吉田克朗

吉田 克朗
Yoshida Katsurō
ファイル:吉田克朗.jpg
誕生日 1943年9月23日
出身地 埼玉県
国籍 日本
学歴 多摩美術大学絵画科
職業 美術家、版画家
活動期間 1968年 - 1999年
代表的な実績 「もの派」、cut-offシリーズ、「触」シリーズ


概要[編集]

吉田克朗(よしだ かつろう、1943年9月23日 - 1999年)は、埼玉県出身の美術家・版画家。1960年代末に登場した現代美術の動向「もの派」の中心作家の一人で、後年は版画や「触」シリーズへと表現を深めた。素材を加工しすぎず、その存在そのものを見せる——もの派の核心を、紙・石・木・電球・ロープといった日常の「もの」で実践した人らしい。

多摩美と斎藤義重門下[編集]

1968年(昭和43年)に多摩美術大学絵画科を卒業。在学中は斎藤義重に学び、ここから関根伸夫小清水漸菅木志雄・成田克彦らとともに、もの派の作家群が育っていった。卒業と同じ1968年、机を真っ二つに切り分けた作品「cut-1」が現代日本美術展のコンクール部門に初入選。「cut-off(切り離す)」と題したこのシリーズで、吉田は早くからもの派の中核作家として注目を集めた。

位相—大地ともの派[編集]

吉田は、関根伸夫がもの派誕生の引き金となった伝説の作品《位相—大地》(1968年)の制作にも参加したことで知られる。大地に掘った深い穴と、その土でつくった巨大な土の塊——という、あの「ものをただ移動させただけ」の作品の現場に立ち会った世代である。以後、石や鉄、綿、紙などの素材を組み合わせ、「もの」を日常の意味や用途から解き放ち、その存在をそのまま表現として提示する作品を次々に発表した。

版画への展開[編集]

同じ頃から版画にも取り組み、身のまわりのスナップ写真を使ったシルクスクリーン作品を制作。1970年(昭和45年)の第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞を受賞すると、以降は版画を創作の主軸の一つに据えた。1973年から74年にかけては文化交流の作家としてイギリスに滞在。晩年は「」と名づけたシリーズで、絵画とものの境界をあらためて問い直し、1999年に55歳で世を去った。

余談[編集]

  • もの派の作家のなかでも、絵画・立体・版画と表現の幅が広く、「ものに触れる」という主題を一貫して追い続けた。
  • 没後の2024年には神奈川県立近代美術館 葉山などで本格的な回顧展が開かれ、もの派ブームの再評価のなかで光が当たった。
  • 同じ斎藤義重門下の小清水漸関根伸夫菅木志雄とともに、戦後日本美術を語るうえで外せない名前になっている。

関連項目[編集]