「芸術か、犯罪か」を法廷で争う前代未聞の事件として大きな注目を集めた。多くの美術家・評論家が証人に立ったが、最終的に有罪(執行猶予付き)が確定。芸術の自由と社会のルールがぶつかった象徴的な裁判として、いまも語り継がれている。

尾辻克彦として芥川賞[編集]

1970年代後半からは小説も執筆。「尾辻克彦」の筆名で発表した作品が評価され、1979年『肌ざわり』で中央公論新人賞、1981年には『父が消えた』で第84回芥川賞を受賞した。日常の細部を独特のユーモアと観察眼でとらえる文体は、のちの随筆活動にも通じている。

超芸術トマソンと路上観察[編集]

1980年代、赤瀬川は街なかに残る「無用なのに妙に立派な構造物」——どこにも通じない階段、塞がれた扉、用途不明の出っ張り——を発見しては写真に撮り、「超芸術トマソン」と名づけて愛でた。やがて建築探偵の藤森照信、漫画家の杉浦日向子らと「路上観察学会」を結成。何の役にも立たない都市の細部を真顔で観察する、脱力系にして奥深い知的遊戯を世に広めた。ライカを偏愛する「ライカ同盟」でも知られる。

『老人力』[編集]

1998年に刊行した随筆『老人力』が大ベストセラーに。「物忘れや衰えを嘆くのではなく、『老人力がついてきた』と前向きに言い換えてしまおう」というユーモラスな発想が世間に大受けし、「老人力」は流行語にもなった。前衛芸術家が国民的ベストセラー作家になるという、痛快なキャリアの締めくくりだった。2014年、敗血症のため77歳で死去。

余談[編集]

  • 「トマソン」の名は、巨額移籍で来日しながら活躍できなかった助っ人外国人野球選手の名にちなむ。「立派なのに役に立たない」という皮肉が、街の無用構造物にぴったりだったらしい。
  • 兄は美術評論家・SF作家の赤瀬川隼……ではなく、兄の赤瀬川隼は直木賞作家。文学一家でもあった。

関連項目[編集]