李禹煥

李 禹煥
Lee Ufan / 이우환
ファイル:李禹煥.jpg
誕生日 1936年
出身地 大韓民国 慶尚南道
国籍 大韓民国
居住地 日本・フランス
学歴 日本大学文理学部哲学科
職業 美術家、画家、彫刻家、評論家
肩書 多摩美術大学名誉教授
活動期間 1960年代 -
代表的な実績 「もの派」の理論的主導、『点より』『線より』
受賞 高松宮殿下記念世界文化賞(2001)、毎日芸術賞


概要[編集]

李禹煥(リ・ウファン、1936年 - )は、韓国生まれ・日本を拠点に世界で活動する美術家。戦後日本の最も重要な美術運動「もの派」を理論的に主導したことで知られる、現代アートのレジェンドである。

石、鉄板、ガラス、綿——加工しすぎない「もの」そのものを、空間のなかにそっと置く。作るというより「出会わせる」。そんな静かで哲学的な作品で、世界の現代美術史に名を刻んだ。代表作の絵画『点より』『線より』シリーズや、石と鉄板を対峙させた彫刻は、見る人を不思議な静けさに引き込む。直島の李禹煥美術館(安藤忠雄設計)をはじめ、釜山、フランス・アルルにも個人美術館を持つ国際的存在だ。

哲学青年からアーティストへ[編集]

慶尚南道に生まれ、ソウル大学校美術大学を中退して来日。日本大学文理学部の哲学科を卒業しているのがポイントで、ハイデガーや東洋思想に通じたその哲学的素養が、のちの「もの派」の理論を支えることになる。

1969年、評論「事物から存在へ」が美術出版社の芸術評論募集に入賞。1971年には評論集『出会いを求めて』を出版し、言葉と作品の両方で当時の美術界に強烈な影響を与えた。アーティストでありながら、運動そのものの「理論家」だったところに李の特異性がある。

「もの派」の旗手[編集]

1968年、関根伸夫が神戸の公園に巨大な穴を掘り、掘り出した土を円柱に固めた《位相—大地》を発表する。李はこの作品に衝撃を受け、その意味を理論化していった——ものを作り変えるのではなく、ものをあるがままに提示し、もの同士・ものと空間の「関係」に美を見る。これが「もの派」の核心となった。

関根伸夫菅木志雄・小清水漸・吉田克朗ら多摩美術大学の斎藤義重門下を中心とするグループは、欧米のミニマル・アートとも響き合いながら、戦後日本美術を代表する潮流となった。李はその理論的支柱として、運動を国際的な文脈に位置づけた。

世界が認めた静けさ[編集]

1970年代以降、李の評価は世界的に高まる。1970年のヴェネツィア・ビエンナーレ参加を皮切りに、ヘンリー・ムーア大賞展、高松宮殿下記念世界文化賞(2001・絵画部門)、毎日芸術賞などを受賞。2010年には香川県直島に安藤忠雄とのコラボによる李禹煥美術館が開館し、2022年にはフランス・アルルにも美術館が誕生した。同年、国立新美術館で大規模回顧展も開かれている。

1970年代の韓国で生まれたモノクロームの抽象絵画「単色画(ダンセッカ)」の文脈でも国際的に再評価が進み、李はアジア現代美術を語るうえで欠かせない巨匠となった。

余談[編集]

  • 「もの派」という呼び名、最初は揶揄やレッテルに近いニュアンスもあったらしいが、今やすっかり国際的な美術用語「Mono-ha」として定着している。
  • 作品の余白(何もない空間)こそが主役、という感覚は、東洋の水墨画や禅にも通じると評される。
  • 同じ多摩美の斎藤義重門下や、前衛美術の先輩格である高松次郎とも、もの派前夜の文脈でつながっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]