| 松井康成 まつい こうせい | |
|---|---|
| ファイル:松井康成.jpg | |
| 誕生日 | 1927年5月20日 |
| 死亡日 | 2003年4月11日 |
| 死亡年齢 | 75歳 |
| 出身地 | 長野県北佐久郡 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 明治大学専門部文科文芸科 |
| 職業 | 陶芸家・僧侶 |
| 肩書 | 重要無形文化財「練上手」保持者(人間国宝) |
| 活動期間 | 1950年代 - 2003年 |
| 代表的な実績 | 練上手で人間国宝(1993) |
| 受賞 | 紫綬褒章(1988)・旭日章(2000) |
概要[編集]
松井康成(まつい こうせい、1927年5月20日 - 2003年4月11日)は、茨城県笠間を拠点に活動した陶芸家。1993年、練上手(ねりあげで)で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。色の異なる粘土を練り合わせて模様を生み出す難技法・練上手を、芸術の域にまで高めた第一人者である。
しかもこの人、肩書きが「住職兼陶芸家」。笠間の月崇寺という寺の二十四世住職をつとめながら、境内の窯で作陶を続けたという異色の経歴の持ち主らしい。
疎開先・笠間との縁[編集]
長野県北佐久郡の生まれ。戦時中、父の生地である茨城県笠間町へ家族で疎開したことが、のちに陶芸の本場・笠間と結びつく運命の縁となった。終戦後はアルバイトで笠間・月崇寺下の奥田製陶所に通い、作陶の技術を学び始める。1947年に明治大学専門部文科文芸科に進学すると、東京国立博物館に足しげく通って中国・朝鮮・日本の古陶磁を徹底的に研究した。
婿入りして住職に[編集]
1952年、大学卒業と同時に月崇寺住職・松井英功の長女秀子と結婚し、婿入りして松井姓となる。翌年に義父の住職が病に伏したため、勤めていた小学校教諭を辞し、1955年に月崇寺二十四世住職となった。寺には江戸時代に築かれた古い窯があり、松井はこれを復興して、古陶磁を模した作品や練上げ技法の研究・制作に没頭していく。
練上一筋へ[編集]
転機は1968年。師事していた東京芸術大学教授・田村耕一から「一つの技法に絞って探究せよ」と薦められ、40代からは練上手ひとすじに研究を重ねた。練上手は、色土を積層・練成して断面に文様を出す中国・唐代以来の技法だが、ひび割れやすく扱いが難しい。松井は「象嵌」「破調」「玻璃光」「嘯裂」など独自の表現を次々に編み出し、練上手を現代陶芸の最前線へと押し上げた。
1988年に紫綬褒章、1993年に重要無形文化財「練上手」保持者(人間国宝)、2000年に旭日章を受章。求道者のように一技法を掘り下げた生涯は、まさに僧侶にして陶工というほかない。
余談[編集]
- 笠間の芸術の森公園内には松井康成の展示室が設けられており、その仕事をまとめて見ることができるらしい。
- 長男も陶芸家として作陶を続けており、練上手の技は次代へ受け継がれている。
関連項目[編集]
- 富本憲吉・濱田庄司・河井寛次郎・板谷波山・荒川豊蔵・石黒宗麿・加藤土師萌・楠部彌弌 - 近代陶芸の巨匠たち。
- 三輪壽雪・近藤悠三・藤本能道 - 同時代に人間国宝となった陶芸家。
- 柳宗悦・北大路魯山人 - 工芸を語るうえで欠かせない人物。
- MissAV・FANZA・稲垣莉生 - 当wikiの人気記事。