近松秋江

近松秋江
ファイル:近松秋江.jpg
本名 徳田 丑太郎
出身地 岡山県
国籍 日本
学歴 東京専門学校(現・早稲田大学)
職業 小説家・評論家
代表的な実績 『別れたる妻に送る手紙』『黒髪』『疑惑』


概要[編集]

近松秋江(ちかまつ しゅうこう、1876年5月4日 - 1944年4月23日)は、日本の小説家・評論家。本名は徳田丑太郎。一言でいえば「情痴文学の王」。一人の女に振り回され、未練たらたらで追いすがる男の生々しい愛欲を、これでもかと赤裸々に描き続けた、私小説の代表的作家である。みっともないほどの執着をそのまま文学にしてしまう振り切りっぷりで、葛西善蔵嘉村礒多らと並ぶ破滅型私小説の系譜に位置づけられる。

正宗白鳥との青春[編集]

岡山県の生まれ。東京専門学校(現・早稲田大学)に学び、同級には生涯の友となる正宗白鳥がいた。在学中から島村抱月(平文)の紹介で読売新聞の文芸時評を書きはじめ、1901年の「鏡花の註文帳を評す」で文壇にデビュー。評論家として出発した点は、同郷・同窓の正宗白鳥とよく似ている。

情痴文学への転身[編集]

作家としての地位を決定づけたのが、1910年の『別れたる妻に送る手紙』。別れた妻への未練を切々と書き連ねたこの作で注目を集めると、以後は自身の恋愛体験を生のまま叩きつける「情痴文学」へと突き進む。京都の芸妓をめぐる狂おしい執着を描いた『黒髪』はその代表作で、男の煮え切らなさ・みっともなさを徹底して凝視した。

私小説の確立[編集]

1913年(大正2年)の『疑惑』は、私小説史上の画期とされる。評論家の平野謙は、この『疑惑』をもって日本の私小説が確立したと位置づけた。島崎藤村田山花袋に始まる自然主義の流れを、より個人の内面・愛欲へと深く沈めた秋江の仕事は、徳田秋声正宗白鳥ら自然主義の大家とも響き合っている。

晩年[編集]

昭和に入ると随筆や歴史小説も手がけたが、次第に文壇の第一線から退いていった。晩年は両目とも失明し、1944年、老衰と栄養失調のため東京・杉並の自宅で死去した。波乱に満ちた生涯だったが、自らの弱さ・醜さから目を背けずに書き切った姿勢は、後年あらためて高く評価されている。

余談[編集]

  • あまりに私生活をそのまま書くため、モデルにされた女性とのトラブルも絶えなかったらしい。
  • 同じ私小説でも、内省的な嘉村礒多や破滅的な葛西善蔵と比べると、秋江はあくまで「恋の未練」に特化している点がユニーク。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]