| 青山杉作 あおやま すぎさく | |
|---|---|
| ファイル:青山杉作.jpg | |
| 誕生日 | 1889年7月22日 |
| 死亡日 | 1956年12月26日 |
| 死亡年齢 | 67歳 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 俳優、演出家、映画監督 |
| 代表的な実績 | 築地小劇場同人/劇団俳優座の創立者の一人 |
| 別名 | 元野伊作(脚本家としての筆名) |
概要[編集]
青山杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1956年12月26日)は、俳優・演出家・映画監督。
築地小劇場の創立に参加した新劇の草分けで、晩年は千田是也・東野英治郎・小沢栄太郎らと劇団俳優座を旗揚げした重鎮。一方で松竹少女歌劇団の養成指導も長年つとめ、新劇とレビューの両方に足跡を残した、ちょっと変わった経歴の演劇人だったりする。
築地小劇場の同人[編集]
1924年(大正13年)、小山内薫・土方与志の築地小劇場創立に参加し、開場後に同人となった。はじめは演技部に属し第2回公演『狼』などに出演したが、同年の『地平線の彼方へ』から演出部に転じ、『青い鳥』『令嬢ジュリー』(1925年)、『大寺学校』(1928年)といった作品を演出。俳優としても舞台に立ちつつ演技指導も担うなど、劇場の屋台骨を支えた。
分裂、そして新たな旗揚げ[編集]
1928年(昭和3年)、創立者小山内薫が急死して築地小劇場は分裂。青山は劇場に残り、残留組とともに劇団築地小劇場として活動を続けたが、1930年(昭和5年)には脱退し、東山千栄子・汐見洋らと劇団新東京を創立した。新劇の歴史そのものが揺れ動いた時代を、現場で生き抜いた人だ。
レビューと放送劇の指導[編集]
並行して松竹少女歌劇団の養成指導を10年間つとめ、水の江瀧子らスターを育てた。さらに「元野伊作」の筆名で脚本も書き、70作もの作品を演出したという多作ぶり。1942年(昭和17年)からは東京放送劇団でラジオ俳優の演技指導も担当し、舞台・映画・レビュー・放送と活動の幅を広げた。
俳優座の創立[編集]
1944年(昭和19年)2月、千田是也・小沢栄太郎・東野英治郎・東山千栄子らと劇団俳優座を結成。築地小劇場世代の長老格として、戦後新劇の再出発に立ち会った。
関連項目[編集]
- 築地小劇場 / 小山内薫 / 土方与志 - 創立に関わった新劇の本拠
- 俳優座 - 晩年に創立した劇団
- 千田是也 / 東野英治郎 / 小沢栄太郎 - 俳優座の盟友
- 杉村春子 / 村山知義 - 同時代の新劇人
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