森徹山

森徹山
Mori Tetsuzan
誕生日 1775年
出身地 大坂
国籍 日本
職業 絵師
肩書 森派
代表的な実績 円山派を大坂にひろめた動物画の名手


概要[編集]

森徹山(もり てつざん、1775年 - 1841年)は、江戸時代後期に大坂で活躍した絵師。猿の絵で名高い森狙仙の養子で、森派の画系を継ぎつつ、円山応挙の写生を取り入れて円山派を大坂にひろめた動物画の名手である。父譲りの狩野派と、養父譲りの動物写生、そして円山派の写実を一身に融合させた人物だったらしい。

生い立ちと師系[編集]

1775年(安永4年)、大坂船町に絵師・森周峰の子として生まれた徹山は、1790年(寛政2年)、16歳の時点ですでに叔父である森狙仙の養子となっていた。実父・周峰からは狩野派を、養父・狙仙からは得意の動物写生を受け継ぐという、恵まれた環境で画を学んだことになる。

円山応挙に学ぶ[編集]

さらに徹山は、養父森狙仙の勧めにより、晩年の円山応挙について画を学んだ。1795年(寛政7年)の大乗寺障壁画制作では、わずか21歳で《山雀図》を描いており、早くから非凡な腕を示している。これにより徹山の画風は、狩野派・森派の動物写生に円山応挙の写実が加わった、奥行きのあるものとなった。

画風と晩年[編集]

徹山の作品は、中心となる画題を雰囲気の描写で包み込み、情緒性に富むのが特色とされる。大坂を拠点に活動し、円山応挙に始まる円山派の写生画を上方に広める大きな役割を果たした。晩年には熊本藩細川家に仕え、1841年(天保12年)、67歳で病没した。森狙仙から徹山へと続く森派は、近世大坂画壇を代表する一派として知られる。

関連項目[編集]