| 木綿のハンカチーフ Momen no Handkerchief | |
|---|---|
| ジャンル | 歌謡曲、フォーク歌謡 |
| アーティスト | 太田裕美 |
| アルバム | 『心が風邪をひいた日』(1975年) |
| 作詞者 | 松本隆 |
| 作曲者 | 筒美京平 |
| レーベル | CBS・ソニー |
| 発表日 | 1975年12月21日(シングル) |
| 規格 | EPレコード(B面「揺れる愛情」)、2017年より音楽配信 |
| 別名 | 木綿(もめん) |
| チャート順位 | オリコン週間最高2位(オリコン調べ累計約86.7万枚) |
| ウェブサイト | ソニーミュージック 太田裕美 |
概要[編集]
木綿のハンカチーフ(もめんのハンカチーフ、1975年12月21日発売)とは、太田裕美の4枚目のシングルで、作詞・松本隆、作曲・筒美京平による昭和歌謡を代表する一曲である。都会へ出た男性と故郷に残った女性のやりとりを、男女交互の「手紙」のような形で描いた遠距離恋愛の物語ソングで、半世紀たった今もカバーが途切れないスタンダードとなっている。
詳細[編集]
アルバムの1曲目からシングルへ[編集]
この曲は最初からシングルとして作られたわけではない。もともとは太田裕美の1975年のアルバム『心が風邪をひいた日』のA面1曲目として制作された曲である。アルバム用の録音を聴いたレコード会社側が「これは出来が良い」と気に入り、急きょシングルカットが決まったという経緯を持つ。
ただし、アルバムの音源をそのまま切り出したのではなく、シングル用に録音し直された「リカット」版である。その際、作詞の松本隆の希望で歌詞の一部がアルバム版から手直しされている。つまり、アルバム版とシングル版では細部が異なる「2つの木綿」が存在するわけで、聴き比べはファンの定番の楽しみ方になっている。
編曲の違い:萩田光雄と筒美京平[編集]
アルバム版の編曲は萩田光雄が単独で担当した。萩田は当時の太田作品のサウンドを支えたアレンジャーで、B面の「揺れる愛情」の編曲も手がけている。
一方、シングル版では作曲者の筒美京平自身が編曲に加わり、筒美・萩田の連名クレジットとなった。シングル版はストリングス(弦楽器)を前面に出した、より華やかで歌謡曲らしいサウンドに仕上げられている。軽快に転がるリズムに乗って物語が進んでいくあのイントロは、この共同作業から生まれたものである。演奏時間は3分45秒。
2種類のマトリクス[編集]
コレクター的な話をすると、シングル盤には盤面の刻印(マトリクス)が異なる2種類のプレスが確認されている。一般に流通し、後年のベスト盤やコンピレーションに使われているのは見本盤(白盤)と同じ「A1」と呼ばれる版である。
もう一方の「A2」は、ギターの音量が控えめで、ボーカルのエコーやストリングスの残響が強めにかかったミックスとされ、初期プレスの一部に混じっていたといわれる。同じ曲でも聴こえ方がかなり違うため、アナログ盤マニアの間ではちょっとした探しものになっている。
曲が付くまでの攻防[編集]
松本隆の歌詞は当時の歌謡曲としては異例に長く、4番まである大作だった。詞を受け取った筒美京平は「こんな詞じゃ曲を付けられない」とこぼし、短くするよう求めようとしたという。
ところが松本も担当ディレクターの白川隆三も、締め切り当日まで連絡がつかなかった。松本はわざと所在をくらましていたともいわれる。結局、筒美は長い詞のまま曲を付けるしかなくなったが、いざ取りかかると作業は順調に進み、本人も「いい曲が出来た」と手応えを語って提出したとされる。結果的にこの「長さ」こそが、ドラマ性のある物語ソングを生むことになった。
歌詞の構成と意味[編集]
※本記事では歌詞そのものの引用は行わず、内容を要約して紹介する。
男女の往復書簡という形式[編集]
この曲最大の特徴は、1番から4番までのそれぞれが「男性の言葉」と「女性の言葉」の掛け合いでできている点である。男性が都会から近況や贈り物の話を伝え、女性がそれに返事をする、という往復書簡(文通)のような形式で物語が進む。歌うのは太田裕美ひとりなので、彼女が男女両方の役を演じ分けていることになる。
この「1曲の中で男女が会話する」という形は当時の歌謡曲では珍しく、聴き手が自然と物語の続きを追いかけてしまう仕掛けになっている。
ストーリーの流れ(要約)[編集]
- 1番 - 若い男性が故郷を離れ、都会へ旅立つ。都会で何か贈り物を探してくると言う男性に対し、女性は何もいらない、ただ都会の色に染まらずに帰ってきてほしいと答える。
- 2番 - 男性はなかなか帰省せず、代わりに都会で見つけた指輪を贈ろうとする。女性は高価な宝石よりも、あなたの口づけのほうがうれしいと返す。
- 3番 - 男性はスーツ姿の自分の写真を手紙に同封してくる。女性は、都会的になったあなたより、草の上に寝転んでいた頃のあなたが好きだったと伝える。
- 4番 - ついに男性は、都会の暮らしに慣れて自分はもう帰れない、と別れを告げる。女性は最後のわがままとして、涙をふくための木綿のハンカチーフを贈ってほしいと頼む。
「歌詞の意味」をどう読むか[編集]
表面的には「上京した男が心変わりして女を捨てる話」だが、男性を一方的な悪役として描いていない点が長く語り継がれる理由である。男性は彼なりに贈り物で気持ちを伝えようとしており、女性はそれを一貫して断り続ける。すれ違っているのは愛情の量ではなく、都会と地方の価値観そのもの、という読み方が一般的である。
最後に女性が求める「木綿のハンカチーフ」は、2番の宝石の指輪と対になる、飾り気のない素朴なものの象徴である。高価な贈り物は拒み続けた彼女が、別れ際にだけ実用品の木綿を欲しがる、という結末が強烈な余韻を残す。ネット上でも「男はひどい」「いや単に変わってしまっただけ」「価値観が合わなかっただけ」と、いまだに解釈が割れて議論が続いている。
歌詞のモデルと時代背景[編集]
松本隆は2017年11月放送のTBSテレビ系『サワコの朝』に出演した際、この曲の誕生秘話を明かしている。きっかけは、ディレクターの白川隆三から「あなたの詞は東京育ちの人の感覚だから、地方の人には響きにくい」と指摘されたことだったという。東京・青山育ちの松本はこれに納得し、九州の炭鉱町で生まれ育った白川本人をテーマに書くことにした。
炭鉱の閉山などで地方から都会へ出ていった若者は当時たくさんいた。松本は、上京してスーツを着て少し浮かれてしまう若者の姿を描いたと語り、成功した人も多いが失ったものも多かったはずだ、という思いを込めたとしている。発売された1975年は山陽新幹線が博多まで開業した年でもあり、地方と東京の距離が一気に縮まった時代の空気がこの曲には刻まれている。
「木綿」という言葉の力[編集]
松本はヒットの大きな要因として「木綿」という単語を挙げている。当時すでに古めかしく、ほとんど死語になりかけていた言葉を、あえて「コットン」と言い換えずに使ったことが効いた、という分析である。タイトルだけで素朴さと懐かしさが伝わる、昭和歌謡屈指のネーミングといえる。
制作陣[編集]
作詞:松本隆[編集]
松本隆は、伝説的ロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞担当として知られた人物である。バンド解散後に作詞家へ転身したが、本格的な職業作詞家としての地位を確立させたのがこの「木綿のハンカチーフ」だった。本人にとっても出世作であり、ここから歌謡曲の世界で数々のヒットを量産していく。
この成功を受けて、太田裕美のシングルはしばらく松本・筒美コンビが担当することになった。のちに松本は松田聖子の一連のヒットや寺尾聰「ルビーの指環」なども手がけ、通算2,000曲以上を作詞する大御所となる。2021年には作詞活動50周年を記念した公演『風街オデッセイ2021』が日本武道館で開かれ、初日には太田裕美が出演してこの曲を披露した。
作曲:筒美京平[編集]
筒美京平は、昭和の歌謡曲・アイドル歌謡を代表するヒットメーカーである。同じ1975年には岩崎宏美の「ロマンス」などもヒットさせており、まさに全盛期の作品である。長い4番構成の詞を、飽きさせずに最後まで聴かせるメロディに仕上げた手腕は今も高く評価されている。
歌唱面でも、太田の声の持ち味を生かすため、男性パートの一部をファルセット(裏声)で歌わせるなどの工夫が見られる。男女の語り分けをメロディの側でも演出しているわけである。
編曲:萩田光雄[編集]
萩田光雄はアルバム版の編曲をひとりで担い、シングル版でも筒美と連名で編曲を担当した。のちに数多くの歌謡曲・ニューミュージック作品のアレンジを手がけるアレンジャーで、この曲は彼の初期の代表的な仕事のひとつに数えられる。
歌唱:太田裕美[編集]
太田裕美は1974年に「雨だれ」でデビューした歌手で、ピアノの弾き語りもこなす「ニューミュージック寄りのアイドル」という独特の立ち位置にいた。音楽評論家の平山雄一は、歌詞に描かれる理想的な女性像と、太田のどこか客観的で淡々とした歌い方とのギャップこそが、この曲が広く受け入れられた要因だと論じている。
売上・チャート[編集]
惜しくも1位を逃した理由[編集]
1975年12月の発売後、曲はロングヒットとなり、オリコン週間シングルチャートで最高2位まで上昇した。1位に届かなかったのは、直後の1976年初頭に子門真人の「およげ!たいやきくん」が発売され、社会現象級の超特大ヒットとなってしまったためである。相手が悪すぎたとしか言いようがない。
なお、オリコンとは別の業界チャートである「ミュージック・ラボ」では、1週だけ1位を獲得している。
累計売上[編集]
累計売上はオリコン調べで約86.7万枚。ミュージック・リサーチ社の発表では150万枚以上とされている。太田裕美にとって最大のヒット曲であり、文字どおりの代表曲である。
配信とゴールド認定[編集]
長らくCDなどのパッケージでしか聴けなかったが、2017年4月、太田裕美のオリジナル作品23タイトルの配信解禁にあわせて有料ダウンロード配信が始まった。同時にアルバム『心が風邪をひいた日』もハイレゾで配信され、同じ日にNHK-BSプレミアムの『名盤ドキュメント』でこのアルバムが特集された。
その後、2020年10月には日本レコード協会のダウンロード部門でゴールド認定(累計10万ダウンロード超)を受けた。発売から45年近くたってからの認定で、配信世代にもしっかり聴かれていることが数字で示された形である。
NHK紅白歌合戦[編集]
太田裕美は1976年末の第27回NHK紅白歌合戦に初出場し、この曲を歌唱した。ただし紅白は1組あたりの持ち時間が約3分という制約があったため、原曲よりもテンポを上げ、4番まであるうちの1番・3番・4番を歌うという短縮版での披露だった。2番の「指輪」のくだりはカットされたものの、物語の起承転結は崩さないように構成されていた。
カバー[編集]
とにかく多いカバー[編集]
この曲は日本の歌謡曲の中でも屈指のカバー数を誇り、発売翌年の1976年からすでにチェリッシュ、平尾昌晃、トッポ・ジージョなどが取り上げている。1978年には香港の歌手チェルシア・チャンが「六月天」というタイトルで中国語カバーを発表するなど、早くから海外にも広がった。
主なカバー(確認できたもの)[編集]
- 桑田佳祐(1997年) - サザンオールスターズのフロントマンによるカバー。
- 椎名林檎(2002年) - 初のカバーアルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』で取り上げた。のちに東京事変を結成する直前期の作品である。
- 中澤裕子(2002年) - 元モーニング娘。のリーダー。
- 岡村靖幸(2005年)、斉藤由貴(2006年)
- いきものがかり(2006年) - 2017年の松本隆のテレビ出演を報じた記事でも、多くのカバーの代表例として名前が挙がっている。
- 草野マサムネ(2007年) - スピッツのボーカル。同年には太田裕美本人とキンモクセイのコラボ版も作られている。
- 稲垣潤一(2008年) - 太田裕美本人がデュエットで参加。
- 綾瀬はるか(2010年) - 2010年8月4日に配信限定シングルとしてリリース。
- 佐藤竹善、misono(2010年)
- ASKA、柴田淳(2012年) - 柴田は70年代歌謡のカバーアルバム『COVER 70's』に収録。
- 朝倉さや(2014年) - 山形弁に訳して歌った異色のバージョン。
- 真心ブラザーズ(2015年)、海上自衛隊東京音楽隊/三宅由佳莉(2015年)
- 原田知世、May J.(2016年)
- 天童よしみ(2017年)、スターダストレビュー(2019年)
- 宮本浩次(2020年) - エレファントカシマシのボーカル。女性歌手の名曲を歌ったソロのカバー作品で取り上げ、男性が歌う「木綿」として話題になった。
- 橋本愛(2021年) - YouTubeチャンネル『THE FIRST TAKE』での一発撮り歌唱が話題を呼んだ。
- 上白石萌音(2021年)
- Ms.OOJA(2022年)
このほか、アニメ声優ユニットやご当地アイドル、ポルトガル語版、お笑い芸人によるカバーまで含めると、確認できるだけでも数十組を優に超える。世代もジャンルも国境も越えて歌い継がれていること自体が、この曲の普遍性を物語っている。
2020年代以降の再評価[編集]
シティポップ・ブームの中で[編集]
2020年代に入り、国内外で昭和の歌謡曲やシティポップが再評価されるなかで、この曲も改めて注目を集めている。2022年の東京スポーツの記事は、この曲を「歌謡曲史上でも屈指の名曲」と評し、シティポップ再ブームの今も高く評価されていると紹介した。
若い世代による歌い継ぎ[編集]
2020年の宮本浩次、2021年の橋本愛・上白石萌音と、若い世代や異ジャンルの歌い手によるカバーが立て続けに話題になったことで、原曲を知らなかった層にも曲が届いた。前述の2020年のゴールド認定も、こうした再評価の流れを数字で裏づけるものである。
太田裕美の休養と50周年[編集]
2024年4月、太田裕美は公式サイトで病気療養のため当面の活動を休止すると発表し、同年11月1日に迎えるデビュー50周年の記念活動は翌年以降に再開する予定だとした。同時期に週刊誌が行った「現役復帰してほしい歌手ランキング」では河合奈保子と並んで6位に入り、「歴代歌謡曲のナンバーワン」とこの曲を挙げるファンの声も紹介された。発売から半世紀を迎えた2025年をはさんでも、「木綿のハンカチーフ」は太田裕美の代名詞であり続けている。
盗作論争[編集]
発売当時から、ボブ・ディランの1964年の楽曲「スペイン革のブーツ」と、男女の手紙のやりとりという構成や展開が酷似していると指摘されてきた。ディランの曲も、遠く離れた恋人同士が贈り物をめぐってやりとりし、最後に別れに至る構成である。
音楽評論家の伊藤強らは「盗作だ」と批判したが、松本隆は「影響とパクリは違う」と反論した。そのうえでディランからの影響自体は認めている。はっぴいえんど時代から洋楽ロックの影響を公言してきた松本らしい応答といえる。
余談[編集]
- オリコン1位を阻んだ「およげ!たいやきくん」は日本のシングル史上でも指折りの売上を記録した曲で、「相手が悪かった2位」の代表例としてしばしば語られる。
- 「木綿」という言葉は、発売当時すでに古めかしい言葉だったとされ、松本隆はあえて「コットン」にしなかったことがヒットの鍵だったと語っている。
- 発売年の1975年は山陽新幹線が博多まで延伸した年でもあり、「この時代だからこそ成立した物語」と指摘する声もある。
- 2017年の配信解禁の日には、NHK-BSプレミアムの『名盤ドキュメント』でアルバム『心が風邪をひいた日』が特集され、制作の裏側が改めて掘り起こされた。
- 太田裕美は後年、白川隆三の振り返りによれば、この曲のヒット後に仕事が殺到し、声が思うように出ない時期もあったとされる。のちの「さらばシベリア鉄道」では逆に「煮え切らない男を置いて旅立つ女性」が描かれ、「木綿」と対比されることがある。