| 近藤悠三 こんどう ゆうぞう | |
|---|---|
| ファイル:近藤悠三.jpg | |
| 本名 | 近藤雄三 |
| 誕生日 | 1902年2月8日 |
| 死亡日 | 1985年2月25日 |
| 死亡年齢 | 83歳 |
| 出身地 | 京都市 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 陶芸家 |
| 肩書 | 重要無形文化財「染付」保持者(人間国宝) |
| 活動期間 | 1920年代 - 1980年代 |
| 代表的な実績 | 染付で人間国宝(1977) |
| 受賞 | 紫綬褒章(1970)・勲三等瑞宝章(1973) |
| 別名 | 染付の悠三 |
概要[編集]
近藤悠三(こんどう ゆうぞう、1902年2月8日 - 1985年2月25日)は、京都の陶芸家。1977年に染付で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。本名は雄三。呉須(藍色の顔料)一色で大胆な山水や草花を描く画風から「染付の悠三」と呼ばれた、近代京焼を代表する巨匠である。
その絵付けは、つけたてとぼかしを基調とする絵画的な描法で、山水や梅・柘榴・葡萄などを大胆な構図と力強い筆致で描き出す。陶芸でありながら一幅の絵を見るような趣があり、しばしば「陶芸における文人画」と評されるらしい。
清水寺下の生まれ[編集]
京都・清水寺下の出身で、祖父の正慎は清水寺の寺侍だったという、寺ゆかりの家系。1914年に京都市立陶磁器試験場附属伝習所の轆轤科に入所し、1917年に卒業すると同試験場で助手をつとめた。やきものの技術を、伝統と科学の両面から叩き込まれた世代である。
富本憲吉に学ぶ[編集]
大正10年から13年(1921 - 24年)にかけて、近藤は富本憲吉の工房で助手をつとめた。「模様から模様をつくらず」を信条とした富本の薫陶を受けたことは、近藤の独創を重んじる作風の土台となった。富本門下からは藤本能道ら近代色絵磁器の担い手も育っており、近藤もまたその系譜に連なる。
染付への専念[編集]
はじめは染付のほか象嵌、掻き落とし、盛上など多彩な手法で陶器・磁器を手がけたが、戦後は染付に専念するようになる。呉須の濃淡だけで奥行きを表現する近藤の染付は、磁肌の白を背景に藍が冴えわたり、陶芸界でも独自の境地と讃えられた。1970年に紫綬褒章、1973年に勲三等瑞宝章、1977年4月25日に重要無形文化財「染付」保持者(人間国宝)に認定された。
余談[編集]
- 孫の近藤高弘も陶芸家・美術家として活躍しており、近藤家は京焼の名門として続いている。
- 京都・清水の地には近藤悠三記念館があり、巨大な梅文の染付大皿など代表作を見ることができるらしい。
関連項目[編集]
- 富本憲吉 - 師。色絵磁器の人間国宝。
- 藤本能道 - 同じく富本門下の色絵磁器の人間国宝。
- 松井康成・三輪壽雪 - 同時代に人間国宝となった陶芸家。
- 濱田庄司・河井寛次郎・板谷波山・加藤土師萌・北大路魯山人・柳宗悦 - 近代陶芸・工芸の巨匠たち。
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