嘉村礒多

嘉村礒多
かむら いそた
ファイル:嘉村礒多.jpg
本名 嘉村礒多
誕生日 1897年12月15日
死亡日 1933年11月30日
死亡年齢 35歳
出身地 山口県吉敷郡仁保村(山口市)
国籍 日本
職業 小説家
活動期間 1925年 - 1933年
代表的な実績 『業苦』『崖の下』
関連活動 同人誌『不同調』
その他 「私小説の極北」


概要[編集]

嘉村礒多(かむら いそた、1897年12月15日 - 1933年11月30日)は、昭和初期の小説家。妻子を捨てて愛する女性と上京した自らの罪の意識や、貧困・劣等感を、徹底して自己凝視の筆でえぐり出した私小説作家である。その容赦ない自己告白は「私小説の極北」と評される。

寡作で生前は無名に近かったが、没後に葛西善蔵と並ぶ私小説の到達点として再評価された。短い生涯に約20編の自照的な作品を残した、文字どおり「身を削って書いた」作家らしい。

生い立ち[編集]

山口県仁保村の農家に生まれた。背が低く色黒であることに強い劣等感を抱いていたと伝えられ、その自意識の鋭さが、のちの自己凝視の文学につながった。郷里で家庭を持つが、愛する女性・小川千代との関係から、妻子を残して上京するという人生の大きな転機を迎える。

『業苦』と『崖の下』[編集]

上京後、苦しい生活のなかで小説を書き、1925年ごろから同人誌『不同調』に作品を発表。妻子を捨てた罪の意識と、愛欲・貧苦をそのまま描いた『業苦』『崖の下』が文壇の注目を集めた。自然主義・私小説の流れを受けつつ、徹底して「自分」という一点を掘り下げる作風は、同じく破滅的に自己を追い込んだ葛西善蔵としばしば並び称される。

晩年[編集]

身辺の苦悩と病をそのまま作品に刻みつけながら、1933年に35歳で病没した。生前の評価は限られていたが、没後にその純度の高い自己告白の文学が再評価され、私小説を語るうえで欠かせない作家となった。郷里・山口市仁保には生家が保存されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]