| 富本 憲吉 Tomimoto Kenkichi | |
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| ファイル:富本憲吉.jpg | |
| 誕生日 | 1886年6月5日 |
| 死亡日 | 1963年6月8日 |
| 死亡年齢 | 77歳 |
| 出身地 | 奈良県 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京美術学校図案科 |
| 職業 | 陶芸家 |
| 肩書 | 重要無形文化財保持者(人間国宝) |
| 活動期間 | 1910年代 - 1963年 |
| 代表的な実績 | 色絵磁器、色絵金銀彩 |
| 受賞 | 文化勲章 |
概要[編集]
富本憲吉(とみもと けんきち、1886年6月5日 - 1963年6月8日)は、奈良県出身の陶芸家。近代陶芸を「写し」から「創作」へと引き上げた立役者で、1955年(昭和30年)に「色絵磁器」で第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されたレジェンドである。「模様から模様をつくらず」を生涯のモットーに掲げ、過去の名品をマネせず、ひたすら自分の頭から新しい模様を生み出し続けたことで知られる。
ロンドン留学とバーナード・リーチ[編集]
東京美術学校図案科に学び、建築・室内装飾を専攻。1908年(明治41年)にロンドンへ私費留学し、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に強く感化された。1910年(明治43年)に帰国すると、生涯の友となる英国人陶芸家バーナード・リーチと出会い、楽焼から作陶をスタートする。デザインから工芸へと軸足を移したこの出会いが、富本を「陶芸家・富本憲吉」へと変えていった。
民藝運動との距離[編集]
郷里の奈良・安堵村にこもって作陶に打ち込み、素朴な大和の白磁や染付から出発。やがて色絵磁器、さらに金と銀を同時に焼きつける色絵金銀彩という華やかな技法に到達し、独自の境地を切り開いた。一時は柳宗悦・濱田庄司・河井寛次郎らの民藝運動にも近づいたが、「個」の創作を重んじる富本は、無名性を尊ぶ民藝の思想とは次第に距離を置いた。職人の手仕事を讃える民藝と、作家の独創を貫く富本——この対比は近代工芸を語るうえでの王道の論点になっている。
人間国宝・文化勲章[編集]
1955年(昭和30年)、文化財保護法改正で新設された重要無形文化財の保持者制度のもと、富本は最初の人間国宝の一人に認定された。京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)の学長も務め、後進の育成にも尽力。晩年の1961年(昭和36年)には文化勲章を受章し、その2年後の1963年に77歳で世を去った。
余談[編集]
- 「模様から模様をつくらず」というフレーズは、いまも工芸やデザインの世界で創作倫理を語るときの合言葉のように使われている。
- 図案家として出発したため、模様(パターン)への意識が人一倍強く、「模様の作家」とも呼ばれた。
- 故郷の奈良県安堵町には富本憲吉記念館ゆかりの資料が伝えられ、地元の誇りとなっている。