葛西善蔵

葛西善蔵
かさい ぜんぞう
ファイル:葛西善蔵.jpg
本名 葛西善蔵
誕生日 1887年1月16日
死亡日 1928年7月23日
死亡年齢 41歳
出身地 青森県弘前市
国籍 日本
職業 小説家
活動期間 1912年 - 1928年
代表的な実績 『哀しき父』『子をつれて』『湖畔手記』
関連活動 同人誌『奇蹟』
その他 「私小説の神様」


概要[編集]

葛西善蔵(かさい ぜんぞう、1887年1月16日 - 1928年7月23日)は、大正期の小説家。自らの貧困・病・酒・人間関係の不調和を、容赦なく作品にさらけ出した「破滅型」の私小説作家で、「私小説の神様」とも呼ばれる人物である。

生活はほぼ生涯にわたって困窮し、創作と引き換えに身を持ち崩していった。その壮絶な生きざまそのものが文学だった、という意味で、日本の私小説を象徴する作家の一人とされている。

『奇蹟』と『哀しき父』[編集]

青森・弘前の生まれ。上京して苦学のすえ、1912年に同人誌『奇蹟』の創刊号に『哀しき父』を発表してデビューした。『奇蹟』は私小説の温床となった同人誌で、葛西はその中心的な書き手となる。自己の内面と生活の破綻をそのまま小説に書きつける手法は、当時の文壇に強い印象を与えた。

破滅型の私小説[編集]

1918年の『子をつれて』は、家賃を払えず家を追われ、幼い子を連れてさまよう父を描いた代表作で、困窮する芸術家の姿を突き放した筆致でとらえている。「人間の破産、そこから僕の芸術生活が始まる」という言葉に象徴されるように、葛西は生活を犠牲にしてでも芸術の完成をめざす破滅型の生き方を貫いた。徳田秋声正宗白鳥ら自然主義の系譜を受け継ぎつつ、より苛烈に「私」を掘り下げた。

晩年[編集]

酒と病に蝕まれながらも『湖畔手記』などの佳作を残したが、結核が進行し、1928年に41歳で世を去った。極限まで自己を追い込んだその文学は、後の私小説作家や、同じ年に没した嘉村礒多ら「私小説の極北」を志す作家たちに大きな影響を残した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]