| 飯島愛 | |
|---|---|
| Ai Iijima | |
| ファイル:飯島愛.jpg | |
| 生年月日 | 1972年10月31日 |
| 出身地 | 東京都江東区 |
| 活動期間 | 1992年 - 1994年(AV) |
| デビュー | 1992年『激射の女神 愛のベイサイドクラブ』(FOXY) |
| ジャンル | 単体 |
| 別名 | 大久保松恵(本名) |
概要[編集]
飯島愛(いいじま あい、1972年10月31日 - 2008年12月17日〈死亡推定日〉)は、日本のタレント、元AV女優。本名は大久保松恵。東京都江東区出身。1990年代から2000年代の日本のお茶の間を代表する人気タレントのひとりで、AV女優出身でありながらバラエティ番組の第一線で長く活躍した稀有な存在らしい。「Tバックの女王」と呼ばれた深夜番組時代から、半自伝的小説『プラトニック・セックス』のベストセラー作家まで、その人生は何度もメディアを賑わせた。デビュー当時は宇宙企画の王道だった黒髪美少女路線から、茶髪・日焼け肌のギャル路線へ自らかじを切って売れ出した、という逸話も有名。
デビューと「Tバックの女王」[編集]
東京都江東区の亀戸に生まれ育つ。教育熱心な家庭で育ち中学までは成績優秀だったが、中学1年で祖父を亡くしたことをきっかけに非行に走り、高校を中退。六本木でホステスとして働いていたところをスカウトされ、1992年にAV女優となった。「愛」という芸名は、水商売時代の店のママが「みんなから愛される子に」との願いを込めて付けた源氏名に由来する。デビュー作は『激射の女神 愛のベイサイドクラブ』(1992年、FOXY)とされる。
AVデビューからほどなく、1992年2月より深夜番組『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系)にレギュラー出演。スカートをめくってTバックを見せる演出が話題を呼び、「Tバックの女王」と呼ばれて若者の間で絶大な人気を得た。1993年には「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビューも果たしている。
タレント転身とカミングアウト[編集]
1994年頃にAV女優を引退し、テレビで得た知名度を武器に完全にタレント業へ転身。当初は元AV女優のイメージを払拭する戦略をとり、本人も共演者もしばらくは経歴に触れなかった。しかし2000年、半自伝的小説『プラトニック・セックス』でリンチ被害・AV出演・中絶・整形などの過去を自ら告白すると、これが大ベストセラーとなり、映画化・ドラマ化もされた。以降は作家活動や性感染症予防の啓発活動でも知られるようになる。
タレントとしては露出の多い衣装で「お色気担当」を務める一方、クイズ番組では珍解答を連発する「おバカタレント」としても愛され、芸能・政治・スポーツに本音で切り込むコメントでも人気を集めた。『ロンドンハーツ』『スパスパ人間学!』など多くの番組でゲストから準レギュラー、レギュラーへと出世していくのが定番のパターンだったらしい。2000年の流行語大賞では「ワタシ的には…」の使い手としてトップテンに選ばれている。
引退[編集]
2007年3月、所属事務所が芸能界引退を発表。腎臓病(腎盂炎)が理由のひとつとされた。最後のレギュラー番組『サンデージャポン』最終出演日(3月25日)にちょうど能登半島地震が発生し、放送時間がわずか15分に短縮されて本人の登場場面は予告のみの3分だけになる、という不運も重なった。後日あらためて引退VTRが放送され、2007年3月31日付で正式に引退した。
死去[編集]
引退後もブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」を続けていたが、2008年12月24日、東京都渋谷区の自室で亡くなっているのが親族により発見された。発見時点で死後1週間ほど経過しており、死亡推定日は12月17日前後、36歳没。死因は肺炎と発表された。2009年3月に東京プリンスホテルで営まれたお別れの会には約1500人が参列し、弔辞は島田紳助と中山秀征が読んだ。没後もブログにはファンの書き込みが続き、2015年の閉鎖時点でコメント数は約7万2700件に達していたという。
余談[編集]
- 歌手デビュー作のCDには、本人が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されるという、当時ならではの企画もあった。
- 及川奈央や小室友里、桜樹ルイらと同じく、AV女優出身でお茶の間にまで名前が知られた数少ない「レジェンド」のひとりに数えられる。