概要
でんでんタウンとは、大阪市浪速区日本橋(にっぽんばし)にある電気街の愛称である。「東のアキバ、西のポンバシ」と並び称される西日本最大級の電気街で、近年は家電よりもアニメ・ホビー店が集まる「オタロード」周辺のほうが賑わっている。
詳細
でんでんタウンは、堺筋沿いの浪速区日本橋3〜5丁目を中心に広がるエリアで、地元では「日本橋(にっぽんばし)」、略して「ポンバシ」と呼ばれることが多い。東京の秋葉原、名古屋の大須と並ぶ日本の三大電気街のひとつに数えられる。
ややこしいのが最寄り駅である。名前に反して、地下鉄の日本橋駅は電気街のいちばん北の端にあり、実際の最寄りはOsaka Metro堺筋線の恵美須町駅や南海難波駅になる。恵美須町駅の駅名標には「日本橋筋」という愛称がカッコ書きで添えられている。
堺筋にはアーケードが整備され、ラジオ大阪ではでんでんタウン協栄会の提供番組が2013年12月まで放送されていた。
スラム街から古書店街、そして電気街へ
でんでんタウンの歴史は、ほかの電気街とはかなり違う。
この一帯は江戸時代には「長町(ながまち)」と呼ばれる街道筋で、旅籠や木賃宿が並んでいた。明治期には長町裏に大阪最大のスラム街が形成され、上方落語「貧乏花見」の舞台にもなっている。1903年の第5回内国勧業博覧会を前にスラムは一掃され、住民の多くは南の釜ヶ崎へ移った。
その後は古着や古物の店が並び、大正期には東京の神田神保町と並ぶ古書店街になった。電気街の始まりは戦後で、自作ラジオ用のパーツや工具を売る店が集まったのがきっかけである。冷蔵庫・洗濯機・テレビの普及とともに家電小売へと移り、昭和40〜50年代のオーディオブーム、その後のパソコンブームで近畿一円から客を集める「電気の街」「趣味の街」に成長した。値段交渉の文化があったのも関西らしいところである。
電気街としての衰退
バブル崩壊後、状況は一変する。日本橋に本店を持つ地元量販店が自ら郊外へ出店し、客足が分散した。さらに2001年には千日前にビックカメラなんば店、梅田にヨドバシ梅田が相次いで開業し、郊外にもコジマ・ヤマダ電機・ケーズデンキなどの大型店が増えた。
2003年にマツヤデンキ、2005年にニノミヤが経営破綻し、パソコン店の撤退も続いた。2006年にはヤマダ電機の「LABI1なんば」、2019年にはエディオンなんば本店が近くの南海難波駅周辺に開業している。2013年8月には「来た・見た・買うた」のキャッチコピーで知られた老舗の喜多商店が予告なく閉店した。
結果として、関西資本の大型家電店が並ぶ電気街という姿はほぼ消え、大手家電店で残ったのは上新電機のみになった。大型店の跡地の多くはマンションに建て替えられている。
オタロードの誕生
電気街が縮んだ一方で、急成長したのが堺筋の西側、日本橋筋西通商店街である。1970年代までは家具店が並ぶ通りだったが、1980年代以降は自作PC店が集まり、2000年代初めにPC店が撤退した空き店舗へサブカルチャー系の店が入った。
ネット上で自然発生的に「オタク通り」と呼ばれるようになり、「オタロード」という呼び名が定着したのは2010年ごろとされる。アニメイト、ゲーマーズ、とらのあな、メロンブックス、ホビーベースイエローサブマリンといった東京資本の店が進出し、堺筋沿いにもK-BOOKS、まんだらけ、ポポンデッタが並ぶ。静岡の駿河屋(エーツー)や京都のボークスも出店している。
メイド喫茶やコンセプトカフェも多数進出し、2011年に「めいどりーみん」、2019年に「@ほぉ〜むカフェ」と東京の大手も上陸した。
日本橋ストリートフェスタ
2005年から毎年春分の日前後の日曜日に開かれている、でんでんタウン最大のイベントである。堺筋の約700メートルを歩行者天国にし、コスプレ参加者のパレードなどが行われる。2010年には主催者発表で20万人以上が集まった。
2011年は東日本大震災で中止、2020〜2022年はコロナ禍で中止、2023年は前年のソウル・梨泰院の群衆事故を受けた警備上の困難を理由に開催を断念した。2024年に再開し、国内外から21万人が参加した。
余談
- 2009年から始まった「日本橋プロジェクト」では、いとうのいぢデザインのイメージキャラクター「音々(ねおん)ちゃん」(声:松岡由貴)が作られ、妹の「光(ひかり)ちゃん」まで登場している。
- 街の課題もはっきりしている。マジコンや海賊版、違法DVDを売る店の摘発、闇カジノの摘発が続いたほか、路上駐車・駐輪、はみ出し陳列、メイド喫茶の客引きやビラ配りによる道路占有が常態化し、2025年には大阪府警による一斉取り締まりが行われた。
- 家電店の跡地にホビーショップが入る流れは、東京の秋葉原、中野の中野ブロードウェイ、池袋の乙女ロードと同じ「オタク街化」の典型である。