| 草野心平 Shimpei Kusano | |
|---|---|
| 誕生日 | 1903年5月12日 |
| 死亡日 | 1988年11月12日 |
| 死亡年齢 | 85歳 |
| 出身地 | 福島県石城郡上小川村(現・いわき市) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 詩人 |
| 肩書 | 文化勲章受章者、文化功労者 |
| 活動期間 | 1920年代 - 1980年代 |
| 代表的な実績 | 詩誌「歴程」の主宰 |
| 受賞 | 文化勲章、読売文学賞 |
| 別名 | 蛙の詩人 |
概要[編集]
草野心平(くさの しんぺい、1903年5月12日 - 1988年11月12日)は、日本の詩人。生涯にわたって蛙(かえる)を詩のモチーフにし続け、「蛙の詩人」と呼ばれた愛すべき巨人である。文化勲章受章者、文化功労者。
「ケルルンクック」など擬音をふんだんに使った、おおらかでユーモラスな詩世界で知られる。一方で居酒屋「火の車」を切り盛りしたり、無数の若い詩人を世に出したりと、人間味あふれる「親分肌」の詩人でもあったらしい。
経歴[編集]
福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)に生まれた。慶應義塾普通部を中退し、中国・広東の嶺南大学芸術科に学ぶ。在学中の1928年に第一詩集『第百階級』を刊行した。蛙たちを擬人化し、社会の最下層から世界を見上げるような視点は、デビュー作からすでに鮮烈だった。
「歴程」と詩人たちの梁山泊[編集]
1935年、逸見猶吉が創刊した詩誌「歴程」に参加。戦後はこれを復刊し、宮沢賢治の発掘・顕彰に尽力するとともに、多くの若い詩人を育てた。「歴程」は流派や党派を超えた自由な詩人の集まりとして長く続き、戦後現代詩の太い母体となった。のちに吉増剛造ら次世代の詩人たちもこの磁場と関わっていく。草野はまさに現代詩の「親分」だった。
蛙の詩人[編集]
『春のうた』『冬眠』など、蛙をめぐる詩を生涯書き続けた。「冬眠」が黒丸ひとつだけで表現される(●)という超ミニマルな実験詩は、教科書でも紹介される有名なエピソード。擬音とユーモアとスケールの大きさが同居する詩風は、難解になりがちな現代詩のなかで異彩を放つ。
栄誉と晩年[編集]
1983年に文化功労者、1984年にいわき市名誉市民、1987年に文化勲章を受章した。1987年11月には車椅子で文化勲章の伝達式に出席している。1988年11月12日に死去。郷里のいわき市には「いわき市立草野心平記念文学館」が建てられ、その業績と人柄が今に伝えられている。
余談[編集]
- 新宿で居酒屋「火の車」を経営していた逸話は有名。詩人や芸術家が集まる文化サロンのような場所だったという。
- 宮沢賢治の真価をいち早く見抜き、世に広めた立役者の一人。賢治が国民的詩人になった背景には草野の尽力があった。
関連項目[編集]
- 吉増剛造 - 「歴程」と関わった次世代の詩人
- 寺山修司 - 戦後を代表する詩人・表現者
- 澁澤龍彦 / 種村季弘 - 同時代の文人
- 横尾忠則 - 戦後前衛文化の同時代人
- MissAV / 稲垣莉生 - サブカル回遊クラスタ