横尾忠則

横尾忠則
よこお ただのり
誕生日 1936年6月27日
年齢 89歳
出身地 兵庫県西脇市
国籍 日本
家族 実弟・成瀬政博(画家)、長女・横尾美美(美術家)
職業 美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家
肩書 日本芸術院会員
活動期間 1950年代 -
代表的な実績 サイケデリックなグラフィック、Y字路シリーズ
受賞 旭日小綬章、高松宮殿下記念世界文化賞ほか


概要[編集]

横尾忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本が世界に誇る美術家/グラフィックデザイナーである。極彩色とサイケデリック、ノスタルジーと死のイメージをごちゃ混ぜにしたド派手なポスターで1960〜70年代の若者文化を席巻し、1980年に突然「画家宣言」をして美術家へ転身したという、ジャンルも生き方も自在な人物。日本芸術院会員。とにかく作風がコロコロ変わるのに、どれも一目で横尾とわかるのが不思議なところらしい。

西脇からデザイナーへ[編集]

兵庫県西脇市の生まれで、20歳までを西脇で過ごす。幼少期にさまざまな超常現象を経験し、死の世界に憧れを抱いたと自ら語っている。この「あちら側」への感覚は、生涯の作品に通底するモチーフになった。神戸新聞社でグラフィックデザイナーとして働いたのち独立。1960年代にはアングラ/前衛カルチャーの中心で、状況劇場や寺山修司の天井桟敷などのポスターを手がけ、強烈なビジュアルで一躍時代の寵児となる。日の丸、滝、富士山、薔薇、自身の自画像といったキッチュなイメージを大胆に組み合わせる手法は、海外でも高く評価された。

三島由紀夫とオカルティズム[編集]

作家・三島由紀夫と出会い、その「聖俗一体」的な言動に強く触発される。1970年の三島の死をきっかけに、その後の約15年間をオカルティズムや神秘主義を包括した精神世界へと深く傾斜していった。インドへ繰り返し旅し、瞑想や神秘体験を作品に取り込んだこの時期は、横尾を語るうえで外せない。なお1974年には向田邦子脚本のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』に倉田という謎めいた人物役で出演している。

画家宣言[編集]

1980年7月、ニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、その場で「画家宣言」を決意。グラフィックデザイナーから画家へと大きく舵を切った。以来、美術家としてさまざまな作品制作に携わる。膨大な数の油彩を描き続け、2000年以降は故郷・西脇市のY字路をモチーフにした「Y字路」シリーズに取り組み、その数は150点以上にのぼる。

2012年には神戸に横尾忠則現代美術館が開館。2019年には83歳にして自身のキュレーションによる『自我自損』展を開催し、徹底した自己否定を展示として見せた。「私は自作を説明することは好みません」と言い切る姿勢は、生涯一貫した「自我からの開放」というテーマの表れである。

余談[編集]

  • 実弟は画家・イラストレーターの成瀬政博、長女の横尾美美も美術家という、芸術一家。
  • 作風を次々と変える「変節漢」ぶりを批判されることもあったが、本人はむしろ変わり続けることを信条にしている。
  • デザイナー時代の代表作の数々は、いまや昭和カルチャーのアイコンとして再評価されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]