| 中村玉緒 なかむら たまお / Tamao Nakamura | |
|---|---|
![]() 映画『日本侠客伝』シリーズ出演時(出典:ウィキメディア・コモンズ、CC BY 3.0) | |
| 本名 | 奥村玉緒(旧姓・林) |
| 誕生日 | 1939年7月12日 |
| 死亡日 | 2026年6月9日 |
| 死亡年齢 | 86歳(数え年88) |
| 出身地 | 京都府京都市 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 京都女子高等学校 |
| ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台、バラエティ |
| 活動期間 | 1953年 - 2022年 |
| デビューアルバム | 1953年 映画『景子と雪江』(松竹) |
| 家族 | 二代目中村鴈治郎(父)、四代目坂田藤十郎(兄)、勝新太郎(夫)、鴈龍(長男)、奥村真粧美(長女) |
| 事務所 | 長良プロダクション |
| 代表作 | 『大阪物語』、『炎上』、『ぼんち』、『大菩薩峠』、『悪名』シリーズ、『越前竹人形』、『橋のない川』、『さんまのスーパーからくりTV』 |
| 関連活動 | タレント、著述 |
| あだ名 | 玉緒さん、お母さん |
| その他 | ブルーリボン賞助演女優賞(1960年度)、毎日映画コンクール女優助演賞(『越前竹人形』)、毎日映画コンクール田中絹代賞(2007年) |
概要[編集]
中村玉緒(なかむら たまお、1939年7月12日 - 2026年6月9日)とは、京都府京都市出身の女優・タレントである。歌舞伎の名門・二代目中村鴈治郎の娘として大映の時代劇で活躍し、勝新太郎の妻として巨額の借金と波乱の結婚生活を支え抜いた。1990年代からは明石家さんまとの掛け合いで「天然ボケの玉緒さん」としてお茶の間の人気者になった。2026年6月、肺炎のため86歳で死去。
詳細[編集]
鴈治郎の娘、14歳で銀幕へ[編集]
父は上方歌舞伎の大看板・二代目中村鴈治郎、兄は人間国宝にもなった四代目坂田藤十郎(三代目中村鴈治郎)。いわば上方歌舞伎のど真ん中で生まれ育った「お嬢さん」である。子どもの頃は舞台に厳しい父から三味線の撥(ばち)で叩かれながら芝居を仕込まれたという。父の楽屋には若き日の市川雷蔵も出入りしており、玉緒は雷蔵を幼なじみ、そして兄のような存在として慕い続けた。
中学生だった1953年、松竹の『景子と雪江』で映画デビュー。翌1954年に大映へ入社した。入社にあたっては長谷川一夫に口添えを頼んだとされる。大映では『赤胴鈴之助』シリーズなどで時代劇の可憐な町娘・お姫様役を数多く演じ、「時代劇の娘役」の顔として売れっ子になった。
雷蔵・勝新と並んだ大映の看板娘[編集]
十代のうちから、大映の二枚看板である市川雷蔵・勝新太郎の両方と共演を重ねた。1957年の『大阪物語』は、溝口健二が準備中に急逝したため吉村公三郎が監督を引き継いだ作品で、井原西鶴の浮世草子を下敷きにした大阪商人の物語。父・鴈治郎が主演の吝嗇な両替商を演じ、雷蔵、勝新太郎、香川京子、浪花千栄子らが脇を固めるなか、玉緒は遊女・綾衣を演じた。父娘共演であり、のちの夫とも同じスクリーンに並んだ、いま振り返るとかなり因縁めいた一本である。
1958年の市川崑監督『炎上』、1960年の『ぼんち』で雷蔵と共演し、三隅研次監督の『大菩薩峠』(1960年)では机竜之助(雷蔵)を翻弄する魔性の女・お浜と、瓜二つの純情な娘・お豊の二役を演じた。この年の『ぼんち』『大菩薩峠』で第11回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞し、「可愛い娘役」から「演技派」へと評価が変わっていく。
「生まれ変わっても勝新太郎と結婚したい」[編集]
1961年に始まる『悪名』シリーズでの共演が縁となり、勝新太郎の熱烈なアプローチを受けて1962年に結婚。豪放磊落で知られる勝との結婚生活は、のちに「芸能界の伝説夫婦」と呼ばれるほど波乱に満ちたものになった。
勝が設立した勝プロダクションは『座頭市』シリーズなどを手がけたが、1981年に倒産。翌1982年に玉緒が社長に就任し、残された負債の整理にあたった。本人はのちに雑誌の取材で、夫からの思い出のプレゼントを聞かれて「夫からのプレゼントは、14億円の借金です」と笑い飛ばし、全額を自分が返したと語っている。返済には20年以上かかったとする芸能関係者の証言もある。1990年には勝がハワイで麻薬所持により逮捕される騒動も起き、玉緒は公判で夫の寛大な処分を訴えた。
勝は1996年に下咽頭がんと診断され、1997年に死去。葬儀で玉緒は「生まれ変わっても勝新太郎と結婚したい」と語り、その一途さは多くの人の記憶に残った。祭壇脇に東京タワーのミニチュアが組まれたことから「東京タワー葬」とも報じられている。
さんまが見つけた「笑いの神」[編集]
女優としては渋い脇役の名手だった玉緒が、まったく別の顔で全国区の人気者になったのは1990年代のこと。きっかけはフジテレビ・関西テレビ系『さんまのまんま』へのゲスト出演だった。さんまが勝新太郎の豪快さを「すごいですねえ」といじると、玉緒が独特の裏返った声で返し、これが大ウケ。さんまはのちに、番組プロデューサーから玉緒をレギュラーに口説くよう頼まれ、勝本人とも話し合ったうえで承諾を得たと振り返っている。
こうして1995年に正月特番『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBSテレビ系)が始まり、1996年からは同局の『さんまのスーパーからくりTV』にレギュラー出演。おっとりした京都弁、「うふふふ」という笑い声、ずれた受け答えが「天然ボケ」として大ブレイクし、長者番付に名を連ねるほどのタレントになった。バラエティ進出の動機については、病床の勝を元気づけるためだったとする報道と、借金返済のためだったとする報道があり、両方の事情があったとみられる。
さんまは玉緒を普段から「お母さん」と呼ぶほど慕い、死去後には「笑いの神が住みついた」人だったと評した。
経歴[編集]
1939年 - 1953年:上方歌舞伎の家に生まれる[編集]
1939年7月12日、京都市に生まれる。本名(旧姓)は林玉緒。二代目中村鴈治郎の長女で、兄は四代目坂田藤十郎。のちに歌舞伎俳優となる甥に四代目中村鴈治郎、三代目中村扇雀がいる。京都市立立誠小学校を経て京都女子高等学校に学んだ。
1953年、中学在学中に松竹映画『景子と雪江』で映画デビューを果たした。
1954年 - 1965年:大映の時代劇女優[編集]
1954年、大映に入社。1957年の『大阪物語』で父・鴈治郎と共演し、同年からの『赤胴鈴之助』シリーズで人気を得た。同じ年の取材では交際相手について「ボーイフレンドあらしまへん」と京都弁で答えている。
1958年の『炎上』、1960年の『ぼんち』『大菩薩峠』などで市川雷蔵の相手役を務め、1960年度のブルーリボン賞助演女優賞を受賞。『大菩薩峠』三部作では、お浜・お豊・お銀と一人三役をこなした。1961年からの『悪名』シリーズで勝新太郎と共演し、1962年に結婚。1963年には吉村公三郎監督『越前竹人形』で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞した。この年、勝と連名でゴールデン・アロー賞の取材協力賞も受けている。1965年に大映を退社し、以後は他社作品やテレビへと活動の場を広げた。
1966年 - 1980年代:テレビの名脇役、勝プロの社長に[編集]
1967年にギャラクシー賞を受賞。NHK大河ドラマは『三姉妹』(1967年)、『天と地と』(1969年)、『新・平家物語』(1972年)などに出演し、TBS系『水戸黄門』にも複数の部でゲスト出演した。1970年代のテレビドラマでは、苦労を背負った痛々しい母親役を得意とする名脇役として評価を高めた。
1981年に夫が率いる勝プロダクションが倒産すると、1982年に社長に就任し、負債の返済に追われる日々が始まった。夫婦での舞台『夫婦善哉』での共演もこの時期の話題の一つである。
1990年代:バラエティでの大ブレイク[編集]
1990年には勝がハワイで逮捕される騒動があり、夫を支える妻として連日報道された。1992年、自伝的著書『あほな女 生きてる限り、生きていく』を出版。同年の映画『橋のない川』(東陽一監督)で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受けている。
1990年代前半に『さんまのまんま』で明石家さんまと初共演。1995年に正月特番『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル』が始まり、1996年から『さんまのスーパーからくりTV』のレギュラーとなった。1997年に勝新太郎が死去したあともバラエティの第一線に立ち続けた。1998年にはバンダイの「たまごっち」シリーズのキャラクターになり、第49回NHK紅白歌合戦では審査員を務め、ゴールデン・アロー賞放送賞を受賞。1999年にはNHK連続テレビ小説『すずらん』に出演した。
2000年代 - 2010年代:「元気な玉緒さん」の時代[編集]
2000年にエランドール賞特別賞を受賞。2002年には本人をモチーフにしたパチンコ台「CR玉緒でドッカン!!」が登場し、2003年には氷川きよしとのデュエット曲「ラブリィ」(TAMAO&KIYOSHI名義)を発表。同年、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』に出演し、グッドエイジャー賞も受賞した。
2006年には明石家さんまプロデュースのコントライブ『今回もコントだけ』に、女優として初めて出演。2007年には森田芳光監督の映画『椿三十郎』に出演し、同年、長年の功績により毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞した。2009年には「1分間に手の甲へキスした回数」のギネス記録(87回)に挑んで認定されるという、なんとも玉緒さんらしい記録も残している。
2011年に京都名誉観光大使に就任。2013年の勝新太郎の十七回忌では、夫から一度も「愛している」と言われたことがないと明かし、「向こうで言ってもらう」と語った。2016年にはNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』に出演。2019年、長男で俳優の鴈龍が死去した。
2020年 - 2024年:82歳でYouTuber、そして療養へ[編集]
2020年11月、個人事務所の代表取締役に就任。2021年にはInstagramのアカウントを開設し、YouTubeチャンネル『中村玉緒の今日のことは今日で忘れる』もスタートさせた。チャンネル名は「今日のことは今日で忘れる」という座右の銘そのままで、本人は長生きの秘訣として「翌日に引きずらないこと」を挙げている。Instagramの投稿は長年の付き人が担当し、コメントは読み上げてもらっていたという。
2022年に映画『THE RIGHTMAN 正義の男』を撮影し、これが最後の仕事になった。同年7月4日、勝新太郎が玉緒を抱き寄せる写真を添えたInstagram投稿が最後の更新となっている。2023年2月、仕事で訪れた名古屋市で転倒して背骨を圧迫骨折し、以後は都内の介護施設で療養生活に入った。2024年以降は正月特番にも出演できなくなったが、番組タイトルは『さんま・玉緒のお年玉』のまま続いた。
2025年 - 2026年:復帰への意欲、そして死去[編集]
2025年3月ごろには、療養しながらも「舞台に出たい、明治座に私も出たい」と仕事復帰への意欲を見せていたと報じられている。しかし2026年5月ごろから体調が下向きになり、食欲も落ちていったという。
2026年6月9日午後3時52分、肺炎のため都内で死去。86歳だった。6月12日に所属の長良プロダクションが公式サイトで発表し、X(旧Twitter)では「中村玉緒さん」がトレンド入りした。事務所関係者は「老衰に近い形ではないでしょうか」と説明している。
通夜は6月16日、告別式は17日に東京・桐ケ谷斎場で営まれ、喪主は長女の奥村真粧美が務めた。祭壇は生前好きだったバラを中心に飾られ、愛用したココ・シャネルの香水、灰皿、加熱式たばこも供えられた。棺には愛用の着物姿で納められ、遺骨は勝新太郎と同じ墓に納められる予定と報じられた。通夜には和田アキ子、浅田美代子、鶴見辰吾、王貞治、事務所の後輩・水森かおりらが参列。ふだん通夜や葬儀に姿を見せないことで知られる明石家さんまが通夜・告別式の両日に参列したことも大きく報じられた。
さんまは6月13日のラジオ番組で玉緒を「笑いの神が住みついた」人と評し、20日のMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』では、『踊る!さんま御殿!!』の収録が30年間で初めて昼に変更されたおかげで参列できたと明かして「完全に玉緒さんに呼ばれた」と語った。7月17日放送の『さんまのまんま 真夏のおしゃべり祭り』では追悼特集が組まれ、33年前の初共演映像が放送された。
主な出演作[編集]
映画[編集]
- 1953年『景子と雪江』(松竹) - デビュー作
- 1957年『大阪物語』(綾衣) - 吉村公三郎監督。父・二代目中村鴈治郎主演、勝新太郎・市川雷蔵共演
- 1957年 - 『赤胴鈴之助』シリーズ
- 1958年『炎上』 - 市川崑監督、市川雷蔵主演
- 1960年『ぼんち』 - 市川崑監督、市川雷蔵主演
- 1960年『大菩薩峠』(お浜/お豊) - 三隅研次監督。ブルーリボン賞助演女優賞
- 1960年『大菩薩峠 竜神の巻』(お豊)
- 1961年『大菩薩峠 完結篇』(お銀) - 森一生監督
- 1961年『人間の條件 完結篇』 - 小林正樹監督
- 1961年 - 『悪名』シリーズ - 勝新太郎主演
- 1963年『越前竹人形』 - 吉村公三郎監督。毎日映画コンクール女優助演賞
- 1992年『橋のない川』 - 東陽一監督。日刊スポーツ映画大賞助演女優賞
- 2007年『椿三十郎』 - 森田芳光監督、織田裕二主演
- 『THE RIGHTMAN 正義の男』 - 2022年撮影。最後の出演作
テレビドラマ[編集]
- 三姉妹(1967年、NHK大河ドラマ)
- 天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)
- 新・平家物語(1972年、NHK大河ドラマ)
- 水戸黄門(TBS系) - 複数の部にゲスト出演
- すずらん(1999年、NHK連続テレビ小説)
- 武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ)
- べっぴんさん(2016年、NHK連続テレビ小説)
バラエティ[編集]
- さんまのまんま(関西テレビ・フジテレビ系) - 明石家さんまとの初共演の場
- さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル(1995年 - 、TBSテレビ系) - 正月特番
- さんまのスーパーからくりTV(1996年 - 、TBS系) - レギュラー
- 明石家多国籍軍(TBS系)
- 中村玉緒の今日のことは今日で忘れる(2021年 - 、YouTube)
舞台[編集]
- 夫婦善哉 - 勝新太郎との夫婦共演
- 浪花女奮闘記「まかしときなはれ」 - 座長公演
- 明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ(2006年) - コントライブ
音楽[編集]
- ラブリィ(2003年) - 氷川きよしとのデュエット(TAMAO&KIYOSHI名義)
受賞歴[編集]
- 1960年度 ブルーリボン賞 助演女優賞(『ぼんち』『大菩薩峠』)
- 1963年 毎日映画コンクール 女優助演賞(『越前竹人形』)
- 1963年 ゴールデン・アロー賞 取材協力賞(勝新太郎と共同受賞)
- 1967年 ギャラクシー賞
- 1987年 パチンコ文化賞
- 1992年 日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞(『橋のない川』)
- 1998年 ゴールデン・アロー賞 放送賞
- 2000年 エランドール賞 特別賞
- 2003年 グッドエイジャー賞
- 2007年 毎日映画コンクール 田中絹代賞
- 2009年 ギネス世界記録認定(1分間に手の甲へキスした回数・87回)
- 2011年 京都名誉観光大使
家族[編集]
- 父・二代目中村鴈治郎:上方歌舞伎を代表する名優で、映画俳優としても大映などで活躍した。『大阪物語』では主演を務め、娘の玉緒と共演している。
- 兄・四代目坂田藤十郎:三代目中村鴈治郎を経て、231年ぶりに坂田藤十郎の名跡を復活させた歌舞伎俳優。その子である四代目中村鴈治郎、三代目中村扇雀は玉緒の甥にあたる。
- 夫・勝新太郎:『座頭市』『悪名』『兵隊やくざ』などで知られる俳優。1962年に結婚し、1997年に死別した。2022年7月の玉緒の最後のInstagram投稿も、勝とのツーショット写真だった。
- 長男・鴈龍:俳優として活動。2019年に死去した。
- 長女・奥村真粧美:2026年の玉緒の葬儀で喪主を務めた。
人物[編集]
- 京都弁と「うふふふ」:やわらかな京都弁と、独特の「うふふふ」という笑い声がトレードマーク。娘役から深刻な役柄までこなす一方、晩年は茶目っ気あふれる人柄で愛された。
- パチンコ・スロット好き:大のパチンコ好きで、TBSテレビに近い赤坂の行きつけの店に週2回ほど通っていたと元スタッフが証言している。「パチンコは友達」と語り、自分の名前を冠した台のオファーや店舗営業の仕事も喜んで引き受けたという。スロットは右手、麻雀牌は左手で扱うと決めていたとも語っている。
- 自腹で着物を新調:お年玉特番の収録のたびに、自腹で着物を新調していたと元所属事務所スタッフが証言している。さんまとの共演を心から楽しみにし、恩義も感じていたという。
- スケジュールは自分で決める:マネージャーがいても、自分でスケジュールを決めたほうが気持ちよく眠れると語っていた。人任せにすると失敗したときに相手を責めたくなるから、というのが理由。80代になっても新企画を自分で事務所の社長に提案していたという。
- 子育て観:子煩悩である一方、しつけは厳しかったとされる。
炎上とバズ[編集]
- 勝新太郎の逮捕騒動:1990年に夫・勝新太郎がハワイで麻薬所持により逮捕された際、玉緒は夫を支える妻として報道の矢面に立った。のちに勝の破天荒ぶりに触れつつも「勝新太郎の妻でよかった」と語っている。
- 訃報でトレンド入り:2026年6月12日の訃報発表直後、Xで「中村玉緒さん」がトレンド入り。片岡愛之助、藤田朋子、松尾貴史、元カラテカの入江慎也らが相次いで追悼した。入江は、玉緒が毎年『からくりTV』の前説を担当していたカラテカを勝の行きつけの焼肉店に連れて行き、ご馳走してくれたと振り返った。
- さんま、異例の葬儀参列:通夜・葬儀に出ない姿勢を貫いてきた明石家さんまが両日参列したことは「異例」として報道陣を驚かせ、さんま本人も「俺は完全に玉緒さんに呼ばれた」と語って話題になった。
余談[編集]
- タレントのさとう珠緒は、両親が中村玉緒のファンだったことから「珠緒」と名付けられたと明かしている。ロケで差し入れをもらったこともあり、「太陽のような」人だったと偲んだ。
- 食品「マロニー」のテレビCMでおなじみの「マロニーちゃん」というフレーズは、玉緒のアドリブから生まれたとされる。
- 大のおしゃべり好きで、新幹線の喫煙ブースで一般客と話し込み、座席に戻らないまま目的地に着いてしまったこともあったという。
- パチンコ店では、同じ機種を打つ客に自腹で買ったコーヒーを配って回ったという逸話がある。
- 勝新太郎の十七回忌を偲ぶ会では、余命を告げられた頃の家族の食事を「親子4人の最後の食事」だったと涙ながらに振り返った。晩年には「ただ、主人に会いたい。それだけ」と語っていたと報じられている。
- 『大阪物語』は、玉緒・父の鴈治郎・のちの夫の勝新太郎・幼なじみの市川雷蔵が同じ画面に揃うという、玉緒の人生を凝縮したような一本でもある。
