Yoshie Kashiwabara
かしわばら よしえ
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柏原芳恵(出典:ORICON NEWS)
本名 柏原芳恵
誕生日 1965年10月1日
年齢 61歳
出身地 大阪府大阪市
国籍 日本
家族 父・母・兄
血液型 A型
職業 歌手、女優
肩書 元祖「ロイヤル・アイドル」
活動期間 1980年 -
代表的な実績 「ハロー・グッバイ」(1981年)、「花梨」(1982年)、「春なのに」(1983年)、「タイニー・メモリー」(1983年)、「最愛」(1984年)
受賞 日本レコード大賞 ゴールデン・アイドル賞(1981年)、同 金賞(1982年 - 1984年)
事務所 Office YOSHIE、フリーボード
ファンクラブ TOMORROW(トゥモロウ)
別名 柏原よしえ(1982年までの芸名表記)
あだ名 芳恵、よしえ
その他 『スター誕生!』グランドチャンピオン出身。1980年デビュー組
リンク 公式サイト


概要[編集]

柏原芳恵(かしわばら よしえ、1965年10月1日 - )とは、大阪府大阪市出身の日本の歌手・女優である。1980年に14歳で「柏原よしえ」としてデビューし、「ハロー・グッバイ」、中島みゆき作の「春なのに」などのヒットで1980年代のアイドル黄金期を彩った。当時の皇太子・浩宮さま(現在の天皇陛下)が「ファン」と公言したことでも知られ、デビュー45周年を迎えた2020年代もコンサートやテレビ番組のMCで現役を続けている。

詳細[編集]

中学生で「スタ誕」グランドチャンピオン[編集]

歌手への入口は、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』だった。1979年秋、清水由貴子の曲を歌って合格し、グランドチャンピオンに輝く。まだ中学生だったが、このまま大阪から上京し、1980年6月1日にシングル「No.1」でデビューした。キャッチフレーズは「ちょっと大物、夏ひとりじめ。よしえはNo.1。」。デビュー時は中学3年生で、同期の松田聖子や河合奈保子、岩崎良美らはみな年上だった。

同じ『スター誕生!』からは、のちに同学年の中森明菜や小泉今日子も世に出ており、柏原は「スタ誕」出身アイドルの中でも80年代前半を引っ張った一人にあたる。デビュー直後は大人に囲まれた世界で、事務所の「私語禁止」ルールが厳しかったが、最年少だった柏原はスタッフに手厚く守られていたと本人が振り返っている。

「よしえ」から「芳恵」へ[編集]

初期は明るいポップス路線で、デビュー曲「No.1」はヒットとまではいかなかった。転機は1981年10月の「ハロー・グッバイ」。1970年代に発表されていた楽曲のカバーだったが、約40万枚を売り上げてブレイクし、同年の日本レコード大賞でゴールデン・アイドル賞を受賞した。以後、1986年までにオリコンのトップ10入りしたシングルは18作にのぼる。

1982年10月1日、谷村新司が作詞・作曲した「花梨」の発売に合わせて、芸名をひらがなの「柏原よしえ」から本名と同じ漢字表記の「柏原芳恵」に改めた。担当ディレクターは、この「花梨」を境に、明るさよりも大人っぽい「憂い」を生かす路線へ移したと語っている。14歳のデビュー当時から実年齢より上に見られることが多かったという本人の雰囲気が、ここでぴたりとはまった。

中島みゆき作「春なのに」[編集]

1983年1月11日発売の12枚目のシングル「春なのに」は、中島みゆきの作詞・作曲。憧れの先輩の卒業を見送る切なさを歌った曲で、『ザ・ベストテン』(TBS)では最高2位を記録し、第25回日本レコード大賞金賞を受賞。この曲でその年のNHK紅白歌合戦にも初出場した。

制作には相当な力が入っており、カラオケ音源の録音のためにスタッフがヨーロッパへ渡り、リチャード・クレイダーマンのオーケストラと録音したという。レコーディングには中島みゆき本人がスタジオに立ち会い、緊張して挨拶が飛んでしまった柏原に明るく声をかけてくれたとされる。中島は「17歳に戻った気分で書いた」と話したといい、帰り際には「思ったより歌うまいですね」と言われたことで、歌で何かを「届ける」という意識が広がったと本人は語っている。発売当時は卒業ソングという意識はなかったが、現在は春の定番曲として歌い継がれている。

「浩宮さまのお気に入り」[編集]

柏原の名前を芸能ニュースの枠を越えて広めたのが、皇室との縁である。当時の皇太子・浩宮さま(現在の天皇陛下)が、英国留学前の記者会見で好きな歌手として柏原の名を挙げ、「春なのに」を評価したと報じられた。これをきっかけに柏原は一躍「ロイヤル・アイドル」と呼ばれるようになった。

1986年には浩宮さまが柏原のリサイタル『おんな飛翔』を実際に鑑賞。宮内庁に挨拶の作法を問い合わせても「前例がございません」という返事が続き、本人は当日頭が真っ白になったという。終演後には言葉を交わし、皇居で育てたとされるピンクのバラを贈られた。柏原は返礼にサイン入りの写真集を贈ったと語っており、そのバラはドライフラワーにして「家宝」として今も保管していると、2022年や2023年のインタビューで明かしている。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

大阪市で、会社員の父、専業主婦の母、兄、母方の祖父の5人家族のもとに育った。両親は礼儀作法に厳しく、家族にも敬語で話していたという。子どもの頃はピアノ、書道、そろばんを習っていた。中学在学中に『スター誕生!』に挑戦し、合格を機に上京した。

1980年 - 1986年:アイドル全盛期[編集]

1980年のデビュー後、「毎日がバレンタイン」「第二章・くちづけ」「乙女心何色?」「ガラスの夏」「めらんこりい白書」とリリースを重ね、1981年の「ハロー・グッバイ」でトップアイドルの仲間入りを果たした。1982年は「恋人たちのキャフェテラス」「渚のシンデレラ」「あの場所から」「花梨」とトップ10ヒットが続き、1983年には「春なのに」「ちょっとなら媚薬」「夏模様」「タイニー・メモリー」「カム・フラージュ」と年5作がそろってトップ10入りした。

当時はシングルを3か月に1枚出しながらアルバムも並行して制作するのが当たり前で、深夜までの収録も日常だった。中学3年生で出演した正月特番『新春かくし芸大会』は、発熱しながらの参加で、収録が終わったのは深夜2時、3時だったという。新幹線の新横浜駅のホームから生中継で歌った際には、サラリーマンにおしぼりを配ってから歌うという無茶ぶりもあり、のちに黒柳徹子から「ムチャクチャだったわよねえ」と言われたと本人は笑う。

日本レコード大賞では1981年のゴールデン・アイドル賞に始まり、1982年から1984年まで3年連続で金賞、1985年から1987年までは優秀歌唱賞を受賞し、最優秀歌唱賞の候補にも3年連続で名を連ねた。紅白歌合戦には1983年と1985年の2回出場している。1985年には香港でコンサートを開き、1986年にはABUポピュラーソング・コンテストに日本代表として出場した。

1986年 - 1991年:女優業へ[編集]

1980年代後半になると活動の中心は女優業に移る。本人いわく、女優路線への転向は「マネージャーが相談なしに決めた」ものだったという。1984年の大河ドラマ『山河燃ゆ』に出演したほか、ドラマ『ピンキーパンチ大逆転』で主演を務め、『火曜サスペンス劇場』『土曜ワイド劇場』などの2時間ドラマでも主演を重ねた。コンサートの日程と撮影が重なると、両方の現場を行き来していたと振り返っている。

映画では『必殺! ブラウン館の怪物たち』(1985年)、『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲』(1987年)、『青い山脈'88』(1988年)などに出演。1991年には香港・日本合作映画『メイプル・オン・ファイヤー』で主演した。レコード会社は1987年からイーストワールドに移り、1989年には事務所をソーマオフィスに移籍している。

1992年 - 2010年代:独立とマイペースな活動[編集]

1992年に独立し、以後はテレビから少し距離を置いて、Vシネマや写真集、ミュージカル・舞台、ライブへと活動の軸を移した。オブジェ作家としての顔もあり、「魅完成展」と題した個展を百貨店などで開いている。

2004年10月からはラジオ番組『柏原芳恵のJumpin' Music』を担当し、2023年12月まで約19年続けた。2005年にデビュー25周年を迎え、2006年には16年半ぶりのシングル「MaMa」を発売。2007年からは男性ボーカリストの名曲をカバーしたアルバム『encore』シリーズ(2007年・2010年・2016年)を出し、2010年には30周年記念のシングル・コレクションBOXが発売された。2015年にはCSの歌謡ポップスチャンネルの番組『クロスカヴァー・ソングショー』で、かつて「黄昏のダイアリー」を提供してくれた堀内孝雄と互いの曲を歌い合った。2017年に写真集『YOSHIE MODE』、2018年には自作詞のミニアルバム『芳恵 詩集』を発表し、1980年代のオリジナルアルバム18枚も一挙に再発された。

2020年代の活動[編集]

40周年とコロナ禍[編集]

2020年6月1日、デビュー40周年記念シングル「KU・ZU 〜ワタシの彼〜」を発売。40周年記念コンサートは新型コロナウイルスの影響で延期となり、同年10月に開催された。このコンサートは経済産業省の支援事業「J-LODlive」を活用して海外にも有料配信され、YouTubeでのライブ配信にも取り組んだ。同じ2020年6月には、所属レーベルのフリーボードが「柏原芳恵はFacebookアカウントを持っていない」と、なりすましアカウントへの注意を呼びかけている。

2022年には、NHKの音楽番組での歌唱映像71本を収めたDVD BOX『柏原芳恵 NHKプレミアム コレクション』が発売された。『レッツゴーヤング』でのデビュー曲や、1983年の紅白初出場時の「春なのに」も収録されている。本人は、紅白の「春なのに」の演出を「ずるい演出」と笑い、照れくさくてじっくり見られないと話した。同年11月には2年ぶりの有観客公演「〜A・RU・KU 第二章〜 柏原芳恵コンサート2022」を開催している。

初の冠番組『喫茶☆歌謡界』[編集]

2023年1月7日、J:COMの「J:テレ」で冠番組『柏原芳恵の喫茶☆歌謡界』がスタート。柏原が喫茶店のママに扮してゲストを迎え、昭和歌謡の思い出話とカバー曲を披露するトーク番組で、本人にとってソロでのレギュラーMCは初めてだった。番組のうたい文句は「こんなMC見たことない」。初期には酒井法子や西村知美がゲストに来店した。

その後も山本リンダ、海援隊、小堺一機、ほいけんた、小柳ルミ子、辺見マリ、丸山圭子、ビリー・バンバンの菅原進、細川ふみえ、はるな愛、元ザ・タイガースの加橋かつみらが登場し、2025年にはBS11でも放送されている。ゲストと「春なのに」を歌う回もあり、番組は柏原にとって新しい「遊び場」になっている。2023年10月にはフジテレビ『MUSIC FAIR』にも出演した。

45周年と還暦[編集]

2025年はデビュー45周年の年。5月1日の記念公演はワイドショー『ノンストップ!』が密着し、ミニスカートやシースルーの衣装で往年のヒット曲を歌い、客席のペンライトに迎えられて涙ぐむ姿が放送された。同年5月のインタビューでは「元アイドルの」と言われると「いや、現役です」と答えていると語り、目標は「ほほ笑みプレゼンター」になることだと話している。

6月25日には自身初のオールタイムベスト『〜45th Anniversary〜 YOSHIE SELECTION ALL TIME BEST』を発売し、6月28日に名古屋市のCOMTEC PORT BASE、7月11日に東京都渋谷区の文化総合センター大和田さくらホールで45周年記念コンサートを行った。10月1日に60歳の誕生日を迎えると、同月には講談社の写真週刊誌『FRIDAY』公式Instagramが、45周年企画として白いビキニ姿の「秘蔵カット」を公開。あわせて2017年の写真集『YOSHIE MODE』のデジタル版も配信された。

人物[編集]

  • 自称「おっちょこちょい」。過去の出演作をDVDで見ても、当時は忙しすぎて覚えていないことが多いと話している。
  • 趣味は料理研究、粘土細工、映画鑑賞、カメラ、スキューバダイビング。オブジェ制作や写真撮影は作品として発表するほどの腕前である。
  • 大の車好きで、過去にはフェラーリ360スパイダーなどに乗り、2024年時点ではメルセデス・ベンツGLCに乗っているとされる。
  • デビュー当時からの親衛隊は、殺到する観客から柏原を守るために手をつないで壁を作ってくれたといい、その絆は今も続いていると語る。
  • ファンの笑顔を第一に考え、美貌の維持にも努めている。定期的な運動はしていないとしながら、スリムな体型を保っている。

交友関係[編集]

  • 河合奈保子とは同じ1980年デビューで、同じ大阪市出身。デビュー当時から仲が良かったと本人が語っている。
  • 4歳年上の岩崎良美はデビュー当時いつも声をかけてくれた先輩で、今もお互いの誕生日を祝い合う「メル友」だという。
  • 高校時代の同級生だった女優の比企理恵とは親友。小林幸子とは姉妹のような関係で、山田邦子とも長年の友人である。
  • 同じ1980年度デビュー組には松田聖子、田原俊彦、岩崎良美、河合奈保子、三原じゅん子らがおり、三原とはドラマで共演した。
  • 2024年5月には、直腸がんの手術を公表していた女優の立花理佐が自身のブログで、久しぶりに仕事で一緒になった柏原から体調を気遣われ、手を握られて互いに涙したことを明かした。

ディスコグラフィ[編集]

主なシングル[編集]

年 タイトル 備考
1980年 No.1 デビュー曲(柏原よしえ名義)
1981年 ガラスの夏
1981年 ハロー・グッバイ ブレイク曲。オリコン最高6位、約40万枚
1982年 恋人たちのキャフェテラス
1982年 渚のシンデレラ
1982年 花梨 作詞・作曲:谷村新司。この曲から「柏原芳恵」名義
1983年 春なのに 作詞・作曲:中島みゆき。日本レコード大賞金賞、紅白初出場曲
1983年 ちょっとなら媚薬
1983年 夏模様 作曲:松尾一彦(オフコース)
1983年 タイニー・メモリー 作詞・作曲:松山千春
1983年 カム・フラージュ 作詞・作曲:中島みゆき
1984年 ト・レ・モ・ロ 編曲:船山基紀
1984年 悪戯 NIGHT DOLL
1984年 最愛 作詞・作曲:中島みゆき
1985年 ロンリー・カナリア
1985年 待ちくたびれてヨコハマ
1985年 し・の・び・愛
1986年 春ごころ
1986年 女ともだち ドラマ主題歌
1988年 黄昏のダイアリー 作曲:堀内孝雄
2006年 MaMa 16年半ぶりのシングル
2020年 KU・ZU 〜ワタシの彼〜 デビュー40周年記念

主なアルバム[編集]

  • 『TINY MEMORY』(1983年)- 松山千春の楽曲10曲をカバー
  • 『LUSTER』(1984年)- 筒美京平の作品を全編打ち込みで制作した意欲作
  • 『encore』(2007年)、『encore2』(2010年)、『encore3』(2016年)- 男性ボーカリストの名曲カバー集
  • 『芳恵 詩集』(2018年)- 自作詞のミニアルバム
  • 『〜45th Anniversary〜 YOSHIE SELECTION ALL TIME BEST』(2025年)- 初のオールタイムベスト

映像・写真集[編集]

  • 『柏原芳恵 NHKプレミアム コレクション』(2022年、DVD BOX)
  • 『YOSHIE MODE』(2017年、写真集。2025年にデジタル版)

主な出演[編集]

ドラマ・映画[編集]

  • 『山河燃ゆ』(1984年、NHK大河ドラマ)
  • 『ピンキーパンチ大逆転』(主演)
  • 『野々村病院物語II』
  • 『女ともだち』
  • 『火曜サスペンス劇場』『土曜ワイド劇場』シリーズ(主演作多数)
  • 『必殺! ブラウン館の怪物たち』(1985年、映画)
  • 『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲』(1987年、映画)
  • 『青い山脈'88』(1988年、映画)
  • 『メイプル・オン・ファイヤー』(1991年、香港・日本合作映画)- 主演

バラエティ・音楽番組[編集]

  • 『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『ザ・トップテン』など(1980年代)
  • 『さんまのまんま』『笑っていいとも!』『徹子の部屋』
  • 『柏原芳恵のJumpin' Music』(2004年 - 2023年、ラジオ)
  • 『The Covers』(2015年、NHK BSプレミアム)
  • 『柏原芳恵の喫茶☆歌謡界』(2023年 - 、J:COM・J:テレ/BS11)- メインMC
  • 『MUSIC FAIR』(2023年、フジテレビ)

炎上とバズ[編集]

「ロイヤル・アイドル」騒動[編集]

皇太子が一人のアイドルを「ファン」と公言したことは当時大きなニュースになり、柏原は一夜にして「ロイヤル・アイドル」と呼ばれる存在になった。1986年のリサイタル鑑賞では宮内庁側にも前例がなく、本人は「芸能史に残る出来事」と振り返っている。

総理大臣もファン[編集]

2025年には『週刊文春』が、当時首相だった石破茂も柏原のファンを公言しており、夏になると「夏模様」を歌うのが好きだと報じた。皇太子と総理大臣という、異色の「大物ファン」を持つアイドルとして改めて注目された。

60歳の白ビキニ[編集]

2025年10月、『FRIDAY』公式Instagramが45周年企画として柏原の白ビキニ姿の秘蔵カットを公開すると、ORICON NEWSなどが「衝撃の美ボディ」と報じ、ネットでも大きな反響を呼んだ。

余談[編集]

  • 『スター誕生!』の合格曲は清水由貴子の曲。デビュー時は中学3年生で、「1980年組」の中でも最年少クラスだった。
  • 1984年のアルバム『LUSTER』は、筒美京平の作品を全編打ち込みで仕上げた。当時のアイドルのアルバムとしてはかなり早い試みとされる。
  • 1993年には香港の歌手・周慧敏(ビビアン・チョウ)が「最愛」をカバーしている。韓国でもJ-POPブームを通じて楽曲が親しまれているとされる。
  • NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年)では「ハロー・グッバイ」が使われ、『半分、青い。』(2018年)では「春なのに」が劇中で歌われた。
  • 2011年に『ミュージックステーション』が発表した歴代アイドルのCD売上ランキング(トップ50)では、総売上約440万枚で40位に入っている。
  • 皇太子から贈られたバラの品種は「プリンセスサヤコ」だったとされる。

外部リンク[編集]

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