吉村益信

吉村 益信
Yoshimura Masunobu
ファイル:吉村益信.jpg
誕生日 1932年5月22日
死亡日 2011年3月15日
死亡年齢 78歳
出身地 大分県大分市
国籍 日本
居住地 東京 / ニューヨーク
学歴 武蔵野美術学校油絵科
職業 美術家
活動期間 1950年代 - 2011年
代表的な実績 ネオ・ダダの結成、「新宿ホワイトハウス」


概要[編集]

吉村益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2011年3月15日)は、戦後日本の前衛を代表する美術家。1960年に旋風を巻き起こした過激な前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(ネオ・ダダ)」の発案者にして主宰者。彼らの拠点となった伝説のアトリエ「新宿ホワイトハウス」の主としても知られる、戦後アヴァンギャルドの仕掛け人らしい。

生い立ち[編集]

大分市の出身。高校時代に青木繁の画集を見て画家を志し、1951年に武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)油絵科へ。卒業後の1955年から読売アンデパンダン展に出品を始め、既成の美術におさまらない過激な表現を模索していく。

新宿ホワイトハウス[編集]

1957年、父の遺産を元手に新宿区百人町に小さな土地を買い、当時まだ若手だった建築家磯崎新に設計を依頼して、住居兼アトリエを建てた。白いモルタルの壁から「新宿ホワイトハウス」と呼ばれたこの建物は、やがて前衛芸術家たちのたまり場となり、ネオ・ダダ誕生の母体となる。建築史的にも磯崎新の初期作として注目される一軒だった。

ネオ・ダダの結成[編集]

1960年3月、読売アンデパンダン展の初日の夜、吉村は赤瀬川原平篠原有司男・風倉匠らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。同年4月、銀座の画廊で第一回展を開催し、吉村は全身を包帯のようにぐるぐる巻きにして銀座の街頭をさまよい歩くパフォーマンスを敢行、大きな話題をさらった。廃品を使ったジャンク・アートやハプニングで、既成の美術観をぶち壊そうとした。

蒸発と渡米[編集]

過激な活動は長くは続かず、1961年ごろにグループは事実上の解散へ。吉村は突如結婚し、ネオ・ダダは「蒸発した」と語られる。1962年にはホワイトハウスを売却して渡米し、1966年までニューヨークに滞在。帰国後も、光る豚の剥製を用いた《豚;Pig's Lib》など、機知に富んだ立体作品で独自の道を歩み続けた。

余談[編集]

  • 「ネオ・ダダ」からは篠原有司男赤瀬川原平ら、後の現代美術を担う面々が巣立った。吉村はその「火付け役」だった。
  • 設計者の磯崎新は後に世界的建築家となり、ホワイトハウスはその出発点の一つとして語られる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]